第57話

六神の狂気に満たない爪先と、甘く余韻を残す指の腹が交互に私の身体を辿り始める。



腰から胸に上がっては、胸から一気に降下する指は、まるで私を慈しむかのように扱うのだ。



あの日の甘い六神を優に越えて、私の知らない六神が今、目の前にいた。



私が酔っ払っていた時も、もしかして、こんな風に扱っていてくれたのだろうか。愚かな自分を恥じなければならないのに、六神はこれでもかと甘い愛撫を私に与える。



 

私の手首をつかむ六神の爪が、腕時計の文字盤に当たり、かすかに音を鳴らす。



私の唇からゆっくり離れて、六神の瞳が腕時計に鋭い視線を送る。その様子に、文字盤に爪が当たったのは故意によるものだと判断した。


 

「これ、どうした?」


「……え」


「自分で買った?この腕時計。」



らしくないと言われた私の腕時計は、革製の黒いベルトに文字盤が木製のブランドものだった。



らしくないと言われても私にはどうしようもないことで、今日こんなことになると分かっていれば、腕時計はしてこなかった。



今このタイミングで、どう説明していいか、いや、どうシラを切ろうか悩んでいると、どこからか着信音が鳴る。



音の距離から、おそらく玄関にある六神の鞄の中からだろうと判断する。その着信相手が誰なのかということも、あらかた予想がついてしまう。



六神は一瞬、玄関の方を見て、どこか思い悩むように黒目を動かして。



当然私はその反応にいい気はしない。



できれば着信音など気にならないくらい、元カノに無我夢中になっていて欲しかった。



だから試したんじゃん。かのじょにわるいって。



苦しくないといえば嘘になるし、かといって今まさにシラを切るいいタイミングともいえてしまう。



でもこの男は、今カノの着信よりも、元カノと過ごす背徳的な時間よりも、私の腕時計が気になって仕方がないらしい。

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