第26話 発動
陽一の言葉を聞いて、鬼の顔が歪む。
「その呼び名は嫌いじゃ、我が名はうぐいす姫である」
「うぐいす姫……」
スマホを握りしめる手に力がこもった。鬼はそれに気付かず、にこにこと陽一を見つめていた。陽一はぶるるっと震えた。
「お、鬼、俺に近づくなっ」
「陽一郎、迎えに来た。我と参ろうぞ」
「へ?」
うぐいす姫が陽一の腕をつかむと、ふっと浮かび上がった。空には月が出ていたが、ほとんど欠けていた。
「月はまぶしくて
うぐいす姫がまぶしそうに目を細めると、速度を速めて動き始めた。
足元は真っ暗闇が広がっている。陽一は恐怖で意識を失いそうになりながらも、うぐいす姫の手につかまったまま逃げられずに空を飛んだ。
「ど、どこへ行くんですか?」
知らずうちに敬語になる。鬼はにたりと笑った。
「我らの
「晶は? あいつはどこへ行ったんですか?」
「晶とは我の事、我の中に晶はおるぞ」
陽一はとっさに晶の名を呼ぼうと思った。しかし、
「無駄じゃ、晶にはもう届かぬゆえ」
と、うぐいす姫が淡々と言った。
どういう意味だろう、と陽一は思ったが怖くて聞けなかった。
うぐいす姫は、陽一の手を取ったまますごい勢いで空を飛んで進んでいく。家々の明かりがあっという間に過ぎ去り、さらに進むと目の前に山が現れた。
「ほれ、見えて来た」
うぐいす姫がうきうきと言う。先ほどから腕に爪が食い込んで痛いのだが、陽一は言えずに薄ら笑いを浮かべた。
「あ、は、はい」
晶は、陽一のことを運命の相手ではないと言ったのに、どういうわけか鬼にさらわれているようだ。
うぐいす姫は真っ暗な山の中へ入っていく。林を抜けると、山の奥にぽつんと建つ社の中へ入った時、恐ろしくて体が震えた。
暗闇の中に建てられた社は今にも崩れそうだ。
「すぐに祝いじゃ」
金色の髪をなびかせ、うぐいす姫がかけ足にどこかへ行ってしまった。
今のうちに逃げ出さなくては。
陽一はあたふたとポケットからスマホを取り出した。
「んんん? それは何だ?」
突然、横から声がして、陽一は、どたっと尻もちをついた。
「な、ななな……」
声が出ない。
どこから湧いて出たのか、こちらも巫女装束の小さいおばあさんがそばに立っている。腰まである長い髪は真っ白で、皺の数も相当ある。小さい唇をすぼめて、じっとスマホを見つめていた。
「だ、だだだ、誰っ?」
おばあさんはしゃがみ込み、さっとスマホを手に取ると、かざしたり裏返したりとじっくり眺め始めた。
「
うぐいす姫の声が暗い方から聞こえてきた。手には銚子と盃を持っている。
陽一は眉をひそめた。
なんだ? 何をするつもりだ?
「祝いの酒じゃ、陽一郎が戻ったぞ」
うぐいす姫が陽気に笑っている。おばあさんは大きなため息をついた。
「姫、わしを陽一郎殿に紹介して下され」
「おお、そうであったの」
うぐいす姫は鋭い牙を見せてにっこりとほほ笑むと、
「陽一郎、お主、おばばを覚えておるか?
と紹介した。
「アカイコ?」
「赤い猪の子と書きます」
赤猪子がお辞儀をする。陽一はつられて頭を下げた。
「陽一です」
「さあ、祝いじゃ。座れ!」
うぐいす姫が叫ぶ。陽一は、うぐいす姫の浮かれぶりにぎょっとした。
すでに酒に酔っているのではないか、というくらいニコニコしている。
赤猪子も
陽一も有無を言わさぬように盃を手に持たされ、三人で盃をかかげると口をつけた。甘い味のする酒だった。
「甘いですね」
「陽一郎殿は
赤猪子がどんどん酒をつぐ。
「あ、あの、ちょっと……」
陽一は困ってしまい、まだ自分は十六歳なのに……と心で思いながらも抵抗できなかった。そのうち、酒がまわってきて、陽一は額を押さえた。
「いかがした? 陽一郎殿」
赤猪子が顔を覗き込む。陽一は頭がぐるぐる回り、何も答えずにそのまま引っくり返った。
「あれま」
赤猪子の声がしたが、陽一は眠くて仕方なかった。目をこすったがまぶたは勝手に閉じていく。
「何じゃ? 眠ったのか?」
赤猪子の声が聞こえた。
「寝かせてやれ」
うぐいす姫の声を聞いてから、陽一はスーッと眠りについた。
どれくらい眠ったのだろう。
お腹の上に衣がかけられていて、起きて辺りを見渡した。真っ暗だ。さらに闇が深くなった気がする。
陽一は自分がお酒を飲んで酔って眠ってしまっていたことにすぐに気づいた。
ポケットを探ると、固いものが手に触れた。取り出してギョッとする。
また、サングラスだった。
「いつの間に……」
沙耶の仕業だろうか。
サングラスを横において、スマホを探した。スマホは自分が寝ていた頭のあたりに置いてあって内心ほっとした。もしかしたら、うぐいす姫に奪われたかもしれないと思っていた。
スマホのスイッチを入れる前に、ふと、陽一はサングラスが気になってちょっとかけてみた。以前、かけた時、赤い月を見ることができた事を思い出す。
サングラスをかけると、真っ暗だった世界がくっきりと見えた。生い茂った草木の向こうには道があり、細長い獣道が続いている。
すげえ……と、ドキドキしながら空を見上げると、星のない黒い空に赤い月だけが浮いている。
満月とまではいかない。ほぼ丸い赤い月だ。
陽一はサングラスを外した。
サングラスを眺めて、これがあれば夜でも自由に動けるのだと気づいた。
逃げ出せるかもしれない。そう思った時、背後に気配を感じた。さっとポケットにサングラスをしまいこむ。
振り向くと、赤猪子が立っていた。
「起きたな?」
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