第33話 眩暈




 ハンターたちの穢れを多く吸い続けているうちに、うぐいす姫は気分が悪くなり、眩暈がし始めた。軽く瞬きをすると、新太郎がすぐに気付いた。


「どうした? もう、しまいか」

「まだじゃ……」


 これほどたくさんの人間の穢れを吸ったのは初めてだ。

 昔は鬼に心を奪われたが、今のうぐいす姫は理性を保っていた。しかし、体はすでに鬼へと変化している。

 金色だった髪は灰色になり、目の色は完全に赤い光を失い、白っぽく変わっている。牙はもうおさめる事はできないだろう。

 しかし、うぐいす姫……、晶はこらえていた。


 晶のそばではハンターたちが覆いかぶさるように倒れていた。晶が穢れを吸ったおかげで深い眠りについた者たちばかりだ。


「新太郎よ、この者たちを里へと連れて行ってやるのじゃ。我は自分を抑えるのに精一杯でそこまで及ばぬ。月の者たちに頼むのもよいが、彼らがやってくれるかはどうか分からぬがの」


 晶の冗談に新太郎は笑わなかった。彼は残った一人のハンターに命じた。


「レイ、この眠っている奴らをどうするか沼田さんに相談しろ」

「え? 待てよ。俺はどうなるんだ。俺の穢れもこの鬼に吸い込んでもらいたい」


 レイと呼ばれた若い男が怒鳴った。晶は正気を保ちながら、沼田という新たな名前を記憶に刻んだ。

 聞いたことがないの……。


「我は逃げぬ。ほれ、こうやって縛られておるからの」

「鬼の言う事は信用できんっ」


 レイという男は噛みつくように言うと、晶の髪をつかんで引っ張った。


「お前を見ていると胸が悪くなる。本当はこうやって今すぐ殺してやりたい。でも、この憎しみを生涯背負っていくのは嫌だから、お前の言い分を聞いてやってんだ」


 レイは目をぎらぎらさせて勝手な事を言った。晶は、鬼が今にも飛びだしそうになるのをぐっと抑えた。


「お主、我を挑発するな。限界があるのでな」

「レイ、いい加減にしろ。これほどの穢れをこの女は一人で背負っているんだぞ」

「チッ。確認してくるよ」


 レイはそう言うと、二人から離れて行った。新太郎と二人だけになり、晶は大きく息を吐いた。

 まわりは屍のように横たわるハンターたちでいっぱいだ。これを見たら誰でも誤解するだろう。陽一が見たら、何を言っても言い訳にしか聞こえまい。


「鬼よ」


 新太郎が、晶の顔をのぞき込んだ。晶は鋭く相手を見返した。


「我に近づくな」

「まあ、そんなつれない事を言うなよ」

「その顔を近づけるな」


 晶が言うと、新太郎が手を上げて晶の頬を殴った。ハンターが触れるとその皮膚は焼けただれる。しかし、晶の体は鬼になりかけており、すぐに皮膚は再生された。


「お前は鬼だ。もう、姿形は鬼そのものじゃないか」

「先ほども申したように、それ以上、我を挑発すると痛い目を見るぞ」


 晶の声がしわがれて、別の声になる。新太郎はぞっとして後ずさりした。しかし、晶の手足がまだ囚われているのを確認して、近づいてきた。


「三つの宝玉ほうぎょくをどこにやった?」

「……え?」


 晶がハッとして顔を上げると、新太郎の顔つきが今までと別人のようになっていた。


「……なんの話ぞ?」

「むかし、月から地球へ逃げて来た時に同時に送り込まれた宝玉ほうぎょくだ」

「そうか……。おのれらの本当の目的はアレだったのか」


 エネルギーの塊である宝玉の事を新太郎は言っている。

 昔、レアンという宇宙種族が月を襲ったのは、ムン族が所有しているエネルギーの詰まった石を手に入れたかったからだった。


「どこへやった。今すぐ教えろ」

「知らぬ。我は持っていない」

「嘘を言うなっ」


 新太郎は晶の肩口を刀で切りつけた。

 しかし、晶の肉体は鬼となっているため、少しの傷しか付けられず、刀はぽきっと折れた。

 新太郎は倒れているハンターの短刀をつかむと、再び襲いかかった。

 晶は無意識のうちに手を動かし顔をかばった。いつの間にか黒水晶が砕け散り、無意識に新太郎へと襲いかかっていた。

 新太郎の悲鳴が耳に届く。その悲鳴を聞いてレイと言う男が戻ってきた。


「おいっ。何をして……」


 晶が、新太郎に襲いかかっているのを見ると、レイは後ずさりしてその場から逃げ出した。

 ハンターが一人逃げていく。

 陽一のためにもハンターは、この場にとどめておきたいと思っていた。


 しかし、晶の体は鬼に支配されつつあった。

 晶は手を震わせながら、新太郎から体を引いた。自分の利き手を握りしめ、膝をつく。新太郎から目を逸らし、意識を集中させた。


「……お前、はよう逃げろ。逃げるのじゃ」


 晶は叫んだが、興奮している新太郎には届かなかった。彼は刀を持ちかえると、晶へと飛びかかった。晶はできるだけ相手を傷つけまいと体を丸めるようにした。新太郎は、晶の髪をつかみ短刀を肩へと突きつけた。肩に亀裂が入り血が噴き出す。しかし、再生が早く鬼の体に傷をつけることはできない。

 晶は手を振り払い、新太郎の体を弾き飛ばすと背後で悲鳴が上がった。


「新太郎さんっ」


 ハンターの女が駆け付けてくる。後ろには陽一が立っていた。

 晶は目を見開いた。


 陽一っ。

 女の手には三輪守が握られており、彼女は晶を見ると、刀身を抜いた。女の体よりもはるかに大きな大太刀を振り上げる。


「許さないっ」


 晶は、大太刀を避けるつもりはなかった。鬼の体を傷つけられるものは三輪守以外にないと思っていた。

 女の振り上げた刃が、晶の腕を切りつけた。血が噴き出す。


「うぐいす姫っ」


 陽一が叫ぶ。

 晶と呼ばなかった。

 一瞬、陽一郎が目覚めたのだろうかと思った。だが陽一は、晶の体がすぐに元に戻ったのを見て後ずさりした。


「お、鬼……」


 呟いた言葉が胸を刺した。晶は、三輪守の力を持っても自分を傷つけることができないと知り、愕然とした。


「皆、早う、この場を立ち去るのじゃ。今なら鬼を抑えることができる」

「何を言っているのっ」


 女は諦めず晶に挑みかかった。

 晶は次第に、心まで鬼が支配してゆくのを感じていた。手が勝手に相手の手首をつかむ。女の手首が切れて血が流れ出し、顔が痛みに歪んだ。その顔を見て晶は我に返った。歯を食いしばり女から離れた。


「さやちゃんっ」


 陽一が叫んで、女をかばった。


「うぐいす姫、やめろっ」

「陽一くん、これを使って」


 女が三輪守を差し出した。陽一が受け取ろうとしたが、すぐに手を止めた。


「陽一くんっ。お願い、このままではみんな、鬼に殺されるわ」

「でも……」


 陽一がためらっている。

 晶は一瞬、意識を失いかけて両手をついた。次に顔を上げた時、鋭い目を向けて四つん這いになり、二人に襲いかかった。

 陽一の体が吹き飛び、彼は倒れざま頭を抱えた。女は弾き飛ばされ、その時、手から三輪守が離れた。三輪守は陽一のそばへ落ちた。


「取って……」


 女は頭から血を流し、絞り出すように言った。


「陽一くん、仇を取って。そこに倒れているのはあなたのお兄さんよ。鬼に殺されたあなたのお兄様よ」

「俺のあにき……?」


 陽一はくらくらする頭を押さえて倒れている男を見た。

 その男は見たこともない、自分とは似ても似つかぬ男だった。

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