第39話 俺の心




 陽一は毒突いてから、鬼の手を離して立ち止った。


「どうした? 晶はここにはいないぞ」

「お前、本当は知らないんだろう」

「なんだと?」

「子どもの遊びに付き合っている暇はないんだよ」

「遊び?」


 鬼が眉をひそめる。すぐににやりとした。


「何して遊ぶ? あたしが鬼? いいよ。鬼になっても」

「晶のことだ。俺は晶を連れて帰るんだ」

「あたしじゃダメ? あたしだって晶じゃないか」

「お前は鬼。晶、どこにいるんだよ……」

「いないっていったらどうする? お兄ちゃんはここにいてくれる?」

「晶はいないのか?」

「知らない」


 鬼は知らんぷりをする。

 陽一は頭を抱えた。焦りでイライラしてくる。


「なあ、俺は遊んでいる暇もないし、お前は鬼だから晶の代わりにはならない。俺が会いたいのは晶なんだよ」

「仕方ないね」

「は?」

「本当のことを言うよ」

「さっさと言えっ」


 陽一の声に鬼が笑った。けれど、なんとなく鬼は半べそをかいているように見えた。


「さっきからお兄ちゃんはずうっと晶のことばかり。あたしはいらないんだね。あたしは鬼だから誰も優しくしてくれないんだね」


 鬼がまた泣き出した。先ほどとは違う涙があふれる。


「さみしいんだよ。でもお兄ちゃんが欲しいは晶で、あたしじゃないんだよね」

「俺はお前のこと嫌いじゃないよ。けど、お前のことは夜久弥さんが面倒を見てくれるって言ったじゃないか。だけど、晶は? 晶はどこかに一人ぼっちでいるんだろ? そっちの方が悲しいじゃないか」

「夜久弥よりもお兄ちゃんの方がいい」

「おい、困らせんなよ……」


 鬼がエンエンと泣き出した。


「泣くなよ、な?」

「お兄ちゃんの体の一部分をちょうだい。もしくは、お兄ちゃんの心をちょうだい」


 鬼が顔を上げる。目は涙で濡れていた。

 陽一は、困ったように肩で息をついた。


「俺の心でいいの?」

「うん」


 鬼が泣きやむ。陽一は天を仰いだ。


「参ったな……もう……。俺の心ってどれくらい?」

「ちょっとでいいよ」


 鬼がそばに寄ってくる。陽一は鬼を見つめながら呟いた。


「ダメだ……」

「え?」

「心はダメだ。代わりに俺の右手をやる」


 陽一はグイっと腕まくりすると、鬼に突き出した。瞬間、鬼が右手を見て悲鳴を上げた。


「お前、何をしているっ」

「これが欲しいんじゃないのか?」

「違う……」


 鬼は差し出された右手を見て怯えたように震えた。


「そうじゃない、違う……」

「だったら、何が欲しいんだ?」

「あたしが欲しいのは、右手でもお前の命でもないっ」

「晶はどこだ」


 陽一が詰め寄ると、


「いやだっ」


 と、鬼が悲鳴を上げて、陽一を突き飛ばした。強い力に吹き飛ばされて、陽一は、一瞬、意識を失いそうになった。ハッとすると鬼がまたがって陽一の首を絞めていた。


「お前のせいだ。全て、お前が悪いんだっ」


 鬼が陽一の首に噛みついた。陽一が悲鳴を上げたが、鬼は噛みついたまま離れない。生温かい血が首から胸にかけて流れている。

 陽一はぼんやりとして、このまま死ぬんだと思った。鬼は朦朧もうろうとしている陽一に気づかずに叫んだ。


「そんなに喰われたいのなら、お前を全部喰ってやる」

「俺を喰ってもかまわない。けれど、晶を月へ還してやってくれ。頼むよ」

「……晶、晶、そればっかり」


 鬼は涙ぐんだ。そして、陽一の腕を引きちぎった。

 陽一はうつろに目を閉じながら、晶のためならいいや、と思った。その時、鬼の体が光った。

 鬼があっと言って、陽一の腕を口から取り落とす。見ると、膝をついてうめきだした。

 鬼が胸を押さえてもだえると、上半身がゆらゆらと揺れはじめて、体が二つに割れた。

 ひとつは、陽一の知っている晶に。もうひとつは鬼に。

 分裂した二人は一瞬、互いの顔を見つめあった。しかし、晶はすぐさま陽一の方へかけ寄った。


「陽一っ」


 晶の叫び声を聞いて、陽一は意識を失った。




 気を失ったのは一瞬だったのかもしれない。

 体が燃えているように熱くて、陽一は目を開けた。誰かの膝の上で目を覚まし、焦点の定まらない目をウロウロさせると、晶の心配そうな顔が見えた。


「晶……」


 陽一が名前を呼ぶと、晶が涙をこぼして肩を抱きよせた。


「陽一」

「やっと会えた……」

「今、血を止めている。もう少しの我慢だぞ」

「俺は大丈夫だよ。心配するな」

「心配などしておらぬ」


 晶は涙を拭いたが、白い頬に血がついた。陽一は手を伸ばして拭いてあげようとしたが、自分の腕に感覚がないことに気付いた。そう言えば鬼にちぎられたのだった。

 右腕がなくても気持ちは落ち着いていた。


「お前の綺麗な顔が汚れるから、もういいよ」

「いいわけないっ」


 その時、もうひとつの手が伸びて、陽一の肩に触れた。鬼が悲しげな顔で自分を見ていた。


「あたしも手伝う」

「二人?」

「晶に叱られた。そして、あたしたちはもう一つには戻れない」


 そう言うなり、鬼が泣き出した。


「晶になりたかった。また、あたしは一人ぼっち」


 鬼は、晶になりたかったのか。

 陽一は、鬼の気持ちを知ってかわいそうだと思った。


「俺が友達になってやる。お前は一人じゃないよ」

「ダメだ、陽一。お主は人間。ただ、我らに巻き込まれただけのこと。すぐにお主の家に還してやる。だから、体を治すことに集中しろ」

「俺の腕はないの?」

「そうではない。接合すれば元のように動く」


 晶が必死で言う。しかし、晶の手は震えていて、陽一は自分の体がどんどん冷たくなっていくような気がした。

 その横で鬼はそばでめそめそしていた。


「翁が……翁が死んで以来、あたしは一人ぼっちになった」


 鬼が突然、話し始めた。陽一は、ゆらゆらする頭で声だけを聞いていた。


「人が恋しくて、山を下りる理由を考えた。村人たちの穢れを吸えば喜んでくれる。人のためになることをしようと思った。でも、そのうち穢れを吸い過ぎたのか、心がもやもやしてきた。そんな時、赤猪子と出会った。赤猪子は村人たちから除け者にされていた。あたしは赤猪子を屋敷へ連れてかえり、一緒に暮らすようになった。初めての友達だった。でも、赤猪子をあの男はめちゃめちゃにしようとした。その時、あたしは初めて人間を殺した。気が付いたら食べていた」


 鬼の心を砕いたのが、かつての自分の兄だと思うと、心が痛んだ。


「ごめんな。傷つけてごめん……」

「もうよい、しゃべるな」

「ねえ、晶も陽一もここに一緒にいようよ」


 鬼が、晶の袖を引いて頼む。晶は首を振った。


「それは叶わぬ夢じゃ。我は月へ還り、陽一は地球へ還る。お主は、叔父上と一緒に暮らすのじゃ」


 そして、空中に向かって懇願した。


「叔父上、助けてくだされ」


 そう言うと、ぽっと小さい明かりと共に夜久弥が現れた。


「ここにいたのか」


 そう言ってから陽一を見て顔をしかめた。


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