第5話 鬼が泣く



 満月が頭上にある。

 晶はマンションの屋上に立っていた。


 美しい丸い月。満月は心を和ませる。力が満ちているのが分かる。

 昼間、不愉快な思いをした分、ここで全部消してしまいたい。


 地上にいる間、晶は鬼が吸い込んだ穢れを浄化する必要があった。


 地球には人間が無意識に吐き出す毒がある。それを鬼が吸いこんでしまうのだ。

 いわば、人間の毒が鬼の養分のようなものである。


 晶は深く息をついた。その時、


婀姫羅あきら、元気だったか?」


 と、低い男性の声がして振り向くと兄の慶之介けいのすけが多くの兵士を連れて後ろに立っていた。

 今世でうぐいす姫の真名まなを呼ぶのは、彼女の兄、慶之介だけであった。


 月に住まう彼らはムン族と呼ばれていて、慶之介はムン族で最も高い地位に就いている。

 彼は日本では見かけない民族衣装のような姿で現れた。

 膝下まである白い毛織物の生地に腰元をベルトで締めて、長い袖には肘からスリットが入っている。まるで異世界から現れた出で立ちだが、これが彼らの普段着なのだから仕方ない。


 兄は、晶のそばまで来ると、彼女の短くなった髪の毛に触れた。


「髪の毛をどうした」


 戸惑いながらも、妹の頭を優しく撫でる。


「切ったのじゃ、暑いからの」

「暑いと言う理由だけで、あの長い髪を切ってしまうのか」

「我の勝手であろう」


 晶の勝手は一つ二つどころではない。月へ還って来いと何度言っても彼女は頑として戻ろうとしなかった。


 晶は、自分の中にくすぶる鬼が消えるまで戻るつもりはなかった。


 なぜ、うぐいす姫が鬼と呼ばれるようになったのか。

 それを知るのは晶ともう一人。そのもう一人とは陽一郎である。


 しかし、晶は口を開かないし、陽一郎と接触をしないため、鬼の謎は解けていない。


 慶之介は深くため息をついた。

 うぐいす姫を地上へ下ろしたのは、月の人たちの誤りだった。


 昔、月で大きな争いがあった。


 争いとは、ムン族が守っている三つの宝玉を宇宙種族レアンが奪いに来たのだ。

 レアンは邪悪な種族で、容赦なく星の住人を殺す。ムン族の人たちは命を懸けて戦った。

 その時、晶の母親は生まれたばかりの晶を守るため、鶯色の衣に包んで地球へと送った。同時に、三つの宝玉も奪われてはならないと地球へと送られたのである。


 地球で生まれたうぐいす姫は大切に育てられたが、育ての親が亡くなり、一人ぼっちになった。

 ようやく、居場所を探し当て月へ戻そうとした時にはすでに遅く、うぐいす姫は死んでしまった後だった。

 

 死んでしまっても魂は源へ還っていく。


 肉体は滅んだが、うぐいす姫の魂は月へ連れて還ることができた。しかし、三つの宝玉の行方は知れぬままだった。


 月へ還ったうぐいす姫だったが、彼女は再び地球へ戻るという選択をした。

 地球で出会った陽一郎と約束をしたというのだ。それから数百年もの間、何度も転生を繰り返している。


 晶は、皇族の中でも強い霊力を持つ母親の一人娘だった。母親が違うが、慶之介にとって大切な義妹である。

 計り知れない力と晶の魅力は月の住人たちの誰よりも勝る。


「ところで婀姫羅、三つの宝玉ほうぎょくについて何か思い出したか?」

「思い出せぬ」


 兄は、地球に降りてきては同じことを尋ねる。しかし、晶は決まって同じ答えで返した。

 慶之介はそれ以上追及することはせず、小さく息を吐いた。

 

「それよりも兄上、始めよう」

「うむ、承知した」


 慶之介は、晶に目を閉じさせると、彼女の手足が動かぬよう力を使って封じ込めた。

 晶の力を抑え込めるのは、慶之介か部下の俊介しゅんすけ、そして月の巫女だけである。俊介というのは舞の血筋にあたる者で、慶之介が一番信頼している部下の一人だ。


 晶が脱力した。ぐったりと意識がなくなった拍子に、晶の中に潜む鬼がかっと目を見開いた。


 瞳は赤く変わり、髪の色が金色に輝くと、鋭い歯が瞬時に生えて爪が伸びた。頭の頂に角が生えて、ケモノのような唸り声を上げる。


 慶之介はすぐに鬼の動きを封じ、彼女の口に手を当てた。黒い煙のようなものが鬼の口から出てくる。


 月明かりに照らされるとそれは浄化されていく。鬼の口から黒い穢れがどんどん吐き出される。

 すべてが浄化されると、鬼が泣いた。


 浄化を終えると鬼の姿から晶の姿に戻った。穢れを吸われ、晶が目を開けた。


「晶さまっ」


 舞が駆け寄って、晶の手を握り締めた。


「大丈夫じゃ」


 晶がほほ笑むと、舞は、晶の額に浮いた汗をぬぐい、体を起こすのを手伝った。その時、晶がハッと目を開けた。


けよっ」


 晶が声を上げて舞を抱きしめるなり、体をひねって転がった。突然、黒いスーツの男たちが飛びかかってきた。


狩人ハンターだ」


 月の騎士が太刀を抜いて、晶たちを守った。


 宇宙種族レアンは、地球に落ちた三つの宝玉をいまだ探している。

 うぐいす姫が狙われているのはそのためだった。


 レアンに操られている狩人ハンターは数えきれないほどいて、いつも黒服にサングラスをかけていた。


「鬼の首を取れっ」


 背後から声がして振り向くと、もう一人、大柄な男が晶に飛びかかった。


 ハンターは全身が狩りをする姿となっている。

 黒いスーツは特殊な防護服で名刀を模した打ち刀を使用している。

 模したものとはいえ、その切れ味は抜き身だけで月の騎士たちの体をやすやすと斬ることができた。


「姫さまっ」


 舞の兄である俊介が、晶を抱きかかえてその場を離れた。


 変身した後の晶は体力を奪われて瞬時に動くことができない。

 俊介の肩をつかむ手が震えていた。


 慶之介の部下がいっせいにハンターに切りかかった。大柄な男は手ごわく、部下の刀を折り手傷を負わせた。


「なぜ、ここにハンターがいるのだっ」


 慶之介が叫んだ。

 ハンターには月の光を追う能力はない。鬼の浄化にハンターが邪魔に入ったのは初めてだ。


「まさか、陽一郎さまがいるのではっ」


 舞が叫んだ。


三輪守みわのかみっ」


 慶之介が大太刀の名を呼んだ。瞬時に大太刀おおたちが現れた。


 190センチの長身の慶之介が持つ大太刀は、長さ140センチ程もある。


 慶之介は大太刀の柄をつかみハンターに向かってふるった瞬間、ハンターの防護服を貫き、一瞬でちりになって消えた。

 それを見た他のハンターはすぐにバラバラに逃げていった。


「婀姫羅は無事かっ?」

「ご無事です」


 俊介に抱きかかえられた晶は静かに目を閉じている。慶之介は安堵した。


「このまま連れて帰りたいが、無理なのだろうな」

「姫さまは、あなた以上に頑固ですから」


 俊介が笑う。甘いマスクの彼はつわものにしておくにはもったいない容姿をしていた。

 長身の上にたくましい体を持ち、低い声は月の女性をとりこにする。しかし、俊介は常に慶之介の警護にまわり、うぐいす姫のためなら何でもする意思があった。


 晶にはまだ言っていないのだが、慶之介はいずれ俊介と晶を結婚させるつもりでいた。舞に知れたら、一秒後に晶に伝わるため黙っている。


「陽一郎がいると申したな」

「はい」


 舞が不安げに手を合わせて頷いた。


「おそらく、彼は目醒めざめたのでは」

「あの若者と婀姫羅あきらの間に一体、何があったのか」

「わたくしには分かりませぬ」


 舞は悲しげに答えた。


「あの若者をハンターに奪われぬよう、俊介も地球こちら婀姫羅あきらを守るのだ」

「御意に」

 

 俊介が頭を下げたのを見て、慶之介は月へと還った。




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