第24話 真実




 祖父の家を飛び出してやみくもに走っていたら、いつの間にか公園に来ていた。

 陽一の顔は険しく、晶に言われた言葉でかなり動揺していた。


 少しずつ日は落ちて来ているが、公園内はまだうだるような暑さだ。この暑さのせいで子どもは一人も遊んでいない。

 走ったせいで額から汗が滴っている。陽一は手の甲で汗を拭くと砂場の方へ歩いて行った。


 いらだちをどうしても抑えることができなかった。


 どうしてだ。どうして晶はああも俺を嫌うのだろう。名前が違うから? いや、それだけじゃない気がする。


 額から流れる汗だけで、さらにいらだちが募る。せめて顔でも洗おうと水飲み場に寄ってかがむと、ベンチに誰かが座っているのが見えた。

 こんな惨めな姿を人に見られるのは嫌だった。すぐに引き返そうと思ったが、ベンチに座っている人間の様子がおかしい。

 陽一はそっと近寄り、その人物が女の子であることに気づいた。


「だ、大丈夫? 何かあったんですか?」


 話しかけてから、あっと声を上げた。女の子は沙耶だった。

 沙耶はハンターだ。なぜ、こんなところにいるんだろう。

 しかし、彼女が怪我をしているのを見て心配になった。


「さやちゃん、怪我してる……」


 沙耶の腕は切られたのか血が出ている。沙耶は、陽一が来たことに気づいていなかったらしく、驚いた顔をした。

 陽一は何か止血できるものはないか探したが、ハンカチひとつ持っていなかった。


「これでわたしの腕を強く縛って」


 沙耶が自分からスカートのすそを切った布切れを出してきて、陽一はびっくりした。

 護身用にナイフでも持っているのだろうか。

 沙耶のそばには血の付いた小刀が置いてあり、陽一はぞっとしながらも彼女の腕を布で巻いて止血した。


「ありがとう助かったわ」


 沙耶の顔は青白く、ひどく出血しているようだった。


「大丈夫? 救急車呼ぶよ」

「大丈夫よ。それよりも……」


 沙耶はいきなり陽一の腕をつかんだ。


「この傷はあの鬼にやられたのよ」

「え……? あの鬼って……」

「うぐいす姫に殺されかけたのよ。あなたも見たでしょ? あの鬼を」

「鬼って晶のこと?」

「そうよっ」

「晶はそんな事しないよ……」


 陽一の声は弱々しかった。自分の言葉に自信がなかった。


「それに俺……運命の相手じゃなかったし……」

「え?」

「さやちゃんは、ハンターとか言うやつなんだろ? でも、俺もう関係ないから。違うんだってさ。俺は、陽一郎の生まれ変わりじゃないって」

「嘘……」


 沙耶が信じられないという顔をした。陽一はいっそうみじめな気持ちになった。


「あなたはまだ思い出せないのね? ねえここに座って」


 沙耶が優しく話しかけた。陽一は言われた通り隣に座った。彼女から血の臭いがした。


「怪我……大丈夫?」

「大丈夫。それより、わたしが知っている事をあなたに話すわ。あなたは間違いなく陽一郎様の生まれ変わり。うぐいす姫の生贄となった男性よ」

「生贄?」

「聞いて……」


 沙耶が囁くように話しだした。

 空はだんだん薄暗くなっていったが、陽一は気にならなかった。


 うぐいす姫の真実に近づける。どんなにそれを知りたかったか。

 沙耶が話そうとしている内容を早く聞きたかった。


「これから話す内容はずっとずっと昔の話よ。あなたは昔、わたしの婚約者の弟だったの」

「俺に兄貴がいたの?」

「ええ、そうよ。彼はうぐいす姫の最初の犠牲者だった。鬼は見境なく村人の若者を殺して食べ始めた。あの日は、わたしが彼の家へ嫁ぐ前日だったわ。月明かりがまぶしい夜だった」


 沙耶は遠くを見つめて呟いたが、急に顔を険しくさせると、大きく息を吐きだした。


「その夜よ。鬼は山を下りて来て彼を殺して食べたのよ」

「そんな……。な、なぜ……晶は人間を食べようなんて、そんな恐ろしいことをしたんだ?」

「理由なんかないわ。あれは鬼だもの」


 沙耶が冷たく言い捨てる。


「陽一郎様は兄を殺されたのに村の人たちを救おうと、一人でうぐいす姫の元へと行った。そして、自分を差し出すから他の村人を殺さないでくれと頼んだの」

「陽一郎が?」

「鬼はあなたの話を聞き入れたわ。右手を出して」


 陽一は言われた通り、右手を差し出した。沙耶が触れると、右手に鋭い痛みを感じて、目をぎゅっと閉じた。


「見て」


 言われて目を開けると、右腕の半分から指先にかけて、紫色に変色し腐りかけた右手に変わっていた。


「うわあっ」


 陽一は立ち上がり悲鳴を上げた。


「な、何だこれっ」

「それがあなたの右手よ。うぐいす姫は毎夜、あなたの腕だけを切り取って残した後、あなたを殺して食べ続けた。わたしたちがうぐいす姫を退治するまでそれは繰り返されたのよ」


 陽一は吐きそうになり、地面に手をついた。いつの間にか、涙があふれていた。


「あなたは優しい人だった。村人のために自分を差し出したの。運命の相手だなんて、そんなロマンチックな話じゃないのよ」


 沙耶が立ち上がり、陽一の右手にそっと触れると手は元に戻った。


「陽一くん、わたしたちがどれほどあの鬼を憎んでいるか分かった? あれは、わたしたちの肉親を殺したの。人殺しが誰にも裁かれずに、この現代でいいマンションで暮らし、悠々自適で過ごしているのよ。働かなくてもいい、おいしいものを食べて、悩みもなく苦しみも感じずに、のうのうと生きているの。わたしは絶対に許さない。あの鬼を退治するのがわたしたちハンターの役目なの」


 沙耶の怒りは尤もだった。

 陽一は立ち上がった。目つきは変わり、今までの陽一ではなかった。


「俺は何をしたらいい? どうやったら晶を殺せる?」

「やっと本来のあなたが戻って来てくれた」


 ありがとう、と、か細い声が陽一に届いた。

 沙耶は、陽一のそばに寄ると、そっと彼を抱きしめた。肩口のシャツが沙耶の涙で濡れていた。陽一は、沙耶を抱きしめた。


「あなたが目覚めるのを待っていたわ。ずっと、ずっと待っていた」

「俺も手伝う」

「陽一くん……」


 沙耶が泣きながら、背中にまわした腕に力を込めた。


「鬼は死ぬ間際にこう言った。わたしたちを絶対に許さない。自分は生まれ変わって、後悔させてやるって。きっと、わたしたちを皆殺しにするつもりよ。わたしたちの戦いはまだ終わっていないの」

「あいつ……」


 陽一の心は憎しみでいっぱいだった。

 あの少女に騙されていた。

 あどけない顔で、何も知らないと言う顔で近づいてきて、本当は自分たちを、自分の兄を殺したなんて。

 人殺しを許してはおけない。


「あなたは選ばれたのよ」

「俺が?」


 できそこないの俺が?

 声に出たのか、沙耶は首を振った。


「あなたは出来損ないじゃない。あなたにしかあの鬼を殺せない」

「でも、俺には力なんてないよ」

「あるわ」


 沙耶がきっぱりと答えた。


「第六感を研ぎ澄まして、あなたはあの鬼の居場所を探すことができる。その上、殺すこともたやすい」


 あれを使うのよ。

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