五日目の夜


 姉が非常にブチギレていると、補習から帰った藍子はすぐに思った。



 特別藍子に何かを言ってくる訳でも、八つ当たりのような事をしてくる訳でもないが、心実の全身が怒りのオーラに包まれ、酷くピリピリしている。



 もしもオーラというものが目に見えて分かるものなら、きっと業火ごうかのようなものなんだろうと藍子は思う。



「お姉ちゃん、何かあったの?」


 琢が眠るのを待って藍子がそれを口にすると、心実は「何が?」と聞き返す。



 だけどその声は酷く刺々しく、「何かあった」と言ってるようなものだった。



 心実はそれにすぐに気付き、隠していても意味はないと諦めて、ダイニングテーブルの藍子の前の席に座る。



 麦茶を飲んでいた藍子は、パチパチと瞬きをして、怒りの業火に包まれる心実をジッと見つめた。



 そんな藍子に心実が一言目に言ったのは、「意味が分かんないのよ」という意味不明な言葉。



 そして続けて「何がどうなってんの?」と聞かれたから、藍子はすっかり困ってしまった。



 姉が何の話をしているのか藍子には微塵も分からない。



 だけど何となく「何が?」と聞いてはいけない気がして、「うん」と適当に返事をした。



 藍子なりに空気を読んだつもりだったのだが、完全に読み間違っている。



 けれどイライラしている心実は余り気にならなかったようで、



「今日、惣一郎まで【Kingdom】に出てんだけど」


 腹立たしげに言葉を続けた。



「トワさんが?」


「そう!」


「えっ、でも【Crown】は? お休み?」


「早い時間は他の従業員に任せて、一部終わってから行くんだってさ!」


「じゃあお姉ちゃんが怒ってるのはそれで?」


「それでってどういう意味?」


「トワさんがホストするから怒ってる?」


「はあ? んな事どうでもいいし。ホストでもジゴロでも好きにすりゃいいっての」


「じゃあ、何をそんなに……」


「意味分かんないからだって! あいつらおかしいでしょ! あんたもおかしいと思うでしょ!? 【Kingdom】がそこまで忙しくなる事ってないでしょうに!」


「ないの?」


「ないっつーの! お兄ちゃんと惣一郎が出なきゃいけないくらい忙しいなんてある訳ないでしょ! って事はあいつら何かコソコソコソコソしてんでしょ!? それが何なんだって事! 惣一郎にいくら聞いても、のらりくらり交わしやがるし! あのクソ兄貴は酔っ払ってて全く話になんないし!」


「…………」


「何よ」


「……何が?」


「その顔よ。変な顔してんじゃんか」


「いつもだもん」


「いつも以上にって事! あんたまさかまだ自分の所為だとか思ってんの?」


「…………」


「あんたの成績が悪かったからって今更お兄ちゃんが怒る訳ないでしょ!」


「呆れたのかも……」


「はあ?」


「呆れて帰って来ないのかも……」


「呆れんなら何年も前に呆れてるっての! あんたの成績に対しては呆れてるんじゃなくて、諦めてんの!」


「本当に?」


「嘘吐く訳ないでしょ」


「本当に本当?」


「本当だってば」


「本当はお姉ちゃん、お兄ちゃんが帰って来ない理由知ってて隠してるとかじゃない?」


「何あんた。あたしの事疑ってんの?」


「…………」


「あのねえ。理由知ってるんだったら、こんなに怒ってないっつーの」


「……そっか」


「あんた、もうちょっと頭使いなさいよ」


「はーい」


「あんたと喋ってたら気が抜けるわ」


「んー、でもそれならどうしてお兄ちゃん帰って来ないんだろうね」


「は?」


「トワさんも【Kingdom】で何してんだろ」


「…………」


「ふたりで隠し事してるのかなあ? 何か怪しいね」


「だからあたしはさっきからずっとその話してんだけど?」


 心底呆れた声を出した心実に、藍子は「そっか」と笑いながら、心の中では兄が帰って来ない原因が本当に自分にないという事にホッとしていた。



 姉にも「そんな事ある訳ない」と散々言われ、兄からの否定の伝言も聞いてはいたが、心のどこかで姉が嘘を吐いてるのかもしれないと藍子は思っていた。



 それが、トワの不可解な行動のお陰で本当の事だと分かり、藍子は兄やトワの行動の不可解さよりも、兄を怒らせた訳じゃなかったという事に安心した。



 だから。



「お兄ちゃんが帰って来たら、何をしてたのか聞いてみようね」


 兄とトワの不可解な行動に対しての反応は、随分と呑気だったりする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る