第3話 運の悪い日




 公園を出て家に帰った陽一は、家に着いた頃には汗だくになっていた。


 変な男にサングラスを渡されそうになり、公園では可愛い女の子に声をかけられ、変な日だと思いながらも喉はカラカラだ。

 一刻も早く水分をとらねばと玄関に入って靴を脱ぐなり裸足でキッチンに飛び込んだ。


 冷蔵庫を開けてなんでもいいから冷たいものを探した。

 麦茶を取り出しコップに注いで一気に飲み干す。それを三回繰り返すと、ほうっと大きく息をついた。


「生き返った……」


 麦茶は空になり、シンクにそのまま置いてしまう。どうせ、母が片付けるのだから構わない。

 財布があるか確かめるため部屋に戻ろうとした時、ふと、何かを思い出した。


「あれ? 俺、キャップ、かぶってなかったっけ?」


 今年の夏に買ったロゴのついたキャップがないことに気づく。


 陽一は青ざめた。

 どこに落としたんだろう。道で出会った変質者の所か、もしくは公園か。


 あの帽子はすごく気に入っている。今年の夏はものすごく暑いし、必需品となるだろう。なくすと母にまた言われそうだし、新しいのを買うお金もない。


 陽一はがっくりと首を落とすと、のろのろと玄関に向かいシューズを履いた。


 探しに行くしかない。

 おそらく公園だと思われた。

 こんなに運の悪い日はかつて今まであっただろうか。ない、あってたまるか。


 自転車にまたがり、やみくもに漕いで公園を目指す。


 あの、綺麗な女の子にまた会えるかな、などと、ぼやーっと考えながら水飲み場にたどり着いた。


 公園の入り口から自転車を押して中に入ると、水飲み場に女の子が二人いた。一人の少女を見た途端、陽一は胸が高鳴り、自転車のグリップを握る手が震えた。


「マジか……」


 とんでもないくらいかわいい女の子が自分の帽子を手に持って眺めている。

 陽一は呆けたように口を開けて、少女をじっと見つめた。


「うぐいす姫だ……」


 間違いない、と頭の中で声がする。


 それが自分の声だと、すぐには気付かないほどだった。


「本当にいたんだ……」


 陽一はいったん自分を落ち着かせようと深呼吸した。

 年を重ねるごとに、うぐいす姫なんかいないんだ。自分のおかしな思い込みだったという気持ちでいた。


 だが、目の前にいるのは間違いなく自分の運命の相手、うぐいす姫だ。


 よく分からないけど、自分たちは大昔から会うべくして生まれてきた。

 自分の中にある記憶が、彼女に声をかけるべきだと叫んでいる。


 陽一は震える足を必死で動かして、少女に近づいた。


「あ、あのっ」


 声をかけると、二人の少女がぎょっとした顔で陽一を見た。

 小柄でショートカットの子が大きな目を見開いて陽一を見たかと思うと、おびえたように後ずさりした。しかし、キャップを持っている髪の長い美少女は、まあ、と口を押さえてにこりと笑った。


「こんにちは」


 美少女、陽一が探していたうぐいす姫はほほ笑みを浮かべていた。


「お、俺っ、君を探していたんだっ」


 かっこ悪いくらい、声が上ずった。


「え?」


 美少女が首を傾げた。その顔もすごくかわいい。陽一はぽうっとなった。


「う、うぐいす姫だろ、君」


 陽一の言葉を聞いて、美少女は言葉を失ったように見えた。

 白い肌がさらに白くなったように思えた。




◇◇◇




 舞が手に持っているキャップを晶が手に取ろうとした時、背後から呼びかけられて二人は振り向いた。そして、晶は硬直した。


 な、なぜここに陽一郎が。


 今まで陽一郎に接近したことは一度もなかった。

 それが目の前にいて、一気に間合いを詰めてくる。


 晶は思わず後ずさりした。逃げなきゃ、と思ったが足がすくんで動けなかった。


「こんにちは」


 舞がにこっと笑って、陽一郎に挨拶をした。すると、陽一郎は舞の方へ駆け寄った。


「お、俺、君を探していたんだ」

「え?」

「う、うぐいす姫だろ、君」


 それを聞いた瞬間、晶は体が冷たくなった。舞も硬直している。


「え? あ、あの……」


 なんてことだろう。

 陽一郎は、舞をうぐいす姫だと勘違いしている。


 舞が戸惑っているのが分かった。晶も自分が立っているのが信じられないくらい動揺していた。


 信じられない。自分がずっと見守り続けていた相手が舞に言い寄っているなんて。


「あ、それ、俺の帽子なんだ。拾ってくれたんだね。ありがとう」


 と、にやけた顔で手を差し出し、舞からキャップを受け取った。


 晶さま、助けて、と舞が口ぱくで言ってきた。その瞬間、晶の体を怒りが突き抜けた。


――舞、そいつの前で我のことを晶さまと呼んではならぬぞ。お主がうぐいす姫で押し通せ。


 思念伝達をすると、舞が、えっと言う顔をする。

 

「あ、晶さ……」


 晶がキッと舞を睨んだ。


「晶ちゃん、助けて……」

「お主」


 晶は、舞と陽一郎の間に割って入った。


「え? あ、ちょっと何だよ……」


 陽一郎が口を尖らせて晶を睨んだ。

 晶は、真正面から陽一郎と目があって、顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。


「ま、舞に近づくでない」

「近づくでない? はあ? 変な言葉」


 まるでバカにしたような目で晶を見ている。晶は悲しくなって唇を震わせた。すると、陽一郎があっと声を荒げた。


「あ、お前、侍女ってやつだな」

「え?」

「ほら、うぐいす姫の部下、召使いだろ。姫を守るためならなんでもするってやつだな」


 チビなのにえらいな、と言われる。

 晶はあんぐりと口を開けて陽一郎を眺めた。


「あ、あの、陽一郎さま」

「え?」


 舞が話しかけると、陽一郎の顔が豹変した。目じりが下がり、でれでれと舞を見つめる。


「俺の名前知ってんの? うわ、感激」


 舞が慌てて陽一郎から離れた。陽一郎は悲しげな顔をして肩をすくめた。

 

「でも、ちょっと間違っているよ。俺の名前、陽一郎じゃないよ、陽一だよ」

「陽一郎さまでは……ないのですか?」

「うん」


 舞が困惑している。

 無理もない。晶も混乱していた。名前が違うのは初めてだった。


「あの、失礼ですが……お名前は?」

「俺? 笹岡陽一、高校一年生。君は?」


 陽一郎が意気ようようと答えた。

 舞は、目を輝かせる陽一郎からさっと視線を外して晶を見た。


――舞と答えよ。


「ま、舞と申します」

「舞ちゃん、うわ、すっげ、最高にかわいい名前」

「あ、あの、陽一さま、こちらの方は……」


 舞が晶を紹介しようとすると、陽一郎は興味なさそうにちらりと晶を見た。


 ぶ、無礼な男だ。

 晶はもう我慢がならず、唇をぐっと噛んだ。


「こちらは晶ちゃんです」

「あきら? 男みたいな名前だな」


 その言葉に、舞が目を見開いて口に手を当てた。

 晶は怒りで我を失いそうだったが、大きく息を吐いた。


「……お前、陽一と申したな」

「ん?」

「うぐいす姫の何を知っているのだ」

「え……」


 陽一郎、いや、もとい陽一は頭をかいて、うーんと唸った。


「実を言うとちょこっとだけ。俺と舞ちゃんが運命の相手で結ばれるってことしか知らない」


 舞は小さな口を開けた。


「は?」


 晶は震える手で舞の洋服をつまむと、くいと引っ張った。


「行くぞ」

「えっ、ちょっと待ってよ、せっかく会えたのに。連絡先教えて、ね。お願い」


 晶は大きな目を吊り上げて、陽一をにらみつけた。


「舞、行くぞ」


 晶が強引に歩きだす。陽一はしつこくついて来た。


「また、会える? ねえ、待ってよ」


 すがるような目で陽一が言う。

 晶はもう少しで力を使って彼をどこかへ飛ばしてしまいたい衝動に駆られたが、ぐっと我慢をした。

 舞は申し訳なさそうに答えた。


「ま、また、ご連絡いたします……」

「待ってる」


 陽一が寂しげに手を振った。

 舞が手を振るのを見届けて、晶は顔を伏せると公園を出た。次の瞬間、晶は瞬間移動をした。


 まわりも確認せず、衝動的な行動は初めてだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る