第9話 邪魔なやつ



 アイスクリーム店で一人残された陽一は頬杖をついて息を吐いた。


「舞ちゃん……」


 陽一の心は舞でいっぱいだった。でも……と思う。あいつがいなければ舞ちゃんは、もっと俺のことを気にかけてくれるのに――。


 晶には悪いがそう思った。


 いつまでも男一人で店にいるわけにはいかないので、店を出て歩き出すと見知った顔を見つけた。

 雑貨屋さんの前で立ち止まって、何かを手に取って眺めている。

 陽一は公園で会った女の子に近寄った。


「ねえ、君」

「あら」


 女の子は今日は花柄のスカートをはいて、涼しげな白のノースリーブのシャツ姿でかわいい。


「アイスクリーム食べていたの?」


 女の子は持っていた雑貨を置いてから陽一に笑いかけた。

 陽一は口の端にクリームでもついていたかな、と口をこすってから頭をかいた。


「彼女と一緒にね。でも、忙しいからって先に帰っちゃったんだ」


 と自分には彼女がいるということを自慢げに言った。


「彼女? 名前なんて言うの?」

「舞ちゃん」

「へえ、かわいい名前ね」

「君は?」

「私は沙耶さや。」

「さやちゃんか、かわいい名前だね。俺は……」


 沙耶は遮った。


「知ってるわ、陽一くん」

「えっ。なんで知ってんの?」

「いいじゃない。少し歩こうか」


 そう言って沙耶は、陽一の腕を取るとゆっくりと駅の方向へ歩き始めた。


「どうして舞ちゃんは帰っちゃったの? あなたと一緒にいたかったんじゃないのかしら」

「邪魔な奴がいるんだよ」


 陽一は顔をしかめて言った。


「へえ」


 沙耶は興味を示した。


「邪魔な奴って誰?」

「晶って言うんだけどさ、もう、すんごい生意気で」

「晶くん?」


 沙耶が首を傾げる。


「男じゃないよ、女子。口が悪くてさ」


 陽一は、なんで二回しか会ったことのない女の子にべらべらとしゃべっているんだろうと気付いた。


「ごめん、俺、さやちゃんに変なことばっかり愚痴ってる」

「いいのよ」


 沙耶は大げさに手を振った。


「人の話を聞くのが好きなの。そうだわ、いいものあげる」

「いいもの? いいよ、いきなりそんなの……」


 陽一は眉をひそめた。


「あなたにあげるつもりだったの」


 そう言って取り出したのは黒い石だった。


「な、何これ……」

「貴重な黒水晶よ。持っているとお守りになるわ」


 沙耶が言って陽一の手を取った。とたんに、陽一は体の自由を奪われた。まわりの動きも一瞬だが、止まったような気になった。石が手のひらにのめり込んでいく。


 ありえねえ……。


 陽一はうつろになった。しかし、まわりの人々は陽一の姿など見えていないように、変わりなく動いている。


 陽一は目を動かしたが、次第にめまいがし出した。吐き気と戦いながら、その場に立ち尽くした。

 苦しい、誰か助けてくれ。もがくように呟くと、


「おしまい」


 と沙耶が言って、ぱっと現実に戻った。


「え?」

「じゃあね」


 沙耶は手を振っていなくなる。

 何だか息苦しい気がして首を押さえた。唾を何度か呑み込んで見たが、息苦しさは変わらない。


「なんか、苦しいな……」


 そう言いながらも、陽一は歩きだした。のどに違和感があったが、変な物を食べたわけじゃないし、おかしいと思いながらも駅へと向かった。その時にはもう、石のことも沙耶に会ったことも頭から消えていた。


 電車を降りた時には、陽一はかなり気分が悪かった。


 苦しい。

 苦しくてたまらない。熱中症ってやつだ。これって死ぬのかな。


 嫌だった。

 せっかく舞ちゃんと出会えたのに、死ぬなんて嫌だ。

 必死で家に向かう。


 足におもりがついているのだろうか、というくらい足が動かない。とうとうその場で膝を突いてしまい、気分が悪くて口を押さえた。

 その時、後ろから車のクラクションの音がして振り向くと、軽自動車が迫って来ていた。避けることもできず息を吐きながら見ていると、乗っていたのは陽一の祖父だった。


「じいちゃん……」


 陽一は助けを求めるように、祖父に手を伸ばした。祖父は車から降りると、陽一を抱き起こした。


「陽一っ。おい、大丈夫かっ」

「死にそう……」

「そりゃまずいっ」


 祖父はすぐに陽一を車に乗せた。車が走り出す。

 陽一はクーラーのきいた座席に座って大きく息を吸った。


「助かった……」

「まだ、早いぞ」


 祖父の車は家とは別の方向へ向かった。


「……どこ行くの?」

「病院に行く」

「え? 病院? い、行かないよっ」

「行くんだよ」


 祖父の行動が早かったおかげで、熱中症と診断されたが軽度で済んだ。

 病院でそのまま点滴を打ってもらい、陽一は実家に帰りたかったが、祖父の家の方が近かったので、今晩だけ泊めてもらうことになった。


 母の父親である祖父はまだ七十代前半で足腰もしっかりしている。祖母も元気で、そのまま夕食を用意してもらい、少しだけ食べると祖母が居間に布団を敷いてくれた。


 陽一はお風呂で汗を流した後、すぐに寝たらいいと言われ横になった。すると祖父が飲み物を持って部屋に入ってきた。


「ありがとう、じいちゃん」


 冷房の入った部屋は快適だった。相変わらずのど元が苦しかったが、昼間に比べるとずいぶん楽になった。

 祖父が枕元に麦茶を置くと、陽一は起き上がって麦茶を一口飲んだ。のどが潤う。


「倒れている姿を見た時は死ぬほど驚いたぞ」

「俺も死ぬかと思った」


 グラスを置いて陽一はため息をついた。

 祖父は、ちょうどスーパーで買い物をした帰りだったんだ、と言った。


「通行止めになっていたので遠回りをしたんだが、本当によかったよ」


 祖父が安心したように笑った。


「そうだ、お前が倒れていた場所にこれが落ちていたんだが」


 祖父はポケットから黒いサングラスを取りだした。


「新品だったんでお前のかと思ったんだが」


 陽一はサングラスを手に取った。


「これ……」


 あの変質者が差し出したサングラスによく似ている。


「どこにあったの?」

「お前のポケットから落ちるのを見たが」

「俺の?」


 こんなものをもらった覚えはない。

 その時、首がきゅっと締まるのを感じて顔をしかめた。


「どうした?」

「いや、ちょっと苦しくなって……」


 陽一はサングラスを畳に置いて横になった。


「もう、寝た方がいいな」

「うん……」


 横になった陽一を見て、祖父は懐かしそうに目を細めた。


「昔を思い出すな。お前がうぐいす姫を探しまわって、夜遅くこの家に泊まったことが何回かあった」

「そうだっけ」


 覚えていない。

 確かに、小さい頃、祖父の家によく泊まったことは覚えていた。


「俺は鶯を探してばかりいると思っていたんだが、お前の探しているのが女の子と聞いて、大したもんだと思っていたよ」

「え?」


 横になると、何だか眠くなってくる。うとうとと目を閉じた陽一に、祖父が小さく言った。


「うぐいす姫がどうして鬼になったのか、もう、お前は聞いてこないんだな。俺が悪いんだ。最初に言い出したのは、俺だから……」


 祖父は涙をこぼすと膝を突いて立ち上がった。立ち上がった時、祖父はあれ? とあたりを見渡した。


「今、何か言ったっけ?」


 自分が何を言ったのか、瞬時に忘れてしまった。


「俺の頭もおかしいのかもしれん……」


 祖父はあたふたと部屋を出て行った。


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