第58話 粉雪




 顔が火照っている。

 雪が舞って寒いはずなのに、陽一のそばにいると、この少女はうれしさを隠しきれないらしい。

 葵は、体を奪っている事が後ろめたくなってきた。


「晶は?」


 不意に、陽一の囁くような声がした。


「え?」

「晶、元気……かな。知ってるよね?」


 陽一が呟くように言った。先ほどの勢いがしぼんで自信のない様子だ。


「晶さまは、とても元気でございますよ」

「そ、そっか、なら……よかった」


 そう言いながらも少しがっかりとしているような、情けない表情に変わる。舞の話をしている時と顔付きが違って見えた。


「あれから会えないからさ、赤猪子さんから話は聞いているけど……」


 葵は答えられず申し訳ない思いに駆られる。


「ああ、ごめん、困らせてるよね」


 再び陽一が歩き始めた。葵は、隣を歩きながら、陽一は素直な少年だなと思った。


「時々」


 不意に葵が声を出すと、


「え?」


 と陽一が不思議そうにこちらを見た。


「晶さまに花を送って下さる殿方がおられます」

「えっ、えっ? どういうこと? それ、何?」

「月では、好意を寄せているお方にお花を送ったりするのです」

「こういって? え? 花? 花ってどんな花?」


 焦る陽一を見て、葵は肩をすくめた。


「俺が知ってる花と言えば……」


 陽一は、考える顔つきをしていたかと思うと、ふうっと息を吐いて、舞っている粉雪に向かって手を振り上げた。

 粉雪が薄桃色に代わり、葵のまわりを桃色の花びらが舞いはじめた。

 葵は、息ができないほど驚いた。


「花って言ったら、やっぱり桜だよね」


 陽一が苦笑した。

 葵は、胸を突かれた。


「晶さまにお伝えいたします」

「い、いいの?」

「陽一殿のために、何とか伝えます」

「俺の名前……」


 陽一が笑った。


「知ってるんだね」


 何だかうれしそうだった。

 葵は、来てよかった、と思った。晶さまが好きになった方なのだ。決して悪い方ではない。

 納得して、森口七海に体を返そうと思った。その時、陽一が目を吊り上げて、葵の手首を引き寄せた。


「あっ」


 と、叫んだ時、桜が消えて辺りが急に薄暗くなった。昼間のはずなのに、空は一面灰色の雲に覆われている。

 葵は、陽一の胸にしがみついた。怖くて、顔を上げることができない。

 陽一が言った。


「そのまま、じっとしてて」


 硬いこわばった声とともに、陽一がじりじりと動く。葵の背中の方から異様な力を感じる。

 何者だろう。


 葵は、次第に冷静さを取り戻し、少しだけ目線を後ろに向けた。黒いブーツを履いた足が見える。人間とは思えない力を感じた。


「陽一殿、わたくしは大丈夫です」

「うん……」


 腕の力が抜けて、葵がそっと振り向くと、大男とほっそりとした女がいた。

 葵の足元は地面が裂けていた。陽一がとっさにかばってくれなければ危うかったと知る。

 ごくりと喉を鳴らして、もう一度、相手の姿を見た。


 男は、肌が浅黒く険しい目つきをしている。筋肉に覆われた体は大きい。そばには、美しい黒髪の女がいた。一重の目は凛としていたが、目つきは鋭い。赤い唇を舐めると、葵を見てにやりとした。


「おいしそうな女がいる」


 女が葵をじっと見ていた。執拗な女の目に悪寒が走った。

 正勝はどこにいるのだろう。自分を援護してくれているはずだ。

 陽一は、葵を後ろにかばった。


「葵ちゃん、うまくできるか分かんないんだけど、結界を張るからうまく逃げて」

「でも、陽一殿が」

「俺は大丈夫だから、森口の体も心配だからさ。頼むから逃げてよ」


 そう言うと両手を合わせて、祝詞を唱え始めた。すぐに薄い透明の結界が張られる。葵は素早くそこから飛び出した。瞬時に自分たちがいた場所に結界が張られる。


 森口七海を守るため、体から抜け出すと、少女がぐったりと意識を失う。少女を抱えると、すっと正勝が現れた。


「正勝さまっ」


 正勝はすぐさま森口七海の体を受け取り、葵の手首をつかんだ。敵の女は結界内からこちらを見ており、正勝に向かってエネルギーの塊を飛ばしてきた。しかし、結界内で力が吸収されていった。

 気が付くと、正勝と葵は別の場所に移動していた。


 正勝は、森口七海の家を探り当てると、少女を家の玄関まで連れて行った。


「正勝さま、陽一殿がっ」

「この少女を送り届けるのが先だ」


 中に入るわけにいかず、玄関前に寝かせると、呼び鈴を鳴らし家の者が出てくるのを待った。家の者はすぐに出て来て、眠っている七海を見ると大慌てで声をかけ始めた。森口七海がぴくりと動いたのを見届けると、正勝は頷いた。


「よし、陽一の所へ参ろう」


 葵は手を握りしめて、間にあいますようにと祈った。

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