第35話 我が名は。




「やめろっ」


 気が付けば陽一はうぐいす姫の元へ駆けだしていた。

 前世で、陽一の兄だと名乗る男はうぐいす姫に短刀を切りつけたが、皮膚に触れただけで折れてしまった。


「くそっ」


 男が叫んで、うぐいす姫の首を絞める。うぐいす姫がもがき、男をどけようとした。しかし、男は必死でうぐいす姫を抑え込んだ。


「陽一っ、加勢しろっ」

「あ、あんた、やめろよっ」

「俺の言うことを聞けっ」

「あんたなんか、知らねえっ」


 知るはずがない。

 陽一は大太刀を捨てて無我夢中で二人の間に入った。

 うぐいす姫が男を突き飛ばし、陽一の肩に噛みついた。


「あっ」


 陽一が悲鳴を上げると、うぐいす姫はハッとして口を離した。左の肩から生暖かい血が流れ出す。

 男はすぐに落ちていた大太刀に駆け寄りそれを拾い上げた。が、すぐに手を離した。

 男の手が燃えている。


「う、うわあああっ」


 男は叫ぶと、頭から血を流した沙耶がふらふらしながら駆け寄って男の手をぎゅっと握ると地面にこすりつけた。砂をかけて必死で火を消そうとしている。

 地面に落ちた大太刀は意思があるかのように、陽一の方へ浮かんで戻ってきた。


「晶……」


 陽一は靴のかかとに当たる大太刀を手に取った。再び戻って来た大太刀の柄を握りしめる。

 沙耶が恨みのこもった目でうぐいす姫を見た。そして自分の手のひらを上に向けると、黒水晶が手から出現した。それをうぐいす姫に投げつけた。

 ぽとりと落ちた黒水晶から光る輪が現れ、うぐいす姫をがんじがらめにした。

 沙耶は力が尽きたようにその場に座り込んだ。


「さやちゃん、もうやめろっ」

「今よっ」

「うぐいす姫が何をやったって言うんだよっ」

「お前は黙れっ」


 男は起き上がると焼けた手でうぐいす姫に飛びかかった。うぐいす姫と二人地面に転がる。しかし、男の四肢がぐったりして横たわると、みるみるうちに血が流れ出した。


「あ……」


 うぐいす姫の手かせは外れていて、手には血がついている。

 鬼がかなしげな顔でこちらを見た。


「陽一、れ」

「え?」


 陽一が息を呑む。

 もう一度、うぐいす姫が言った。


「早く、我が抑えられるのはわずかなときしかない」


 晶の声だ。

 陽一はためらった。思わず首を振る。


「いやだ、晶……お前、晶だろ?」

「我は鬼である。早く鬼を殺せ」


 晶の声で、鬼が言う。

 陽一は首を振った。


 ――こいつは鬼だ。


 目の前にいる鬼は人々を苦しめた鬼だ。晶じゃない。陽一は自分に言い聞かせた。でも、違う。鬼の中に晶がいる。


「いやだっ。晶なんだろ。俺はお前を殺したくなんかないっ」

「お主がやらなきゃ、誰にも鬼を殺すことはできぬっ」

「いやだ、俺はやりたくないっ」

「陽一、陽一郎っ、我の願いを聞き入れてくれっ。大丈夫じゃ、我はすぐに甦る。もう一度、会える。我はお主を探すと約束する」


 陽一は歯を食いしばった。

 鬼と目があった。


「陽一、次は我だけをデートに誘ってくれるか? 我が好きなものは知っておろう?」

「ア、アイスだろ……?」


 鬼は、陽一を見るとにこりと笑った。

 

「あ、晶……」

「我が真名は婀姫羅あきらじゃ」


 晶が頷いた。


「う、うわあああーっ」


 陽一は叫び、全力で走りながら、三輪守を晶の胸に突き立てた。刃の切っ先が心臓を貫き、晶の小さな体が震え、大太刀は深く埋め込まれていった。

 晶が目を見開き、薄い唇を動かした。


「……礼を言う。陽一」


 晶はゆっくりと目を閉じた。

 陽一が大太刀を引き抜くと血がほとばしった。鬼の姿が人の形へと戻っていく。

 細長い手足、晶の肌は陶器のように真っ白になり、初めて会った時のショートヘアへと変わった。どさりと地面に晶が倒れる。

 三輪守が陽一の手から音を立てて落ちた。陽一は倒れた晶に駆け寄った。膝の上に抱き上げると、ぐったりとした晶の体から血が流れ出した。


「おい……っ」


 陽一は震える手で晶の体を支えようとしたが、血がぬるぬるしてうまく支えられない。


「晶……?」


 わけが分からず血を止めようと胸に手を当てたが、止められない。


「嘘だろ……」


 陽一は信じられずに腕の中の晶を抱きしめていた。

 心は焦っていた。

 甦るって言ったじゃないか。もう一度会えるって言ったのに。何で?


 陽一は大きく深呼吸をして自分を落ち着かせては晶を見て何も変化がないのを不安に思い抱き寄せた。晶はピクリともしない。


「おい……晶……」


 その時、


「よくやった陽一くん」


 声のする方を見ると、そばに夜久弥が立っていた。


「……え?」


 夜久弥は呆然としている陽一の腕から晶をそっと奪った。


「ま、待って……」


 夜久弥が、晶の胸の傷口に手を当てると血が止まった。彼は陽一に笑いかけた。


「約束なんだ。晶は僕がもらうことになっていたから、ようやく僕は独りぼっちじゃなくなる。だから、連れて行くよ」

「ちょ、ちょっと待ってよ……」


 約束ってなんだよ。

 夜久弥の姿が消えると、陽一の手には晶の流した血だけが残っていた。


「陽一さまっ」


 突然、舞の声がした。見ると暗闇から舞が走って現れた。流稚杏と舞の兄、俊介や月の騎士もいる。

 舞はもつれる足を必死で動かし陽一のそばにしゃがんだ。


「一体何があったのですか? この血は? 晶さまは?」

「晶は、俺が……この大太刀で刺した……。そしたら、夜久弥さんがやって来て晶を連れて行った」

「え?」


 陽一は自分の口で説明をしているうちに、とんでもないことをしてしまった事に気づいた。


「だって、甦るって言ったから、死ぬことはないって……」

「陽一さま、詳しく話してくださいませっ」

「うぐいす姫が俺に、この刀で殺してくれって言ったんだ。必ず甦るから大丈夫だって……。なのに、あんなにたくさん血を流して晶は意識がなかった。死んでしまったのか?」


 陽一が戸惑うと、俊介がそばにやって来てしゃがみ込んだ。舞の肩を抱き寄せる。


「姫さまは死ぬことはない。しかし、陽一、お主は三輪守の大太刀でえにしを断ち切ったのだぞ」

「え? どういうこと? 晶はもう一度、生まれ変わるんだろ?」


 理由を知った舞は顔を覆うと首を振った。


「いいえ……。陽一さま、あなた方はもう二度と会えません」

「ど、どういうことだよっ。晶は俺にデートに誘ってくれって言ったんだ」

「あなたが手をかけたことによって、お二人の縁は切れました」

「だって約束したんだ……。俺たちはもう一度、出会うって……」


 その時、晶の兄の慶之介が現れて陽一に言った。


「夜久弥と申したな?」


 陽一は答えられなかった。頷くしかできずにいると、それを確認すると慶之介が命令を出した。


「ハンターを全員捕らえて記憶をすべて奪い、ここで起きたことの痕跡を消せ」


 そう言うと、落ちていた大太刀を手に取ると消えた。

 舞が、陽一の方を見て頭を下げた。


「ごめんなさい……。陽一さま、さようなら」


 俊介に抱えられ、舞も消えてしまった。月の騎士たちが倒れている沙耶や他のハンターたちを集めて何か作業を始めた。


 あっという間にその場所がきれいに片付けられていく。

 陽一だけがその場に取り残されていた。呆然としている間に、自分の手のひらの晶の流した血も、何もなかったように消えていた。


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