第17話 手段を選ばない


 マンションで待っていた舞は、兄に抱えられた晶を見て卒倒しそうになった。


「晶さまっ」


 駆け寄って晶が眠っていることを知り、少しだけ安堵する。俊介は晶をそっとソファに寝かせた。


「お兄様、晶さまに何があったのですか?」


 舞が尋ねると、俊介はできるだけ簡潔に話した。


「陽一さまは気付かれたのですね。それはよかったのですが、晶さまはけがれを吸い込んだのですか?」

「ああ」

「それで流稚杏るちあさまを呼べと」

「そうだ」


 流稚杏とは月の巫女である。彼女には誰にも操ることのできない術があった。それは、晶の鬼を封じることができるのだ。


 おそらく晶は自分だけでは鬼を封じ込めないと思ったのだろう。そのために月にいる流稚杏を呼べと言った。


「晶さまは大丈夫でしょうか」

「分からぬ。もしかしたら、流稚杏殿が参るまで目を覚まさぬかもしれぬ」

「鬼が目覚めるというのですか?」

「姫さまは恐れているのかもしれない」


 俊介はソファで眠る晶をじっと見た。

 うぐいす姫が何をしたというのだ。鬼になるくらい、罪深い行いをしたのだろうか。


 俊介にはどうしても信じられなかった。

 眠る晶の手首はまだ傷ついたままだ。舞が優しく手を包んだ。


「お兄様、晶さまがおケガを……」

「ああ。だが、俺には治癒能力はない」


 俊介が悔しそうに呟いた。その時、晶がうめいて目を覚ました。


「晶さまっ」

「舞……。心配をかけてすまんかったな。我は大丈夫じゃ、少し眠ったら力が回復した」


 晶はそう言うと体を起こして、左の手を自分の右手首に当てた。みるみるうちに右手が元に戻る。手を左右に動かして、異変がないかを確かめた。


「久方ぶりに穢れを吸い込んで疲れた」

「晶さま、これっきりでございますね」

「分からぬ。陽一がハンターと接触せねばよいが。こればかりは何とも言えぬ」

「陽一さまに護衛をつけてはいかがでしょうか」

「ん?」


 舞の提案に晶が目を見張った。


「護衛?」

「はい」

「俊介、どう思う?」

「かなり難しいのではないでしょうか。陽一は嫌がるでしょう」

「そうだな」


 一人の人間に四六時中ついているというのは不可能に近いだろう。

 舞には可能だが――。


「姫さま、俺はこれから月に戻り、流稚杏殿をお連れできるよう、頼んで参ります」

「頼む」


 俊介は頭を垂れると、さっと消えた。




◇◇◇




 家に向かっていた陽一は、家の前に不審な人物がいるのを見て警戒した。


「誰だ……?」


 見たことのない若い男で、壁にもたれて長い足を優雅に組んで立っていた。顔は驚くほど綺麗で整っており、白いシャツにカーキ色の細身のパンツを履いていてまるでモデルのようだ。

 真夏なのに日に焼けたことがないのか、白い肌をしており、陽一を見ると、体を起こしてにこっと笑った。


「やあ」


 男が声を発すると、虫の音と周りの雑音が突然消えた。

 もしかしたらこの男はハンターかもしれない。陽一は逃げようかと思った。


「待って、僕はハンターじゃない。心配しないで味方だから」

「え?」

「笹岡陽一くんだよね」

「俺の名前……」


 これまでに何度も経験したが、知らない人に名前を呼ばれることほど、薄気味悪いことはない。

 やっぱり変質者だ、と大声を上げて助けを呼ぼうと思ったら、


「無駄だよ。結界を張ったから僕たちの姿は誰にも見えない」


 と男が平然と言った。


「怖がらないで、僕は晶の叔父だ」

「は?」


 この若い兄ちゃんが叔父? どう見ても二十代前半にしか見えない。

 陽一は、胡散臭い男を睨んだ。


「僕は夜久弥やくや


 頭の中に文字が浮かんでくる。


夜久弥やくや……」


 変な名前、と陽一は呟いた。夜久弥がそれを聞いて苦笑する。


「ま、いいけど。僕は君と晶が出会うのをずっと待っていた。ようやく時が動き始めた」

「どういうことですか?」


 陽一はまだ警戒していた。彼が晶の叔父だという証拠はない。


「これから君には試練に立ち向かってもらう。もう、他人事じゃない。十八歳になれば記憶が消えてまた転生すればいい、なんて思わないことだ」


 陽一はむっとする。


「そんな事……思っていないです」

「晶の中にいる鬼の存在を消すことができるのは君しかいない。君はこれから記憶を遡り、真実を明かして鬼を解放するんだ」

「鬼を解放する、ですか?」


 うぐいす姫の事について詳しいなと思った。


「そうだ。鬼は君を待っている。君がそう望んだからだ」


 陽一は自分が望んでいると言われてもぴんとこなかった。


「俺は何もしていません」

「君の過去がそうしたんだ。君が思い出さなければいけない」


 陽一は顔をしかめた。そんな事言われても頭の中は真っ白だ。何の記憶もない。


「今すぐとは言わない。晶と共に記憶をたどりなさい。困ったことがあればいつでも呼んで欲しい。僕はできる事があれば君を助けよう」


 陽一は戸惑った。


「どうしてですか? 初めて会うのに、なぜあなたはこんな事を」

「それは僕が晶を必要としているから。僕は自分のためなら手段を選ばないんだよ」


 夜久弥はそう言うと、陽一のそばに寄った。


「君はハンターから黒い石を受け取った。それは黒水晶と言って、晶にとっては猛毒だ。君が使い方を誤れば、晶に危害を及ぼすだろう。しかし、その石はもう君の体に取り込まれた。だから君がどう使うか、よく考えるんだ」


 夜久弥の言葉に陽一はぞっとした。


「ま、待ってください。そんな事言われても俺、使い方なんてさっぱり分からないよ」

「試してみるといい。何ができるか。いろんな可能性を秘めた石だ。全てが悪い方向へ行くとは限らないんだよ」


 夜久弥の意味深な言葉に陽一はハッとした。


「俺、ずっと気になっていて……。さやちゃんがごほーびと言って何かくれたんだけど、全然分からなくて、それだけが引っかかっているんだ」

「ふむ」


 夜久弥は、陽一をじっと見つめた。


「そのごほーびが黒水晶のことなのかは残念だけど僕には分からない。だが、ハンターが何もしないで見ているとは思えない。変化があったら教えてくれ」


 夜久弥はそう言うと、暗闇に溶け込むように消えていた。


夜久弥やくや……」


 変な事ばかり続く。

 しかし、これは全て現実なのだ。いまさら、後戻りできないのだと、ようやく頭が受け入れ始めた気がした。


 玄関の扉を開けて中に入ると、たまたま風呂場から出てきたらしき母親と目があった。


「あんた、いつの間に出て行ってたの?」

「う……」


 次から次へといろんなことが起きる、と陽一は力なく笑った。

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