第12話 ゆもちの未来

 机、椅子、床、あをいの右手が瞬間接着剤により一体となった。これでは、どうあがいても、逃げ出せない。


「いい表情ですね……」


「僕が席を外している隙にやったのか。随分と、用意周到だね」


「ああ、最高に、イケナイ感じがします……あ」


 あをいは恍惚とした表情のゆもちの隙を縫い、左手で手前の端末をスリープモードにし、後ろ手に隠す。


 端末にはロックがかかっており、これで見られる心配はない。もう一つの端末は、まだ机の上でゆもちに向けられている。


「あの、こんなこと、聞いていいか分からないんですが……そんなに見られたくないものが入っているんですか?ああ、すみません。他の方のデータが入っているんですね」


 その端末の方をゆもちが持ち上げて操作を試みるが、回答用の端末は診断士の操作なしには動かない。


「守秘義務があるからね。興味があるのかな?」


「あります。人の弱みを握れば、もっと、いろんな人の、歪んだ表情が見られますから……」


「なんて悪い趣味なんだ」


「す、すみません……へへ」


「これっぽちも褒めてない」


 へらへらと笑いながら、ゆもちは端末を床に置くと、鞄から取り出したガムテープで、あをいをぐるぐる巻きにした。


「それっ」


「いてっ!?」


 その後でガムテープを頭に貼られ、勢いよく剥がされたあをいの髪の毛が何本か抜ける。


「あはは、あ、す、すみません。こんな、子どもっぽい遊びみたいなことして……」


「参考までに聞きたい。麻布島まふしまさんに、何をしたんだい」


「そ、そんなに大したことはしていないんですが……」


 あをいが生唾を飲み込み、ごくりと喉を鳴らす。


「えと、実は、SNSで鍵つきのアカウントを複数作って、みいちゃんの悪口を書き込んだんです。四月から用意してたんですが、みいちゃんと仲のいい、心夢こむさんや、ちしおさん、きひろちゃんの裏垢で書き込まれたもののように見せかけて――スクショして送って、その、それだけ、なんですけど……」


「それで?」


「みいちゃん、日に日に顔が暗くなっていって。もともと、わたしたちと話してるときもスマホをずっと見てる子だったけど、ついには授業中にもスマホを見ずにはいられなくなって……。先生に怒られて、成績も落ちていって、可哀想で可哀想で、本当に、胸が痛くて――最高でした」


 にへらと、ゆもちが笑い、机の縁に手をかける。


「僕は、未来診断士だ。診断に来た人間のことはできる限り、偏見なく、平等に診ることにしている」


「それでもきっと、わたしは、今までの中で一番、最低、ですよね……。もう、消えた方がいいですよね、すみません、すみません……」


「そしてそれを肯定されると、君は喜ぶ、というわけだ。なんとも、人心の掌握が上手いね」


「あ、えっ、そ、そういうわけじゃ……」


「もちろん、無意識だろうね」


 両手で机を持ち上げたゆもちを、立ち上がることのできないあをいは、鋭く、真っ直ぐに見つめる。


 いまだ手のひらは机に貼りついており、教科書の入っていない机の重さはおよそ、八キログラム。


「君の趣味に付き合う前に一つ、問いたい。――君が君自身を罰するようになったのは、いじめに遭ってきたから、だね」


「……さすが、診断士さんですね」


 あをいは目を逸らさずにゆもちを観察し、ゆもちはふらふらと体ごと机を揺り動かす。


「小学校でも、中学校でも、毎日、いじめられて。悪口もたくさん、裏で先生たちにバレないように言われて。死にたいと、今でも一日に何回か、ふとした瞬間に思うんです。……でも、自殺する勇気が、ないんです。だから、ただの遊びだ、ふざけてるだけだ、この苦痛は嬉しいことなんだと、思い込むようにしたんです。そしたら本当に――」


 ぱっと、机を手放す。話に気を取られていたあをいは、わずかに、反応が遅れる。


「あぶっ!?……いっつ!」


「いじめられるのが、嬉しくなったんです!でも、でも、もっと嬉しかったのは、いじめっ子を思わず、突き飛ばしてしまったときでした。あのとき、気づいたんです。――ああ、人をいじめるのって、こんなに楽しいんだ、って!」


 雷が落ち、電気が消える。稲光に照らされて、ゆもちは両手を広げ、天を仰いだ。


「あああのっ、わたしがみいちゃんをいじめたって話、みいちゃんから聞いたんですか?」


「だとしたら?」


「わたしを見て怯えるみいちゃんの、絶望した表情を、見てみたい、です……!」


 明かりの消えた暗い教室の中で、あをいはゆっくりとまばたきをし、ゆもちの目をる。


 ゆもちが机の足を持ち上げ引っ張り一歩ずつ下がる度、前かがみになり、苦痛で表情が歪む。が、目は、逸らさない。


麻布島まふしまさんからはあいにく、何も聞いていない。ただ、君は一見、自信なさげだが、この手のタイプにしては、他人に対する不信感や恐怖心が薄い。――僕と目が合いすぎるんだ。そしてそれは、僕の表情を観察しているから。顔色を窺う感じじゃない。僕から逸らさないと視線が合い続けて気まずいくらいに、見られている、という感覚がしたんだ。きひろの兄だとはいえ、僕と君は初対面だからね」


「すごい……。診断士さんって、そんなところまで診ているんですね」


「君は自分に自信はないが、他人のことは恐れていない。それは、耐え難い恐怖心を、快楽に置き換えることで自己の心を防衛したからだ。それから他人への恐怖は、他人への攻撃対象としての興味に変わった……っ。――他人を恐れる人間は、極力、他人と関わろうとはしない。それなのに君は、僕に対して恐れずに質問を繰り返した……ッ!」


 あをいの腕が震え、手のひらの皮膚を引っ張られて、手の甲が真っ赤に染まる。さらに一歩、ゆもちが下がる。手のひらを守ろうとすれば肩が持っていかれ、ピンと張ったカッターシャツで締めつけられる肩を守ろうとすれば、手の皮が引っ張られる。


「あはは、はははは……。痛いですよね、苦しいですよね。ああ、とてもつらそうです。あはは、はは……!」


「……では。君の未来を診断しよう」


「わたしの、未来?」


「君は賢い。この先もきっと、大人しく真面目ないい子だと思われ続けることだろう。その裏で人をいじめて楽しんでも、恐らく、気づかれはしない」


「でも、絶対ではない、ですよね」


「それは、きひろに気づかれることに対する恐れかい?」


 わずかに一瞬だけ、ゆもちの意識があをいから外れる。


 ――その一瞬に、左手に持っていたタブレットを、あをいは、ゆもちのいる方に向かって放り投げた。

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