第51話 お田霧さま



 あの方というのは、帝の血筋を引く晶の従姉にあたる女性であった。

名前をお田霧たきりさまと言う。


 今の帝、慶之介の従妹でもあり、性格は穏やかで誰にでも優しい。

 葵のような年下にも気さくに声をかけてくれる。

 まだ十四歳(晶の読みは外れていた)の葵にとってあこがれの女性で、会うたびに、困った時は一人で抱え込むのではありませんよ、と声をかけてくれた。


 お田霧さまとお話ができるのかと思うと、さらに気持ちは浮き立った。

 届け出を提出した後、さっそく葵は後宮に上がり、お田霧さまを探した。

 お田霧さまは和室で静かに写生をされているところだった。葵が伺うと、筆を止めて、すっと目を上げてほほ笑んだ。


「葵さま、どうぞこちらへ参られて」


 優しい言葉に、葵は一瞬、ぼうっとなったがすぐに挨拶をすると、そばへ寄った。


「お久しゅうございます」

「相変わらず可愛らしいこと。何かご用がおありなのでしょう」

「は、はい」


 葵は、ちらりと取り巻きの女を見た。お田霧さまはすぐに人払いをする。さらさらと女たちが退出した。


「さあ、わたくしたちだけでございますよ」

「あの……地球へ行くことになりました」

「まあ、それはよいこと。誰かよき守り人がいらっしゃるの? わたくしが寄こしましょうか」


 お田霧さまは心が広いお方だと思って、胸が熱くなった。


「実は……晶さまの想い人をお探しして、ご報告をしようと思っています」


 お田霧さまは小首を傾げた。葵の言葉を聞いて思案している。


「晶さまはご存じなのですか?」

「いいえ。晶さまがいつも心を痛めておいでなので、陽一殿のご様子をお伝えしたら喜ばれるのじゃないかと思って。でも、陽一殿がどちらに居るのかも分かりません。お田霧さまのお知恵をお借りできたらと思ったのです」

「そうですか……」


 お田霧さまは静かに息を吐いた。


「葵さま、このことは誰にも申してはなりませぬ。わたくしと二人だけの内緒話にしましょう」

「は、はい。もちろんです」

「わたくしに任せるのです。よき人物を知っておりますの。きっと葵さまのお役に立てるでしょう」


 その言葉を聞いて、葵はうれしさに思わず涙ぐんだ。


「あらあら」


 お田霧さまがそっとハンカチーフを差し出した。葵はそれを受け取り、涙を拭いて笑った。


「ありがとうございます。お田霧さまならきっと助けて下さると信じていました」

「大げさですね。でも、わたくしの所へ来てくれて本当にうれしいわ」


 お田霧さまが葵の頭をそっと撫でた。


 お礼を言って葵は、そのまま和記の元へと行った。彼女は自分を待っていたらしい。すぐさま手を取られた。人がいなくなり、二人きりになる。


「葵、あの話はどうなりましたの?」

「和記さま、順調に進んでおります。何も心配することはありませぬ」

「本当に?」


 和記の顔が明るくなったかと思うと、すぐに心配そうに眉をひそめた。


「危険はないの?」

「前にも申しましたように、わたくしは舞さまよりも力を持っております。あの、舞さまが幾歳いくとせも晶さまのそばにいられたのです。ご心配には及びません。それに陽一殿を探し出し、ご様子を伺いましたらすぐに戻って参ります」

「ああ……」


 和記は、葵の手をぎゅっと握って顔を伏せた。


「なんて、お礼を言ったらいいのかしら」

「お礼など、とんでもありません。それよりも和記さまの笑顔を見ることができたらうれしいのです」

「わたくしの笑顔など、大したものではないけれど、葵のことは大切に思っているのよ」

「存じております」


 そう言うと、二人はほほ笑んだ。

 葵は、早く地上へ行ってみたいと心を弾ませた。



 葵の日頃の行いが素晴らしいのだろう。事は順調に運んだ。

 届書は受け入れられ地上へはいつでも行ける。葵と同じくらい力を持つ舎人とねりを数名選び、葵は地上へ行く準備を始めた。

 後は、お田霧さまの連絡を待つのみだ。


 葵は、いつお田霧さまの使者が参られるだろうと首を長くして待っていたところ、ついにその日が来た。


 自分の屋敷で待っているようにと文が届き、客間で待っていると、大勢の臣下を連れて客が来た。

 葵は、上座を空けて待っていると、そこへ登場した人物を見て言葉を失った。驚きで失神しそうになる。


 客は、お田霧さまの兄上、帝の従兄である正勝まさかつであった。

 正勝をこの目で見るのは初めてだ。


 帝によく似ているという話しはよく聞くが、目の前にいる男性はたくましい体躯に、背丈は見上げるほどに高い。端正なお顔、そして、きりりとした目は鋭く、葵を冷ややかに見つめている。


 葵は、なぜここに正勝が来たのか、さっぱり理解できずこの場を逃げ出したい思いに駆られた。


「俺が来た事に驚いているようだな」


 男らしい声に、葵はすくみ上がった。なんと答えればいいかも分からない。

 混乱のあまり、顔を上げられず床を見つめたまま、目を伏せた。


「これ、顔を上げろ」


 正勝がいらいらしたように言った。おそるおそる顔を上げると、呆れたような顔の正勝がいた。


「俺が怖いか? 田霧たきりから、そなたが地上へ参りたいと申しておると聞いた。俺は、俊介から聞いて晶の男のことをよく知っている。俺も一度会いたいと思っていたから、お前を援護するつもりで一緒に行こうと思っている」


 援護? わたくしを?

 葵は、声に出さずに仰天した。あわ、あわわと口を押さえる。正勝は眉をひそめた。


「そなた、しゃべることができないのか?」

「い、いいえ」


 葵はようやく声を出した。


「も、もったいないお言葉でございます」

「その口調も面倒くさいな」

「も、申し訳ありませぬ」

「まあ、よいわ」


 正勝は苦笑すると立ち上がった。


「俺も早い方がよい。そなた、名は?」

「あ、葵と申します」

「では、葵。すぐにでも出立しよう」


 葵はあんぐりと口を開けた。息ができないほどびっくりした。


「なんだ、その顔は」

「ま、まさか、今すぐですか?」

「俺はそのために来たのだが?」


 そ、そんな……。

 葵は悲鳴を上げたかったが、それすらも許さないような顔で正勝はこちらを見ていた。


「葵、そなた、それなりの覚悟で行くのであろうな」

「え……?」

「地上にはいろんなやからがおるぞ。やわな姫では太刀打ちできん」


 葵は思わずムッとして目を吊り上げた。


「恐れいりますが、わたくし、舞さまよりも力は上でございます」

「そうか」


 正勝がにやりとする。


「では、参るか」


 められた。葵は泣きそうになりながらも頷くしかなかった。

 正勝はどかどかと部屋を出て行った。

 葵は、床に頭を突いて、まわりに聞こえるような大きなため息を吐いた。






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