第20話 みいの過去

 みいは、目の奥底に暗い光をたたえ、近距離でスマホを見続ける。時折首の後ろをさすったり、手首をブラブラと緩めたりして。


「何かが出てくる、とは、言い得て妙だね。スマホから何も出てこないことは知っているのに、現代人はまるで、スマホの中によっぽど大事なもの、あるいは、恐れているものがあるかのようにスマホを監視している」


「そういうこと。それで?あたしからスマホを引き放せそ?」


「今の君からスマホだけを取り上げたところで、何も解決しない。その原因を取り除かないことにはね」


「ふーん。なるほどね。診断士っぽいこと言うじゃん!」


「本物だよ」


 あをいはスマホを眺めるみいを、じっと観察する。


「……なんか、見られてる?」


「いいや。手や首が痛いんだろうなと思ってね」


「うーん、そう。最近、ちょっとねー」


「日常生活に痛みという形で支障が出ているのに、やめられない。これは君が思うよりもはるかに重症だ」


「や、調べたんだけどさ。スマホ依存症の高校生って結構、いるらしいじゃん。えーと、前、なんて調べたかな……」


 指を忙しなく動かし、眉間にシワを寄せる。


「調べなくても知っているよ。けれど、それを鑑みても君の依存度はかなり高い」


「やや、そんなことないって」


 空は青く、澄み渡っている。今日は朝から晴天だった。


麻布島まふしまさん。今日の天気は分かるかい?」


「ん?今日の天気?ちょっと待ってね、調べるから」


 忙しなく指を動かすみいに、あをいが眉尻を下げる。


「……窓の外を見たまえよ」


「あっ。ぶはあっ、爆笑、面白すぎ……!」


 俯いていたみいが空を見上げ、大笑いする。


「まったく。こんなにも気持ちのいい青空を見逃すなんて、もったいない」


「やばい、マジで依存症だわ。ウケる。空とか久しぶりに見たんだけど!」


「ウケない」


 大笑いしながら、目を細めるみいが、ものの十秒でスマホに戻っていく。


「スマホでは主に、動画を見ているのかな?」


「うん、そうだよ。可愛い子が踊ってるやつとか、動物の面白いやつとか」


「面白い、と言うわりには、笑っていないね」


「まあ、飽きてきちゃうからね。診断士さんは動画とか見ないの?」


「嗜む程度には」


「動画、嗜んでるんだ。ウケる」


「ウケない」


 あをいが机に肘をつき、手の甲に顎を乗せる。


「家庭で何かあったのかい」


 みいの体がビクッと震え、指の動きが止まる。


「なんで?」


「子どもの歯並びがいいのは大方、親の努力の賜物だ。お金もかかるし、通うにも時間が取られるからね」


「そこまで分かっちゃうのかー強いなー。確かに昔、乳歯がグラグラする度に歯医者さんに連れていってもらってた」


「まあ、可能性の話だよ。――そして、こんなにも視力が低下しているのに、君は眼鏡をかけていない」


 短いサラサラの茶髪が、風のない教室で揺れ、指の動きが止まる。


「――続けて」


「視力が悪いなんて言うのは、少し見ていれば誰にでも分かることだし、君のその感じだと、黒板もまともに見えていないだろう?成績も下がってるんじゃないかい」


「わーお、占い師みたい。や、未来診断士さんだから、分かっちゃうのか」


「そのとおり。そして君の相談ごとというのは、スマホを手放したい、なんてことじゃない」


 スマホをスリープモードにして、みいは暗い画面を見つめる。


「じゃああたしの相談ごと、診断士さんはなんだと思う?」


 あをいはなかなか視線の合わないみいの目をて、言う。


「――助けてほしい」


 みいの目が、あをいを捉える。


「へえ。診断士さんには、あたしが助けを求めてるように見えるんだ。意外ー」


「茶化す必要はない。ここでは自然体のままでいればいい」


 みいが深いため息をつき、スマホを机の上に置く。


「家庭の事情ってやつまで、そんなに分かるものなの?」


「僕に分かるのは少なくとも、現在の君の保護者たる人物が君のことをまったくと言っていいほど気にかけていない、ということだけだ」


 頬杖をついたみいが、自分の足をブラブラさせて見つめる。


「……あのさ。うち、お母さんが亡くなったの。今年の春に。それ以来、お父さん、女の人を取っ替え引っ替え連れ込むようになって。家に居場所がないからあんまり帰らないようにして、家ではずっとスマホを見てる。不必要に話しかけられたくないし――」


 見たくないものを見なくて済むように。


「でも、考えてみたらさ。人間を面白いおもちゃとして雑に扱って、数日で飽きたら適当に捨てるようなことを、誰もが平気な顔をしてやってる。捨てられたおもちゃの気持ちなんて、誰も考えない」


 みいが両足をぴたりと揃え窓に向けて動きを止め、


「そういうの永遠に見てるとさ、気持ち悪くなってくるんだよね。――よっ、と」


 両手を広げて勢いよく立ち上がる。そんなみいに、あをいが告げる。


「君は、おもちゃじゃない。人間だ」


 真っ青な空を背景に振り返ったみいは、


「知ってる」


 逆光で表情を隠して、答えた。


「――そして君にはもう一つ、スマホを見ている理由がある」

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