第18話 月の巫女



 とうとう穢れを吸い込んでしまった。


 俊介が月へ戻った後、部屋に入り晶は少しだけベッドに横になった。

 あと少しの辛抱だ。流稚杏るちあが到着するのを待てばよい。それまで、この鬼を抑え込まなくてはいけない。


 晶は重苦しく感じる胸を押さえた。


 腹の中で鬼がほくそ笑んでいる。

 極上の穢れ、と喜んでいるのがはっきり分かった。その時、机の上に置いてあったスマホが鳴った。起き上がってスマホを手に取ると陽一からだった。


 見出しに『晶へ』とある。

 ドキッと胸が高鳴る。これは自分に宛てて送られてきたのだ。


 晶は深呼吸をして画面をタッチして確認する。ぶっきらぼうだが、晶を案じている内容だった。晶はくすっと笑い、すぐに返信した。


 うぐいす姫であることをすぐに明かさなかったことについて謝り、ケガは大したこともなくすぐに治ったと書くと、少しして返事が返ってきた。


 明日、じいちゃんちでかき氷を食べないか? とある。


「かき氷……?」


 晶は首を傾げた。

 アイスクリームは大好きだが、かき氷に手を出したことはない。

 それを伝えると大げさに驚いた様子で、家まで迎えに行くとあった。


 晶は住まいを変えた事を伝えるべきか迷ったが、やはり伝えない方がよいと思った。人の多い駅で待ち合わせするよう伝えると、承諾の返事がくる。


『じゃあな、明日、忘れるなよ。おやすみ』


 さんざん迷って書いた内容なのかもしれないが、無愛想な内容に晶は苦笑した。


「無理をしなくてよいのに……」


 小さくため息をついた。

 舞の事をうぐいす姫だと誤解している方がよかったのかもしれない。ひたむきに舞を見つめる陽一の方が、真実なのではないかと思った。


 スマホを置くと、晶は横になった。


 手先が熱い。

 穢れを吸った分、鬼の力が強くなっている。

 早く流稚杏が来ないだろうかと案じていると、ドアの外から舞の声がした。


「晶さま」

 

 ノックをしてドアが開く。


「お兄様がお戻りになられました」

流稚杏るちあも一緒か」

「はい」


 晶は飛び起きると、さっと部屋を出た。

 リビングに入ると、淡い色の刺繍糸で魔除けの文様を編み込んだ足首まである白いドレスに、レースのかぶり物を被っている流稚杏るちあがいた。完全な月の巫女装束姿である。


 白い肌に一重の目、薄い唇の彼女は、晶の顔を見ると唇を横にしてほほ笑んだ。


「わらわを呼ぶなんて、よほど切羽詰まった様子」

「穢れを吸ってしまった。我一人では鬼を封じ込めぬ」

「ふ、そうであろう」


 流稚杏は鼻で笑ってから眉をひそめると、扇で口元を隠した。


「その御髪おぐしはいかがされた」

「切ったのじゃ」


 またその質問か、と晶はうんざりした。


「髪はまた伸びると思っておられるだろうが、姫にとっては魔除けにもなるのだが……」

「それは気にせなんだな」

「次から短く切るのはよせよ」


 舞はハラハラしながら傍で見ていた。

 流稚杏の方は、姉のようなつもりで晶をかまいたがるのだが、晶は我関せずで、ただ、やり取りを楽しむところがあった。


「少し、二人きりにしてもらえるか?」


 舞と俊介を部屋から出すと、流稚杏と二人だけになった。


「わらわを呼ぶなど珍しいこともあるものだ」

「……その衣装どうにかならぬか? 部屋が狭くなる」


 晶が頼むと、流稚杏はテレビをつけた。たちまち部屋の中に騒がしい音が流れ出したが、彼女はその流れゆく画面を眺め、ぶつぶつ呪文のような言葉を呟くと、あっという間にゆるくカールした髪型に変わり、清楚な薄桃色のワンピース姿になると、にやりと笑った。


「いかがなものかな」

「よい」


 晶は頷くと、右手を差し出した。

 右手は元通りになっていたが、一度、壊れた細胞は完ぺきとまではいかない。流稚杏はそれをじっと見てから、両手で優しく包み込んだ。


「全く、すべてが穢れている」


 温かい手に包まれているうちに、晶は胸の中に小さな温もりが拡がるのを感じた。


「地球にいる限り穢れはなくならぬ。穢れが鬼に栄養を与えているのは分かっておるのだろう?」

「うむ」


 晶は目を閉じた。しかし、このまま月に還るわけにはいかない。


「つべこべ言わず、お主は我の中の鬼を封じてくれ」

「勝手なことを」


 流稚杏は気に障った様子もなく、晶の中へ静かに力を送り込んだ。晶の髪の毛が数センチ伸びたところで手を離した。


「これで姫が眠っても鬼は出てはこられまい。あと、姫の体に呪術をかけたぞ。鬼がもし、出てこようとしたら、わらわには分かる」

「ありがとう、流稚杏。礼を言う」

「姫に頭を下げられると、どうしてよいか分からぬわ。さて、せっかくじゃ、陽一郎の生まれ変わりに会わせてくれ」

「陽一に?」

「そうじゃ。その者に傷つけられたと申したろう。一度、この目で見たい」


 晶は少し逡巡したが頷いた。


「分かった。明日、陽一の家に行く約束をした。お主も一緒に参ろう」

「おお、それは楽しみじゃ。だが、舞は置いて行くぞ」

「舞がそれでよいのなら」


 おそらく舞はついて来ると思うが――。


 晶は声には出さず心の中で思った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る