第4話 今宵は満月
舞は、二人が住んでいる部屋の玄関に立っているのに気付いて、両手で顔を押さえた。
「なんてことでしょう……」
呟くと、隣で晶の細い肩が震えていた。
「アホの子だ……」
晶はそう言って靴を脱ぐとリビングに入った。舞は慌てて追いかけた。
「間違っていたのでしょうか。あの方は陽一郎さまではないのですか?」
尋ねると、晶は息を吐いて首を振ると、くるりと舞の方を向いた。
「間違えてはおらぬ。我の中の鬼があの者を求めておるからの」
晶が胸を押さえた。
鬼が、晶の中で出たい出せとわめいている。
今宵は満月だ。鬼を浄化できるのは月に一度、晶の力が最高潮に達する時だ。それまで、体の中に潜む鬼を閉じ込めておかねばならなかった。
そんな大切な日に。
陽一に見向きもされなかったことを思い出すと、胸がずきずきと痛かった。
「晶さま」
舞が心配そうに言った。晶はふらふらとソファに座り込んだ。
「あの者の名前、陽一と言ったな。奴の記憶があいまいなのも、おそらく名前のせいだ。あの半端な名前のせいで、記憶も中途半端なのだろう」
一文字違うだけで記憶が完全でない上に欠陥だらけの男に育っている。
思い出すと、腸が煮えくりかえりそうだ。
いくら、晶のことが眼中になかったとしても、最低限の礼儀はあってよいものである。ところが、礼儀どころか晶のことを鼻で笑っていた。
あんな無礼者を一六年間も見つめてきたのか。
晶はぐっと奥歯を噛みしめた。目元がじりじりしてきた。今にも涙が溢れそうになり、舞の前で泣くわけにもいかず口を噛んだ。
元気にはしゃぐ姿や怒ったりドジをしたりと喜怒哀楽のある少年だった。
アホだとは思っていたが、実際、目の当たりにすると、すこぶる不愉快だった。
できるなら、今すぐ自分たちが出会う前に戻りたかった。
しかし、なぜ、彼は晶たちを見つけることができたのだろう。
これまで一度もうぐいす姫と陽一郎は対面したことはなかった。
何か意味があるのだろか。
陽一郎が未熟だったため、彼の薄っぺらい気配を読み取ることができなかったのだろうか。
晶にとって陽一郎との出会いが史上最悪であったため、彼を誉める要因が一つもなかった。
「疲れた……」
「今夜はおいしいものをお作り致しますわ」
「何も食べたくない」
力なく答える晶に、舞は優しく肩を撫でた。
「今宵は月の者たちが参ります。元気をお出しになって」
「うむ……」
晶は上の空で答えた。
◇◇◇
二人の少女が見えなくなって、陽一は、しばらく公園で立ち尽くしていた。
本当にいたんだ。
ハッと我に返り、キャップを目深にかぶると自転車をのろのろ押して公園を出た。
信じられない。舞ちゃん、かわいい女の子だった。
色が白くて金色に近い髪の色をしていた。外国人との混血なのかな。つぶらな瞳がたまらなく綺麗だった。
隣にいた少年みたいな子はあまり見ていない。ちんまりして頭も小さくて、手足も小さかった気がする。
態度だけはやたら尊大で、なんとなく嫌な感じだったが。
舞ちゃんは、また、連絡をくれると言っていた。
陽一は自転車にまたがるとどこへ向かうともなく漕ぎだした。頭はまだ麻痺したみたいにぼんやりしている。
会いたい。もっと話しをしたかったのに。
あの小さい子、あきらとか言ったかな、あの子のせいだ。
陽一はむっと顔をしかめると、あの子には会いたくない、と思った。
うぐいす姫の何を知っている、とあの子は聞いてきた。
何も知らない。ただ、運命の相手というだけだ。
家に着いた時、午後六時を過ぎていた。その時間になっても空は明るい。
自転車を車庫に入れて家に入った。
リビングに入ると、母が夕食の準備をしていた。
「ただいま」
「お帰り、あんた、財布を忘れていたでしょ」
母がテーブルに置いてあった財布を渡してくれた。陽一は目を見張った。
「これ、どこにあった?」
「お風呂場よ。あんた、ポケットに入れてたんでしょ」
夜、洋服を脱ぐときに適当に置いたのだろう。また、母の小言が始まった。
陽一は食器を並べるのを手伝いながら適当にあいづちを打った。
「ねえ、母さん、うぐいす姫って知ってる?」
話が終わったのを見計らい、陽一が聞くと、母はぴたっと口を閉じて眉をひそめた。
「あんたが子どもの頃、うるさいくらい言っていた姫の話?」
「あ、覚えてる?」
「覚えてるも何も、あいつ、鬼だよって言っていたじゃない」
「鬼?」
「そうよ、うぐいす姫は本当は鬼の子なんだって言ったのを最後に、あんたはその話をしなくなったのよ。よほど怖かったのね」
陽一は食器を置いて、顔をしかめた。
「覚えてねえ……」
母はそれきり何も言わなかった。
食事中も陽一は鬼のことを考えたが、何も覚えていなかった。
うぐいす姫が鬼? 意味わかんねえ。
食事をすませ部屋に入り、そのままベランダに出て空を眺めた。
「あ、今日は満月じゃねえか」
陽一は満月が苦手だった。
丸い月を見ると胸がざわざわする。息苦しくてため息が出るし、力が抜ける気がするのだ。
早々と部屋に戻ろうと思うと、月のまわりをゆらゆらと黒い影がまとっているのが見えた。
「え?」
陽一は目を細めてじっと見つめた。
月が変じゃねえ?
ドキドキと胸が高鳴りだした。
ベランダにいた陽一は身をひるがえして、すぐさま玄関へと走っていた。
夜は危ないから出るな、と母から言われていたが、そうは言っていられなかった。
今日はうぐいす姫に会えた日だ。なんかあるんじゃねえか。
大きな月から一筋の光りが、ある一点に向かって落ちている。
何か起きている。でも、誰も気づいていない。自分しか知らない。
興味心がむくむくと沸き起こり、陽一は走った。
月明かりが射す方向は綺麗なマンションだった。
自分の家から近い。
ハアハア言いながらマンションを見上げると、まだ屋上に光りが集まっている。
気持ちが逸る。
中に入ろうとしたが入り口はオートロックだった。しかし、マンションの住人がちょうど下りてきて、ドアが開いたと同時にすり抜けた。
呼び止められるかと思ったが、誰も止めなかった。
エレベーターで屋上まで上がる。外へ出るためのドアが見えた。
陽一はドキドキとしながらドアノブに手をかけた。しかし、ドアはびくともしない。
「開かないっ」
当然だった。屋上は立ち入り禁止になっていた。
陽一はがっくりと肩を落とした。
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