第107話

私の皮肉めいた言葉に対し、無言の六神がどんな顔をしていたのか知らないし、私も今どんな顔をしているのか分からない。ただ六神以外に視線を投げつつ、スパムむすびを頬張るのみだ。



咄嗟に六神の手が伸びてきて、私の手首をつかむ。



「あ、」と自分の漏れた一文字が、そのまま六神の開いた口の中へと吸い込まれそうになった。



六神が、私の食べかけのスパムむすびにかぶりつく。



なんか、えろい…。六神の口角はきゅっと彫りが深くて、その大きな口が荒々しくも扇情的にみえてしまうのだ。



ゆるいキスなんかよりもずっと官能を誘う六神の行為に、ただ呼吸を必死に促すしかなかった。


  


「……朝から塩分取りすぎた。」



六神が自分の唇を中指でひと撫でし、艶のある唇を造る。



自分が持つスパムむすびを見れば、スパムの部分が跡形も無くなっていた。この野郎。




「そういえば、前にお前が担当してた味八みはちフーズってとこ、覚えてる?」


「ああ、フリーズドライ製品輸出してたとこ?」


「今俺その親会社担当してんだけど、味八フーズが今度冷凍の柚子皮をカナダに輸出する企画があるんだって。」


「へえ。柚子ピールとか美味しいよね?」


「まあ日本の柚子は香料で使われやすいけどな。もし案件取れたらお前に申請業務投げていい?」 


「いいけど。そっちの担当に任せた方がやりやすいんじゃないの?」


「もし企画通ったら、前お世話になった実来さんにお願いしたいって言われてるし。」


「……なぜ。」


「対応がスムーズだからやりやすいって。」



そんな指名制度がこの世にあるなんて、あたしゃ知らなんだ。



味八フーズのフリーズドライは、一年前まで私が担当していた輸出案件で、今では海外でフランチャイズ展開するため、親会社の味八物産が引き継いでいるらしい。



子会社である味八フーズは一応中小企業になるため、私のいる一課の担当ということになってはいるものの。六神が親会社から芋づる式に狩ってきたなら、三課の仕事としてやればいいのだ。



だから名指し指名なんて、かなり嬉しすぎる。嬉しすぎるのに、手放しでは喜べない。ただ海に飛び込みたい気持ちと相殺されて、平常心に戻るだけだ。

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