第28話 陽一の気持ち



 三輪山みわやまにある社は、うぐいす姫が翁と暮らしていた頃は、もっと深い森で獣道もなく滅多に人は入ってこられない環境にあった。

 しかし、赤猪子が祀られるようになってからは、道が新たに整備され神社と呼ばれるようになった。



 その社にて、うぐいす姫は暗闇の中でうずくまり、ため息をついた。

 とうとう陽一をここへ連れてきてしまった。

 胸が痛む。そして心がざわざわする。


 うぐいす姫は自分の手を見た。爪の長さが元に戻らない。鏡を見るのも怖かった。頬にあたる牙の感触も昔を思い出される。

 あれから幾度も月日を超えてきたが、ここまで鬼を解放したことは初めてだった。

 我はまた、鬼になるのだろうか。不安が取り巻く。


「ここにいたんだ」


 背後から陽一の声がして、うぐいす姫はさっと扇で顔を隠した。不意のことで体がわずかだが揺れた。

 陽一郎がなぜここに。うぐいす姫は一瞬、動揺した。


「あ、ごめんなさい、脅かして」


 陽一の声が近づいてくる。うぐいす姫は顔を見られまいと目を伏せた。陽一はそれに気付かずに背後に近寄るとしゃがみ込んだ。


「さっきさ……赤猪子さんに言われてから俺、ちょっと考えたんだ」


 陽一が勝手にぽつりぽつりと話し出す。うぐいす姫は首を傾げ、黙って聞いていた。


「あの……それで、晶と話せないですか?」

「ん?」

「俺たち、ケンカしちゃって。俺、晶に結構ひどいこと言ったから……」


 晶が言ったことはもちろん覚えている。自分が言った言葉だからだ。

 うぐいす姫はクスッと笑った。


「晶にも聞こえておるぞ。言ってみよ」

「聞こえているって……。今、晶はどうしているんですか?」

「晶は休んでおる。穢れを吸い過ぎたためじゃ。そのため我が代わりに出てきた」

「じゃあ……」

「心配するな。晶は大丈夫じゃ」

「でも、あの……うぐいす姫は本当に人を食べる鬼なの?」

「我は鬼でも、人を喰ったりなどせぬ」

「ご、ごめんなさい。さっき俺、ひどいこと言って」

「気にしておらぬ。さあ、晶に言いたいことがあるのだろ? 申してみよ」


 うぐいす姫は口元を扇で覆ったまま笑った。陽一は、扇で顔を隠すうぐいす姫をじっと見ていたが、ようやく話し始めた。


「じゃあ……。なんで晶は、俺のこと陽一郎じゃないなんて嘘ついたんだよ」


 うぐいす姫は言葉が出なかった。すぐに言いわけを考えねばと思った。


「俺、ちょっと嫌だった」

「……陽一郎も見たであろう? 我の中にはもっと邪悪な鬼がいて、ハンターはそれを殺そうとしている」

「殺すって……。さやちゃんたちは本気で考えてるのかな」

「残念だが、ハンターは本気だ。だから、晶は、お主を巻き込みたくないから嘘をついたのだ」

「俺のため……?」


 陽一は何か思案しているように見えた。


「それ、嘘じゃないよね……?」

「え?」

「晶って、言葉遣いは偉そうなくせに、なんかほっとけないんだよ。一人じゃ何もできないくせに、できますって言う顔しているし。強がりみたいな素直じゃないところがあるから。だから、気になる……」


 なんだかひどい事を言われているような気がしたが、うぐいす姫は思わず笑った。


「おかしいかな、俺の言っている事」


 陽一が困ったように言う。

 そうか……。お主は我をそのように想っておるのだな。


 うぐいす姫は顔を隠したまま答えた。


「お主なりに考えてくれたのだな。すまぬの、陽一郎」

「あの……」

「うむ?」

「俺、いつまでここにいるのかな」

「そうじゃな。我はもう少しお主に用があるのじゃ。そのために連れてきた」

「んー、帰っちゃダメ? 母さんが心配していると思うし」

「陽一郎殿っ。ここにおったのか!」


 突然、怒鳴り声がして、赤猪子が現れた。


「目を離した隙に姫さまの元へ行くとは何事ぞっ」

「別にいいだろ」


 陽一が口を尖らせる。

 赤猪子はちらりとうぐいす姫を見ると、陽一の腕をつかんだ。陽一が慌てて立ち上がる。


「姫は今考え事をしておるのが見えぬのか、一人にしてやるのじゃ」


 ぴしゃりと言って、強引に連れて行かれた。

 うぐいす姫はふふふと笑って、立ち去る二人を見送った。


 空を見上げる。

 徐々に新月になる。指先まで力が溢れているのが感じられた。


「もう時間がない。おばば、頼む」


 晶は一人ごちた。

 そして、震える膝を支えながら立ち上がった。


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