第6話 自分が一番大事
月の者たちが立ち去り、屋上は静まりかえっている。
舞は、俊介の腕で休んでいる晶を労わった。
「お兄様、晶さまは大丈夫でしょうか。なんだか、お顔の色がすぐれないようですが」
「我は大丈夫じゃ」
晶はもぞもぞと動いたが、支えている俊介の力が上だった。
「もうよいぞ。おろせ」
晶は目を吊り上げたが、俊介は首を振った。
「姫は少しお休みになられた方がよい」
俊介も言い出したら聞かない。晶は好きにさせた。
「どうする、瞬間移動で部屋に戻るか」
俊介が妹に言うと、舞は首を振った。
「晶さまのことを思えばそうしたいのですが、わたくし、すごく気になることがあるのです」
「……陽一郎だな? 近くにいるのか」
「わたくしには気配をたどることはできません」
「いるぞ」
晶が答えた。
「近くだ、陽一はこのマンションにいる」
舞は心配そうに兄を見上げると俊介が言った。
「確認した方がよさそうだ」
三人は屋上から下りることにした。
ハンターの気配はない。俊介が鍵のかかったドアを開けて外へ出ると、階段のところにしゃがみ込んで、うたた寝をする陽一を見つけた。三人は唖然とした。
「な、なんでこんなところに……」
舞が茫然と呟いた。
「陽一さま、起きてくださいっ」
「ん……? あっ、舞ちゃん……っ」
陽一が飛び起きた。
「こんなところで寝ていると、暑さで倒れてしまいますよ」
「平気だよ、それより!」
彼はびっくりするほど元気いっぱいに顔をほころばせた。
「また会えた!」
うれしそうに舞の手を握る。それを見て、晶は泣きそうになった。自分の姿は目に入らないらしい。
「これは一体……」
俊介が、わけが分からないという顔をしている。
――陽一は、舞をうぐいす姫だと思っておる。お主も話を合わせるのだ。
晶がすかさず思念伝達をする。
「は? 姫……」
――ここで我を姫と呼ぶのを禁ずる。
俊介は言葉を呑んで、状況を把握するのに数秒を要した。
「あ、あの、陽一さま、もう夜も遅いですし、お帰りになった方がよろしいかと思います」
「え? あ、やべえ、母さんにどやされる。あれ?」
陽一は頭をかいていたが、晶と俊介にようやく気付いた。
「こいつどうかしたの? 歩けないのか」
「歩けるぞ」
晶はそう言って、俊介の腕からするりと抜け出し、ぴょんと飛び下りた。飛び下りた時に少しふらついたが、晶は踏ん張った。
俊介が伸ばそうとしたがその手を制する。
陽一はあまり気にかけた様子もなく舞を見た。
「舞ちゃん、明日、暇かな。よかったら映画行こうよ。俺、おごるから」
「で、でも……」
舞は困って手を合わせると晶の方を見た。晶はそっぽを向いて冷たく言った。
「許す、行って来い」
「なんで、こいつの許可がいるんだよ」
陽一が口を尖らせた。
次第に、様子を窺っていた俊介から殺気を感じた。晶は素知らぬ顔でエレベーターの方へ歩き始めた。
「舞、夜道は危険じゃ、陽一を送ってやれ」
「な、ななななんでわたくしが……」
「とんでもないよ、舞ちゃんの方が危険だよ」
陽一は慌てて言った。
「俺、すぐに帰るから。住んでいるマンションはここなんだよね。明日の昼過ぎ、一時に待ち合わせしようよ」
「分かりました」
舞がしおらしく答えたのを見て、陽一はもう一度、舞の手を強く握ると、最上階まで上がって来たエレベーターに乗り込んで、一人で帰って行った。
陽一の姿が見えなくなると、晶はすたすたと部屋に向かって歩き始めた。俊介と舞はその後を追う。
部屋に入りソファに座ると、舞がすぐに飲み物を用意した。俊介は立ったまま大きく息をついて頭を押さえた。
「……説明をしていただけますか?」
「説明などせぬとも見たままぞ。奴こそが陽一郎の生まれ変わりの陽一じゃ」
「陽一とは……?」
俊介が顔をしかめている。晶は渡されたオレンジジュースを少しだけ飲んだ。
「名前が一字抜けただけで、アホに生まれたんじゃ」
そう説明する晶の姿はなんとなく寂しそうに見えた。
舞は、晶の隣に座った。
「晶さま、早めに誤解を解いた方がいいと思います。きっと、陽一さまは理解してくださいます」
「つまり、あの者は舞をうぐいす姫だと思っているのだな」
俊介の目が吊り上がった。
「はい」
舞がおどおどと肩をすくめた。
「案ずるな。何とかする」
「また、陽一郎さまのおそばから消えるのですか」
舞が小さく呟く。
これまで何度も晶は陽一郎をあきらめては姿を消してきた。
今度も二度と会えないところまで離れるのだろうか。
舞はかすかに口を震わせた。
「せっかく陽一さまが見つけてくださったのに。これで終わりですか?」
晶は何も答えなかった。
終わりなど、永遠に来ない。
陽一郎は十八歳の誕生日を迎えると、うぐいす姫に関する記憶を失い、自分の人生を取り戻すことができる。
これまで、何度も陽一郎が幸せになるのを見届けてきた。
陽一郎が幸せになるのであれば、うぐいす姫のことなど忘れてしまった方がよい。
しかし、何度、転生しても、彼はうぐいす姫を求める。
どこかで、断ち切らねばならぬのか。
とうとうその時がやって来たのだろうか。
晶は目を閉じた。
「これが終わったら、月に還る」
「えっ?」
舞がぎょっと目を見開いた。
「今、何とおっしゃったのですか?」
「陽一の記憶が消えたら、月に還ると申したのじゃ」
「本当ですか? 姫様」
俊介も信じられない、という顔をしていた。
「我がここにいれば、ハンターにも追われるし、舞にも危険が及ぶかもしれぬ。そうなる前に全てを始末して、我は月に還るとしよう」
「今すぐでもいいんですよ。殿下はいつでも姫様を待っておられます」
俊介は膝を突いて懇願した。晶は首を振った。
「我が月に還ったとして、陽一郎の記憶はどうなる。時が来ればうぐいす姫を忘れるが、再び、うぐいす姫を探す目的を持って生まれてくる。我がそれを絶ち切らねばなるまい」
「それでいいのですか?」
舞が何だか泣きそうな顔をしていた。
「どうして舞が泣くのだ」
「だって……」
舞がぐずぐずと鼻をすすった。
「晶さまはずっと陽一郎さまを見続けて参りました。お声をかけたかったろうし、お話ししたいと思ったことも何度もあったはずです。だからこそ、さいごに一度、本心を打ち明けて、幸せになってもいいのではないですか?」
「我は鬼じゃ」
「いいえ。違います」
「もうよい。明日、陽一と会うのだろう」
「え?」
「我も一緒に行く」
「本当ですか?」
舞は涙を拭いて、うれしそうに笑った。
「どうなさるのですか?」
俊介が尋ねると、晶は小さくほほ笑んだ。
「陽一との縁を断ち切る。案ずるな、すぐに記憶を消したりなどはしない」
晶の言葉を聞いて、舞は不安に駆られた。
「ああ、晶さま、どうかご自分を大切にしてくださいませ」
「我はつねに自分が大事じゃ」
にやりと晶は笑った。
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