第57話 胸、ときめき
葵と正勝は目的を変更し、陽一に思いを寄せていた女を探すことにした。
「俺につかまれ、あの娘の元へ行く」
「はい」
正勝の差し出した腕につかまると、葵は目をパチクリさせた時には、すぐ目の前に少女を発見した。
少女は、先ほどの場所のすぐそばで泣いていた。
目を赤くして、鼻をすすっている姿を見ると、同じ女として心を痛めた。
「おかわいそうに」
葵は一瞬同情したが、すぐに気を引き締めた。
「行って参ります」
「おう、気をつけろ」
正勝が、にやっと笑った。なんだか、楽しそうですね、と言いたいのをぐっと我慢して少女に近づく。もちろん、相手に姿は見えていない。
葵は、他人に憑依するくらいは簡単であったが、実際に試した事はなかった。地上で自分の力を試す事は、葵にとっても勇気のいる事ではあった。
自分は舞よりも力が上だと豪語しているが、できるかどうか不安もある。
少女は悲しそうに地面を見つめていたが、ぶるっと体を震わせると、大きくため息をついた。体が冷えてきたか。少女が動き出す前に乗り移ろう。
葵は深呼吸すると少女の背後にまわり、手を伸ばして背中に両手を当てた。すると少女が目を見開いて空を見上げ、はあっと大きく息を吸った。息を吸うのと同時に、葵は少女の中へと入り込んだ。
うまくいった。
少女の名前、
笹岡陽一の事は、入学当時からずっと思いを寄せていた。三学期に同じ保健委員になることができて、ものすごくうれしい。一緒にいるだけでよかったのだが、気持ちを抑えることができず、打ち明けてしまった。しかし、恋人がいると知り、現在、心を痛めている。
葵は、胸の痛みに同調しそうになった。
この子は、今、すごく悲しんでいる。告白を決意したのは、後、数日で冬休みに入るため、それも告白してしまった一因のようだ。
葵は、目尻から流れる涙を拭いた。涙が止まり顔を引き締めると、陽一の帰った方向へ足を向けて歩きだす。正勝はいるだろうか、と振り向いたが、森口七海の目では見えなかった。
きっと、追いかけて来てくれているはずだと信じて、葵は急いだ。
門を出ると、ちらちらと白い物が舞っていた。
本で読んだことがある。雪だ。
葵は、体を震わせて陽一を追いかけた。
陽一は家に向かっているところだった。追いかけると後ろ姿が見えた。
「陽一くんっ」
葵が呼びかけると、陽一がぎょっとした顔で立ち止った。
「森口?」
陽一が、森口七海の全身をじいっと眺めて、首を傾げた。
「ど、どうかしたの?」
「んー?」
陽一がじっと見つめている。葵は、不安のあまり目をさまよわせた。
「あんた、誰?」
「えっ? あ、あの……」
「あんた、森口じゃないな」
ばれている。信じられない。葵は泣きそうになった。とたんに、鼻がツンとして、涙があふれた。それを見た陽一が、あたふたした。
「あ、あっ、ごめん、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。ごめん、言い方がきつかったよな。ごめん、泣かないでよ」
陽一が焦ってじたばたしている。葵は、泣きべそをかいたまま、陽一を見上げると、彼はかばんを探りながら何かを探していた。何かを見つけると、これ、使って、と差し出した。
柔らかいティッシュを差し出され、葵は、受け取って涙を拭いた。
「あ、ありがとうございます」
「脅かした俺が悪かったよ」
困ったように頭を掻いて、顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
急に近づいた顔を見て、葵の胸がドキンと跳ねた。
「は、はい」
見破られた事と、泣き顔を見られた恥ずかしさで葵はうつむいた。
「君が誰だか分かんないけどさ、雪も降って来たし、寒いから歩こうか」
陽一はそう言うと、葵の少し前をゆっくりと歩き始めた。小柄だと思った少年は、少し見上げるほどに身長がある。少女の心がときめくのか、ドキドキが止まらず困った。
「あの……君、誰?」
「あ、葵と申しまする」
「ああ……」
陽一が立ち止ったかと思うと、にっこりと笑って葵を見た。
「そうか、月から来たんだな」
なんで、ばれたんだろう。葵は、再び泣き顔になる。
「ああ、ごめん」
陽一はびくっとして、顔をそむけると再び歩き出した。
「何か、事情があって来たんだよな。本当ごめん、俺ってデリカシーのない奴ってよく言われるんだ。ごめんな」
しょんぼりと肩を落として歩き始める。葵は、何のために森口七海の中に入ったのか、分からなくなりそうだった。
「で、どこまで送ったらいい? 俺に用事があるんなら、話聞くけどさ」
まさか、偵察に来たなんて言えない。
葵は、とっさに嘘をついた。
「わ、わたくし、舞さまに地上のお話を窺って、どういうところか知りたくなったのです」
「えっ、舞ちゃんを知ってるの?」
急に陽一の顔が生き生きしだす。陽一の嬉しそうな顔を見ると、何だか腹が立った。
「舞ちゃんは元気? ああ、会いたいな」
陽一がにやけている。しまりのない顔にむかむかした。
「仲がよろしかったのですか?」
思わずつんけんした口調になった。
「そんなんじゃないけどさ、ほら、舞ちゃんってお姫様みたいじゃん。憧れっつうか」
と笑った。
憧れ。森口七海の知能を借りれば、舞は、手の届かないアイドルのようなものらしい。
アイドル。和記さまから見た晶の存在が憧れだ。そんな気持ちを舞に抱いているのかこの少年は。
葵は目を見開いた。なんだか、納得がいかない。
「どしたの? 怖い顔して」
「え? ええっと、なんでもないんです」
葵は、すぐに笑顔を取りつくろった。
にっこりと笑うと、陽一が目を丸くした。
「びっくりした、森口の笑顔ってあんまり見たことないから、笑った方がすっげえ可愛いよ」
陽一に褒められて、葵、そして、森口七海の胸がほんわかと温かくなっていった。
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