第56話 晶の想い人




「あれが、晶の想い人だ」


 正勝の言葉に葵は目を疑った。顔を険しくさせて目を細めると、もう一度、目を凝らした。

 目に映るのは小柄な少年だ。自分より年が少し上? しかし、どこからどう見ても、まだ自分では生きていく事のできない、少年の姿だ。


「あれ、でございますか?」


 少年、笹岡陽一は肩をしょんぼり落とし、とぼとぼと歩いて行く。

 正勝と共に地上へ下りた葵は学校という場所に来ていた。

 地上は寒く、月の衣服では薄すぎるため、正勝の言うとおり地上の洋服を着て、厚手のコートを羽織、さらにマフラーを巻いて体を温かくしてから陽一を探していた。


 葵は、地上は一日の流れが、月よりも数倍早い事に気付いた。

 正勝の力は葵とは比にならず、陽一をあっという間に見つけてくれた。そして、正勝の力で、姿を消して学校へ潜入していた。

 

 陽一は、朝から学問を習うために出かけているらしい。勉強をする時間は、夕方、日が落ちる前までだ。授業が終わって家に帰るのかと思いきや、女の子に声をかけられて、人気のない場所へ移動した。

 正勝と葵は、こっそりと後をついて行ったのである。まだ、日は真上にある。


「追いかけよう」


 そう言って、正勝が長い脚を優雅に動かして陽一を追う。

 黒いジャケットにブーツを履いて、地上の服装をしている正勝はもう素晴らしく男前で、葵は隣に立つのもドキドキした。  

 なので、晶の想い人である陽一を見た時は、我が目を疑ったのである。


 陽一殿は、正勝よりも男らしく素敵な殿方をイメージしていた。

 

 だが、目の前を歩いている少年は、葵の理想とはるかにかけ離れていた。

 何度見ても信じられず、葵は、頭を振るばかりだ。


「いけませぬ」


 不意に、葵が言った。


「は? それはどのような意味ぞ」

「何かの間違いではございませぬか? あれでは月の者たちが納得致しませぬ」

「手厳しいの」


 正勝が苦笑した。陽一が右へ曲がったので、二人も曲がってついて行った。歩きながら正勝は、


「ま、顔の造作は悪くないぞ、まだ子供ゆえ、おそらく年を重ねれば多少はよくなると思うが」


 とフォローしたが、それも聞かず、葵は大きく首を振った。


「正勝殿は優しすぎます」

「そうか?」


 正勝は優しいと言われたことがなかったので、面食らった。


「それはさておき。ふむ、陽一は、女子おなごに言い寄られていたではないか。それを晶のために断っておるように見えたぞ」


 葵は憤慨した。


「当然でございまする。晶さまという姫君がおられながら他の女子おなごなどに目がいくようでは、万が一、間違いがございましたら、この、葵が決して許しませぬ」

「報告するのか?」


 正勝が言うと、葵は人差し指を唇に押し当てて考えた。


「妙案がございます」

「ほお?」

「陽一殿がどのようなお方なのかきちんと見極めて、晶さまにご報告いたします」

「晶には言わぬ方がよいと思うぞ。そなたも、自分の想い人を悪く言うような相手は、信頼せぬであろう」


 痛いところを突かれて、葵は押し黙った。しかし、葵は目をきゅっと吊り上げると、きっぱりと言った。


「先ほどの娘……あの娘の中に入り、わたくし陽一殿がどのような方か確かめて参りまする」

「なんと、あどけない顔して気丈な女子じゃの」


 感心したように言った。


「よし、せっかく地上まで下りたのだから、そなたの好きにするがよい。俺は援護にまわってやる」

「かたじけのうございまする」

「その言葉遣い」

「え?」

「陽一に気づかれるな」

「気をつけます」


 葵は神妙に頷いた。


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