第32話 不快な音



 新太郎の姿を見たうぐいす姫は、一瞬、目を大きく見開いたが納得したように頷いた。


「そうか、お主の記憶まで……。にしても、ずいぶん早くこの場所が分かったの。どのようにして知ったのか」

「お前が知る必要はない」


 新太郎はゆっくりと社の方へ近づいて来る。

 これからこの男と話をしなくてはならない。息を吐いて顔を上げた時、うぐいす姫の顔は笑っていなかった。

 そして、突然、境内を降りて彼らに近づくと、膝を折ってその場に安座した。新太郎が足を止めて眉をひそめる。


「鬼、何のつもりだ」

「我と取引をせぬか?」

「取引?」


 新太郎が目配せをすると、ハンターたちがうぐいす姫の周りを取り囲んだ。それでも、うぐいす姫は新太郎だけを見つめた。


「我を殺しても、お主らの憎しみは消えることはなく、行き場のない怒りを抱いたままであろう。我は死者を出したくない。取引とはお主らの穢れを全て呑んでやる」


 新太郎は目を見張ったが、すぐに顔を引き締めると腰に帯びていた刀を抜いて、うぐいす姫の首筋に当てた。


「取引と言ったな。お前は何を望んでいるのだ」

「我の望みは鬼を消すこと」

「何?」

「我はまだ、鬼と晶との境目におる。今なら晶として死ぬことができる。鬼に魂を奪われて死ぬのは嫌なのじゃ」


 新太郎は少し考えて刀を鞘へ戻した。

 他のハンターたちからざわめきが起こった。新太郎が手を上げると、皆が静かになる。


「……いいだろう。鬼の望み、叶えてやる」

「かたじけない。さあ、我が暴れぬよう手足を縛ってくれ」


 両手を差し出すと、新太郎は周りのハンターに目配せした。ハンターの一人が例の黒水晶を取り出した。それを見たうぐいす姫は顔をしかめた。

 黒水晶からは異様な力を感じる。見ているだけで気分が悪くなる。


 ハンターが黒水晶をうぐいす姫の膝の上に置くと、たちまち光る輪が現れ、首元、胸と腰、両足首まで皮膚を食い込むほど縛りつけた。

 しかし、手首だけは穢れを吸うために自由に動けるようにしている。


「よい。さあ、誰から始めよう」


 身動きの取れなくなったうぐいす姫に、年かさのいったハンターの男がよろよろと近づいた。


「うぐいす姫さま……」


 過去に村人だった記憶を植え付けられたハンターは穢れを吸ってほしいがためにひざまずいた。


「わしからお願いします。この世で生きる苦しみを全て取り除いてくだされ」

「主の手を貸しなされ」


 うぐいす姫が手を差し出すと、男が皺だらけの手を乗せた。うぐいす姫は手のひらから穢れを吸収した。男の顔が安らかになると、ふわっと体が傾いだ。


「あっ」


 新太郎が慌てて駆け寄ると、男は眠っていた。


「案ずるな、この者はもうハンターとなることはない。我のことも覚えておらぬ」


 ハンターたちのざわめきが起こると同時、彼らは一斉にうぐいす姫に手を差し出した。うぐいす姫の赤い瞳がほんの少し光った。




◇◇◇




 うるさい。うるさいっ。何だ、この不快な音は。

 静けさを破る音は耳元で鳴っているようだ。陽一は目を閉じていたが、どこかで鳴るその音に苛々した。


「もう、やめろっ」


 横になっていた陽一は思い切り手を振り上げると、ばりっと何かが破れる音と、ぷつん、と糸が切れる感覚に目を覚ました。


「な、何だっ?」


 不思議な感覚にハッとして目が覚める。

 いつの間にか古ぼけた御簾のある部屋で寝かされていた。しかし、その御簾は斜めに斬られていて、ちぎれかけた簾がどさっと畳の上に落ちた。


「な、なんだここ……」


 その時、窓の外からガシャガシャとガラスをたたく音に気付いた。回廊から腰高障子のガラスを必死でたたく沙耶が見えた。


「さやちゃん……?」


 陽一は起き上がってから額を押さえた。さっきの不快な音は沙耶が叩いていたガラスなのだと知る。

 それにしても、やけに頭がクリアになっている気がする。しかし、なぜか胸が痛く重苦しい気持ちで、気分はあまり良くなかった。

 のっそり起き上がり障子を開けた。沙耶が驚いた顔をした。


「さやちゃん、どうしてここに?」


 沙耶は陽一の質問には答えなかった。その代わり恐る恐る手を出して、


「嘘……。さっきまで結界が張ってあったのに……」


 と呟いて、土足で中に入ってきた。


「さやちゃん、靴を脱がなきゃ」

「平気よ。鬼の棲みかだもの」


 陽一はムッとした。ハンターだからって何をしてもいいわけじゃない。

 しかし、沙耶の様子を見ていると、そんな細かい事を言える感じではなかった。


「あなたを呼びに来たのよ」

「さやちゃん。もうやめようよ」

「今宵は新月よ。急がなきゃ」

「え?」


 沙耶はそう言いながら、サングラスをかけた。


「あなたもかけて」


 陽一は、ここへ来てサングラスをかけた事を思い出した。

 ポケットのサングラスを取り出して眺めているうちに胸騒ぎがした。


「もしかして、俺がここにいるって知ったのは、これのせい?」

「ええ。悪いけど、GPSが仕込まれているわ」

「なんでそんな事……」


 陽一が絶句する。

 サングラスを持っているだけで、居場所が知れてしまうのだ。


「うぐいす姫と接点があるのは、あなたしかいないもの」


 悪びれもせず沙耶は言う。


「早く、新太郎さんたちは本殿の裏にいるわ。わたしたちも合流しましょう」


 沙耶が何を言っているのか、さっぱり分からなかった。


「嫌だよ、俺はもう関係ない。早く家に帰らせてくれ」

「何を言っているの。あなたは言ったじゃない。どうやったらうぐいす姫を殺すことができるのかって。約束したでしょ」


 確かに自分は言った。あの時は、うぐいす姫が憎くて仕方なかった。

 だが、今は違う。殺したいと思うほど憎めない。うぐいす姫は、鬼の姿をしていたが、殺す理由がない。

 殺したくない。


「俺の事は放っておいて。俺は運命の相手じゃないし……」

「まだ、そんなことを言っているのっ?」


 沙耶は叫んでから、陽一の背後に落ちている大太刀に気付いた。


「あれは?」


 陽一の目には、その刀から異様な気配を感じられた。二人は刀に近づいた。陽一郎が触ろうとすると、どこからか声がした。


 ――触らない方がいい。


 ハッとする。

 夜久弥の声だと気付く。陽一は辺りを見渡したが姿は見えない。沙耶には聞こえないのだろう。眉をひそめて陽一を見ている。


「陽一くん?」

「いや、何でもないよ。この刀は不気味だ」

「これは大太刀よ。あなたが使わないのなら、わたしが使うわ」

「えっ?」


 止める前に沙耶が大太刀を手に取った。

 重くないのだろうか、と心配したが、沙耶は軽々と持つと、踵を返して走りだした。


「ど、どこへ行くんだよっ」

「みんなの所よ。あなたみたいな意気地なしはもう必要ないわっ」


 女の子に言われた事がショックだった。

 陽一は唇を噛むと、苦々しい顔で沙耶を追いかけた。

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