第50話

「ちょっと、指紋認証じゃん!指貸して。」

「なにゆび?」

「なんでもえーわ!」

「こわー」



だらしなく椅子に垂れ下がる六神の手を無理やり持つ。



その時の私は、迅速に事を済ませようと、頭の中をミニマリストよりも簡素化された空間にリフォームしていた。



カノジョニアイテー

悔シカッタラ ド清純ニナッテミ



六神から取り残された言葉だけが、その空間に浮遊する。



タイプライターで打った片言の文字は、この先私という元カノの根底に根付いていくのだろう。近い将来、それを笑い飛ばせるほどの逞しさを、私は持ち合わせているだろうか。



きっと六神を踏み台に、私は新たな幸せを掴み取るのだ。



しかしそんな私の脈絡なき決意に、この男は何食わぬ顔で元カノを籠絡ろうらくしようとするのだから、ある意味私たちのストーリーがウィットに富んでしまう。



六神が、スマホを持つ私の手首を掴む。



「ちょ、ちから、つよ!」



振りほどこうにも。この酔っ払いは私に手加減などしないらしい。六神の重そうなまぶたが、ゆっくりと私を見据えようと動く。 



「みらいでいいから、送ってって」


「……は?」


「うちまで、きてよ」


「あんたんち行ってから帰ってたら、遅くなる」


「とまってけば?」



はあ"?



私のまぶたも一瞬にして重力を感じた。目を細め、六神を全力の白け顔でにらみつける。



“でいいから”ってなんだ。じゃあ本命に頼めよばか。


 

「かのじょ、実家かえってていない」


「……ちから強いし元気じゃん。一人で帰れば?」


「なにキレてんの。」



こんなの、キレない方がおかしい。



自分の言ってること、わかってる??



いい加減涙が出そうだ。人前でなんて絶対に泣かないって決めてるのに。

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