第27話 逃げるのか



 赤猪子はお盆に食べ物を乗せて運んできてくれたようだった。


「陽一郎殿。まだまだ宵の口じゃ。空きっ腹に酒はきつかったようだな」


 にやりと笑って、お汁と麦飯を床に置いた。


「何もないよりはましだろ」


 陽一はお腹が空くのを感じた。


「い、頂きます」


 手を合わせてから箸を取りお汁を飲む。温かいお汁は優しい味噌の味がした。


「うまい……」


 よほどお腹が空いていたのか、陽一は一気に飲み干した。麦飯もおいしい。

 がつがつと食べてしまうと、ほっとした。


「若いのお」


 ほほほと赤猪子が笑う。


「ごちそうさまでした。あの……」

「ん?」

「うぐいす姫はどこにいるんですか?」

「姫は奥で休んでおる」

「あの……」


 陽一はもじもじと体をゆすった。すると、赤猪子が笑った。


かわやかえ?」

「へ?」


 厠とはトイレのことだとかろうじて理解する。陽一はぶるぶると首を振った。


「ち、違いますっ」

「厠なら社の外じゃ」

「だから、違いますって。あの、俺、家に帰りたいんですけど」

「せっかく来たばかりなのに帰ってしまうのか?」


 赤猪子が悲しそうな顔で言った。陽一は、なんとなく申し訳ない気持ちになってしまう。


「お、俺は陽一郎の生まれ変わりじゃないんですよ、勘違いです」

「陽一郎殿ではないと?」

「ええ」


 晶がそう言ったのだから。


「けれど、記憶があるのでは?」

「ないっスよ、俺、何にも覚えていませんから」

「はあ……」


 赤猪子が大きなため息をつく。


「そうやって逃げるのか、ずるいおのこよ」

「えっ?」


 陽一の心臓がどきんと跳ね上がった。

 赤猪子の険しい顔がぐっと近づく。


「陽一郎殿」

「近いっスよ、ばあちゃん」


 たじたじと陽一は後ろに体を引いた。


「そなた、自分の過去の記憶を他の者の口から聞きたいか?」

「は?」

「真実を知りたければ、そなた自身で記憶をたどるのが筋。他の者が言うことをどこまで信じられる」

「それってさやちゃんのことを言ってんの?」


 陽一は目を吊り上げると、赤猪子は大きくため息をついた。


「ハンターも真実を告げたであろうが、どこかで曲解しておる。わしはそう思う」

「ばあちゃんは知っているんでしょ?」

「ぬ?」


 赤猪子が目をぎょろりとさせて陽一を睨んだ。


「何だと?」


 赤猪子の迫力に陽一は体をすくめた。これ以上何か言うと、相手を怒らせるような気がしたが、口が滑る。


「思い出したいけど、できないんですっ」

「思い出すことが後ろめたいのか?」

「何がですか」


 つい、むきになってしまう。

 赤猪子はじろりと陽一を睨んだ。


「そなたは過去に犯した罪を償うつもりがない」

「俺はそんなひどい事をしたんですか?」

「自分の胸に聞いてみろ」


 陽一は自分の胸に手を当ててみたが、変化はない。

 赤猪子は空になった容器を盆に乗せて、手に持つと立ち上がった。


「とにかく、ここなら静かに考えごとができるはずじゃ。限りある時間を大事にして、少しはその空っぽの頭で考えてみなされ」


 ひどい言葉を投げつけると、赤猪子は出て行ってしまった。


「何だあれ、空っぽの頭って……」


 当たってるけど……。

 陽一は自分がアホであることを重々承知していた。

 ごろりと仰向けになって天井を見る。木目を数えているうちに、だんだんと眠くなってくる。


「やべえっ」


 言ったそばから頭が空っぽなのを証明しているようなものだ。

 陽一は起き上がった。今度は膝を抱えて考える。


 どうして俺たちは出会ったんだろう。

 どうして俺はうぐいす姫の元へ行かなきゃって思ったのかな。

 口に出して考えて見た。


 自分なりに考えてみようと真剣に思った。そして、陽一は何を思ったのか、うぐいす姫を探そうと立ち上がった。

 彼女がいなくなった暗闇の方へ足を向けた。




◇◇◇




 俊介と連絡ができなくなってしまった月の騎士たちは、すぐさま晶の義兄である慶之介に報告をした。

 不審に思った慶之介は自らが地上へ降りることにした。

 晶の暮らすマンションの部屋に着地するなり慶之介は、俊介たちが倒れているのを発見した。


「俊介、起きられよ」


 俊介たちは眠らされていた。すぐに鬼の力だと見破る。

 慶之介は、俊介の肩を揺すると、すぐに術は解けるようになっていたのだろう。ややあって目を覚ました。

 頭を押さえてしばらく呆けて見えたが、慶之介の顔を見ると青ざめた。


「殿下……。なぜ、ここに?」

「そなたと連絡が取れないと報告を受けた。気になって様子を見に来たのだが……。これは婀姫羅あきらの仕業か?」

「姫さまは?」

「ここにはおらぬ」

「そんな……」


 流稚杏るちあと舞もようやく目を覚ました。


「流稚杏、そなたまでやられたな」


 慶之介の声に流稚杏は軽く頭を振った。


「殿下、わらわの失態じゃ」

「気配をたどれるか?」

「うむ。鬼の気配なら、たどれると思う」


 流稚杏の顔は険しい。舞が拝むように手を合わせた。


「流稚杏様、お願いいたします。わたくし、不安でたまりません」

「舞、案ずるな、姫はそなたが悲しむのが一番にこたえるのだからな」

「は、はい……」


 舞は涙をこらえようとしたが、次々と涙が溢れてきて困った。


「晶さまはわたくしの手を離さぬとお約束いたしましたのに、なぜですの?」


 問いかけたが、晶に届いたか自信はなかった。

 そのそばで、目を閉じて気配を手繰っていた流稚杏が目を開いた。顔つきが険しい。


「おかしい……」

「どうだ? 婀姫羅あきらは見つかったか?」


 慶之介がたずねると、流稚杏は首を振った。


「姫の気配がない」

「そんなはずはない」


 流稚杏は自分の唇に指を添えて考えた。


「わらわは鬼を押さえ込むために、姫から呼び出された。何か考えがあったのであろうか……?」

「姫さまは穢れを吸ったために、自分では鬼を抑えられないとおっしゃっていましたが……」

「そうであったな」


 ――鬼が出てこようとしたら、わらわなら分かる。


 流稚杏の言葉を聞いて、慶之介が顔をしかめる。


「おとりか……」

「え?」


 慶之介の言葉に俊介が顔を向けた。


「婀姫羅は最初からそのつもりだったのだ。流稚杏を呼び寄せ皆を安心させようとしたのだろう」

「つまり、姫様は最初から計画を立てて?」

「ああ、裏をかかれたと言うことだ。流稚杏がいることで皆を油断させておいて、自らハンターと接触するつもりなんだろう」

「どういう意味ですの?」

「つまりじゃ……」


 流稚杏が苦しそうに言った。


「わらわがおれば、鬼を抑えられるという言葉を信じて皆は姫とわらわを信じる。その信じる心の隙をついて姫は自由に動けるんじゃよ」

「陽一を……探し出せ」


 慶之介が唸った。



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