第22話 翁の覚醒




 一人で庭へ出た晶は、縁側に座ってじっと遠くを見つめた。

 皆に気を遣わせてしまった。しかし、自分が鬼と呼ばれるようになったいきさつは誰も知らない。

 流稚杏るちあですら知らない事実なのだ。

 今ここで、なぜ自分が鬼と呼ばれるようになったのか説明をしろと言われたら冷静に説明できるか自信がなかった。


 ――鬼。


 そう、自分は鬼なのだ。

 今は人の姿をしているが、間違いなく晶は人を喰らう鬼であった。


「うぐいす姫さま……」


 突然、庭の方からしゃがれた男の声に晶は全身が総毛だった。目の前に陽一の祖父が立っている。先ほど玄関で出会った時とは違う顔付きだ。

 晶は自分を落ち着かせようと息を吸った。晶を見つめる陽一の祖父の見開かれた目には恐怖が宿っていた。


「お主は……」


 晶は口を小さく開けて目を瞬かせた後、小さく頷いた。


「……そうか、おきな、お主、覚醒したのだな」

「先ほどあなたをお見かけしてから、徐々に思いだしました」

「そうであったか」


 晶は優しい声を出した。


「元気そうだの」


 祖父は、晶の言葉に目を潤ませた。


「うぐいす姫さま、お会いしとうございました」

「うむ」


 晶は頷いた。

 陽一の祖父の姿をした翁は頭を下げてから、力が抜けたようにがくりと膝をついた。


「いつか……言わなくてはと思っていました」


 翁は静かに言った。瞬間、周りの音が何も聞こえなくなった。

 晶は自分が呼吸できているか、恐怖で分からなくなった。


「姫さまを鬼にしたのはこの老いぼれのせいです。あの日、村の若者の憎しみを何とかしてほしいと頼んだ事が、あなたを鬼の姿へと変えてしまいました。いつか……いつの日か許して欲しいと申し上げたかった……」


 翁の目から涙があふれ出す。晶は唇を噛みしめ、はるか昔を思い出した。


 翁は、地球へと落とされたうぐいす姫を育ててくれた養父である。


 当時、村人たちは、村で起きる問題を翁の元へ相談しに来ていた。

 うぐいす姫をただの姫ではないと知っていた翁は、村人のいさかいをうぐいす姫に治めてほしいと頼んできた。

 うぐいす姫は快く承知し、月の力を使って村人の若者に憑りついた憎しみを自分の中へ取り込んだ。


 諍いはなくなり平和が戻ったが、それだけでは終わらなかった。

 村人は諍いが起きるたびに翁に助けを求め、うぐいす姫はそれを叶えた。

 一人、また一人と村人から憎しみを取り込むうちに、彼女の心はその穢れに蝕まれ鬼となり、村人を喰うようになった。


 悪を取りこむたびに、体の中の鬼が暴れた。

 鬼は人間の悲しみを求めた。鬼がなぜそれを求めるのか、理由は分からなかった。

 鬼に負けてはいけない。だが確かに、晶の中に鬼はいた。


 晶はゆるゆると首を振った。


「お主は何も悪くない。全て我が望んだ事。人々の憎しみは我にとって美味びみな食事であった。欲を抑えることができなんだわ、我の責任」

「いいえ」


 翁は力強く首を振った。


「いいえ、そんなはずはありません」

「もうよいのだ。長い間、お主を苦しめて申し訳ない。とうの昔に許している。むしろ許しを請うのは、我の方じゃ」

「うぐいす姫さま……」


 翁は声を振り絞って叫んだ。


「ならば陽一郎を……孫を解放して下されっ」


 それを聞いた晶はうつろに目を上げた。


「あの子が不憫でならんのです。わしのせいで、あの子を巻き込んでしまった。喰われるべきはこの老いぼれです。どうか、陽一郎を解放し、わしをあの世へ共に連れて行って下され」


 晶は手をぎゅっと握りしめた。

 陽一郎を喰らうつもりなどない。自分たちが生まれ変わるのはそれが理由ではない。


 そう言いたかったが、晶は言葉を呑んだ。


「承知した」

「うぐいす姫さま……」


 翁が驚いて顔を上げた。


「これより我は姿を消す。そして、我に関わった者たちの記憶を消すと約束しよう」


 そう言うなり、晶は翁に向かって手を振り上げた。

 翁は意識を失い、ふらりと地面に横たわった。晶はそっとそばに寄り、彼の額に手を当てた。

 記憶を奪う前に彼女は呟いた。


「翁よ……我が涙を流さぬとお思いか?」


 小さい声はほとんど聞こえなかった。

 翁の記憶を消してしまうと、晶はしばらくそのままの姿勢でいた。その時、突然、キーンと耳鳴りがしたかと思うと、周りの音が一切消えて時が止まったように思えた。


「終えたみたいね」


 いつの間にか庭にハンターが数名いて晶を取り囲んでいた。先ほどの耳鳴りはハンターたちが結界を張ったのだと知る。

 一人の若い女が前へ出てきた。いつかのアイスクリーム店で見かけた女だ。


「そうか、おのれらが翁の記憶を呼び覚ましたのだな」


 晶はゆっくりと立ち上がった。


「いつか、ここへ来ると思っていたわ」


 女の手には黒水晶が握られていた。女は晶の足元に黒水晶を投げつけると、そこから丸い輪が大きく広がり、晶を取り囲んで彼女を封じ込めた。

 晶は抵抗もせず、じっとしている。腕に喰い込んでいる水晶からは力が吸い取られている感じがしたが、晶は表情を変えず女を見た。


「我をどうするつもりじゃ」

「おとなしくすれば、ここでは殺さない」

「おのれらの目的は何じゃ」

「え?」

「なぜ、執拗に我を追う」

「復讐に決まっているでしょ」

「それは大昔のはなしだ」


 女は歯ぎしりしながら晶を睨むだけだった。

 洗脳されているのか。

 せっかくハンターを目の前にして、奴らの目的を知るチャンスだと思ったのだが。


 晶は、ハンターが張った結界をさらに上回る力で外部から誰も入らないよう強力な結界を張った。

 ハンターたちが驚いて地上に両手をついた。


「何をしたのっ?」

「手伝ってやろうと思っただけじゃ」

「何を手伝うのよっ」

「早く鬼を捕らえよ。でないとおのれら殺されるぞ」


 それを聞いた女は目を吊り上げると、晶の頬を爪でひっかくように強く叩いた。瞬時に晶の白い頬にミミズ腫れができた。


「動けないのに偉そうなことばかり言うんじゃないのよっ。見なさいよ。すぐにその皮膚は溶けはじめるわ。あなたが過去にしてきた事を思えば、これくらい何でもないはずだけど」


 女は言葉を吐き捨てた。晶は視線を落とすと小さく息をついた。


「これくらい何ともない……」


 晶が少し力を解放すると、皮膚が再生を始める。女は目を吊り上げてもう一度、手を振り上げた。すると、男の一人がその腕をつかんだ。


「いい加減にしろ。早く連れて行くぞっ」

「もうこの場で殺してやるっ」


 女がわめいたが、横から別の男が間に入って、突然、晶の首を絞めた。晶はうめいた。

 胸が痛い。彼らの憎悪が流れ込んでくる。


 晶は感じたこともない恐怖に駆られた。歯を食いしばり、顔を上げた。女たちを見据え、手を動かそうとしたが躊躇する。

 奴らを殺せば、鬼が解放される。


 ――ならばここで今、られるか。


 陽一の無邪気な顔が浮かんだ。


 ――死ぬのは、嫌じゃ……。


 晶は目を見開いた。


「こいつ、何かするぞ」


 男の声が恐怖に震えた。

 晶は一気に力を解放した。頭上に白い小さな角が生える。短い髪が伸びて地上へ届いた。

 伸びた爪で地面に向かって振り払うと、黒水晶の拘束が砕け散りたちまち体が解放される。


「うわ、鬼っ、鬼だっ」


 ハンターが悲鳴を上げた。その時、痛みを感じて振り向くと、女が晶の背中に腰刀を突き立てていた。


「思い知れっ」


 女は叫んだ。晶は鬼が暴れぬようこらえた。


「流稚杏っ。はよう参れっ」


 晶が叫んだ。



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