終わり


 藤堂家がぎこちなくなる期間の終わり。



 藤堂家では、テスト最終日の夜は決まって家族で外食をする。



 期間中ずっと早番で通し仕事をしていた翡翠が店を休むこの外食は、表向きはテスト勉強を頑張った藍子の慰労会という事になっているが、実際は家族全員の苦労を労う会である。



 翡翠の運転する自家用車で藤堂家一同が来た場所は、都心部にある焼き肉店。



 高級――とまではいかないが、それでもそこそこいい値段のするこの焼き肉店に藤堂家一同が来るのは、この時だけだったりする。



 その所為か、予約していた個室で焼き肉を食べる家族は皆、機嫌がいい。



「あたし、補習受けなくていいと思う」


 自分のお肉の焼き加減を見ながらニコニコと――少々得意げに――そう報告した藍子に、翡翠と心実は顔を合わせてから目を向ける。



 その過程に気付かない藍子は、自分を見つめる兄と姉に笑顔を向けて。



「多分だけど」


 言葉とは裏腹な、清々しい表情で付け加えた。



「結構出来たんだ?」


「うん。結構出来た」


 姉の問いにやっぱり笑顔で答えた藍子は、目を離した隙に焦げ始めた肉を小皿に取り、



「だから補習は受けなくていいと思うんだ」


 なんて事を、自信ありな感じを隠しきれていない表情で告げるから、翡翠と心実はチラリと目を合わせた。



 もしも――という事がある。



 テストの結果がいいに越した事はないし、自信があるのは結構だが、もしもという事がある。



 自信を持っていればいるほど、その「もしも」が起こった時のダメージは大きい。



 だから翡翠はコホンと咳払いをして、手元にあったウーロン茶をひと口飲んでから、「それはよかった」と言い、「でもな?」と続けた。



「でもな? もし補習を受ける事になっても、それは藍子が悪い訳じゃない。分かるな?」


「うん。頭打ったからでしょ?」


「ああ、そうだ。藍子は覚えてねえだろうけど、お前は小さい時にそれはそれは物凄い勢いで頭を打ったんだ。二、三日気絶するくらい、しこたま頭を打ったんだ」


「うん。その話は何回も聞いた」


「だからお前はそんなにバカになったんだ」


「だね」


「仕方ねえ事だ。あれだけ頭をぶつけたら誰でもバカになる」


 うんうんと、自分の言葉に納得するように頷きながら翡翠がした話は嘘である。



 藍子は小さい頃そんな風に頭を打った事はないし、二、三日気絶していた事実もない。



 だが翡翠はテストのあとは毎回この話をし、心実は馬鹿馬鹿しいとは思いながらも、黙って「そういう事」にしている。



 それもこれも藍子の為。



 謂わばこれはもしもの時の為の保険であり、藍子への気遣いだ。



 この話を信じているのは藍子本人と、カルビを食べ続けている琢のみ。



 きっとこのふたりは、生涯この話が嘘だという事を知らないままだろう。



 実際そうでなかったとしてもそうしておいた方がいいという事が、藤堂家には色々とある。



 テストに関しての話題はそこで終わり、それからは和気藹々とした時間が流れた。



 たらふく焼き肉を食べた藤堂家の誰もが、終始笑顔の慰労会だった。





「んじゃ、気を付けて帰れよ」


 焼き肉屋の前。



 窓が開いてる運転席に向かって外から翡翠がそう声を掛けた相手は、自家用車のハンドルを握る心実。



 心実は車のエンジンを掛け、「はいよ」と答えて助手席にいる琢のシートベルトを確認し、



「何かあったら電話してこい」


「はいはい」


 翡翠の言葉に軽く答えて、「じゃあね」と手を振り車を発進させた。



 その場に残り、小さくなっていくテールランプを眺めていた翡翠は「さて」と小さく呟く。



 そして隣にいる藍子に目を向けると、「行くか」と促した。



 慰労会のあと、翡翠は藍子とホテルに一泊して朝に帰る。



 これも慰労会同様毎度の事で、今回が特別という訳ではない。



 だから藍子もその事に違和感を覚える事はなく、「うん」と答えてホテルに向かって歩き始めた。



 ただ、ふたりが泊まるホテルはラブホテルではなく普通のホテル。



 しかも必ずツインの部屋。



 広めの風呂がある――それでもラブホテルのように広々としてる訳ではない――部屋にチェックインするのは、翡翠なりに理由がある。



「こっち使って、こっちで寝る」


 ホテルの部屋に入ってすぐ、ベッドのひとつひとつを指差して言った翡翠に、藍子は「はーい」と返事をしてバスルームに向かった。



 これも毎度の事なので、藍子は何とも思わない。



 翡翠がツインの部屋にする理由は、ベッドがひとつではナニのあとにシーツがグチャグチャになって寝れる状態ではなくなるから。



 いつもはそんな事はない。



 そんなに酷く乱れはしない。



 ただこの時は、藍子がテスト勉強をする期間、ずっと我慢し続けていただけに、翡翠も加減が出来なくなる。



 だからこそのツインの部屋になる。



 ふたり入ると狭くなるバスルームに無理矢理ふたりで入り、浴槽のお湯にすし詰め状態になりながらふたりで入る。



 お湯の中で藍子を背中から抱き締める翡翠は、何度も肩口に唇を落とし、藍子の髪からするシャンプーの匂いに興奮する。



「あのね、お兄ちゃん」


「うん?」


「さっき焼肉食べながら言ってた話だけど」


「何の話だ?」


「テストの。補習受けなくていいかもって話」


「うん。それがどうした?」


「あの時はあんな風に謙遜して言ったけど、本当はすっごく自信があるんだ」


「そうか。謙遜したのか」


「もしかしたら、今までで一番いい点数取れるかも」


「うん」


「もちろん合計点ね!? 勉強出来なかった二教科があるから」


「だな」


「あの二教科は赤点だと思う」


「うん」


「でも他のはいい点数だと思う」


「うん」


「今回いっぱい勉強したし!」


「ああ」


「いつもしてるけど、今回はいつもより勉強した!」


「分かってる」


「だからきっと今回は――」


「藍子」


「うん?」


「よく頑張ったな」


「うん!」


 ご機嫌で返事をした藍子の濡れた髪に触れ、優しくそこを撫でた翡翠は、藍子を振り向かせ唇を重ねた。



 そろそろ我慢も限界の翡翠の手が藍子の体を撫で始め、藍子の内腿に触れる翡翠の指先が滑っていく。



 藍子が逆上のぼせる寸前まで、浴槽の中で藍子の体を指や舌で堪能した翡翠は、それからベッドに移動して、結局深夜まで藍子を抱いた。



 隣のベッドに移動する時には藍子はぐったりとしていて、毎度の事ながら「ヤりすぎたか」と翡翠は反省する。





 藍子がテスト勉強をする期間、藤堂家は妙な雰囲気に包まれる。



 皆が皆藍子を気遣い、何となくぎこちなくなる。



 毎朝藍子を起こす琢がいつもとは違って静かに起こしたり、テスト期間は午前中で学校が終わるのに図書館で勉強する藍子の為に心実がお弁当を作ったり。



 藍子がゆっくり眠れるようにと、早く帰って一緒に眠れる夜があっても翡翠が自分の部屋で寝たり。



 そんな風に、色々とある家族の気遣いひとつひとつに、藍子は気付いていない。



 だが、気を遣ってくれているという事は分かっている。



 勉強がしやすい環境にあると分かっている。



 そしてそれに感謝している。



 藍子がいい成績を取る為に勉強をしている理由は、家族の為。



 いくら勉強をしても上がらない成績に嫌気が差し、手を抜いたりしないのも家族の為。



 藍子は自分がいい成績を取れば、家族が喜んでくれると分かっているから、家族を喜ばせる為にいい成績を取りたいと思っている。



 高校に通わせてもらっていると思っている藍子は、いくら出来ないからといっても「勉強」の手を抜くなんて事は家族に対しての裏切りだと思っている。



 どうせ無理だと諦めていては、生活の面倒をみる為に働く兄と、きちんとした毎日の生活を送れるように家の事をしてくれている姉に申し訳ないと思う。



 勉強が出来ない頭の悪い藍子は、「人」として頭はいい。



 それは家庭環境のお陰だろう。



 藤堂家の家庭環境が、自然と藍子にそう思わせる。



 そして家族の誰もが、その藍子の気持ちを分かっている。



 家族を喜ばせようと必死に勉強しているのが分かっているからこそ気遣い、出来る限りの事をする。



 つまり翡翠や心実や琢にとってはテストの結果なんてものはどうでもいい。



 家族を思い、勉強を頑張っている藍子の姿を見ているだけで嬉しくなる。



 結果は関係ないのだ。



 努力の過程を見ているだけで充分なのだ。



 だから、期末テストの結果が赤点だらけで、夏休みに補習を受けなければならない事実を言い辛そうに藍子に打ち明けられても、藤堂家の中には藍子を怒る人間はいないし、当然トワも怒らない。



 そしてまたテスト期間がくれば、同じように藍子を気遣う。



 常にそれの繰り返しだ。



 何にせよ、明日から藤堂家はいつもの藤堂家に戻る。



 ただ皆が皆それぞれに家族を思う愛で溢れている部分は、ずっと変わらない。





 ぎこちない家族 完

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