誰にも言えない


「先にシャワー使っていいよ」


 たっぷりと時間を掛けた儀式は、終わったあとにほんの少し余韻を残す。



 寝室には、あたしと惣一郎の匂いが充満して、何となく全体的に湿っぽい。



「汗、凄い」


「心実の?」


 体を起こしてベッドに座ったあたしに、ベッドにうつ伏せになったままの惣一郎は声を掛け、



「惣一郎のでしょ」


「心実も汗凄いよ?」


 言葉を発しながら、まだ足りないと言うように、あたしに触れてくる。



 でもあたしはもう充分堪能したし、体力的にももう限界。



「そういえば、惣一郎」


「うん?」


「あんた、藍子に変な事言うのやめてよね」


「変な事?」


「ホスト辞めたの、あたしの為だとか何とかって言ってんでしょ」


「まあ、それっぽい事は言ったかな」


「嘘言うのやめてよね」


「何で?」


「鵜呑みにして困る」


「何で困る?」


「本当は違うのに、『トワさんはお姉ちゃんの為にホスト辞めたんだよね』って目えキラキラさせて言われるあたしの身にもなってよ。何かあたしが騙してるみたいな気分になるんだけど」


「そうだよって言えばいい」


「そうじゃないから言わない」


「心実の為に辞めたんだよ」


「その嘘、あたしには通用しないね」


「嘘じゃない」


「まあ、厳密に言えば嘘じゃないかもね。あたしの為に辞めたんだから」


「…………」


「ねえ、惣一郎。そろそろお兄ちゃんと藍子に本当の事話したら?」


 言った途端にあたしに触れてた惣一郎の手が離れた。



 ベッドの端に腰掛けてたあたしが振り返ると、惣一郎は枕に顔を埋めてた。



 だから。



「ごめん、心実。翡翠にも藍子ちゃんにも言うつもりない」


 小さな小さなその声を出した惣一郎が、どんな表情をしてるのか見る事が出来なかった。





 十年前、乗ってた車が高速道路の防御壁に突っ込み、父親が死んだ。



 父親は助手席にいた。



 運転席にいたのは知らない女の人。



 事故当初、運転席にいた女の人と父親の関係を警察に聞かれたけど、あたしたち家族は誰もその人を知らなかった。



 名前を言われても分からなかったし、写真を見せられても分からなかった。



 のちに警察が検証をした結果、事故は運転者の自殺行為と判明。



 ブレーキ痕はどこにもなく、かなりのスピードで突っ込んでたらしい。



 最後の最後まで父親と運転席の女の人の関係は分からないまま。



 だけど何となく周りの雰囲気的に、無理心中って方向で話は収まった感じだった。



 どうも女の人は心に病を持っていたらしい。



 その女の人が、惣一郎の母親だと知ったのは一年ほど前になる。



 ただ母親とは言っても、子供の頃に両親が離婚して父親に引き取られた惣一郎は、両親が離婚して以降、母親と一度も会ってなかったらしい。



 事故を起こした女の人の素性を知るきっかけになったのは、惣一郎の寝室のクローゼットの中にあるアルバムをたまたま見た事。



 アルバムの最後のページに、まるで隠すように挟まれていた一枚の写真には、幼い惣一郎と母親の姿。



 庭だか外出先だかは分からないけど、緑いっぱいの木々を背景に、母子はこっちを向いてにっこり笑ってた。



 それを見て思い出した。



 ふたりが並んでる写真を見て、忘れてた記憶が蘇った。



 兄に惣一郎を紹介された時、「どこかで見た事がある」と思ったのは、真実見た事があったから。



 あたしは一度、父親の生前時に、惣一郎と会った事がある。



 あれは確かまだ小学生だった頃。



 どうしてそうなったのかは覚えてないけど、あたしは父親と一緒に、惣一郎と惣一郎の母親と四人で食事をした。



 その頃は惣一郎の両親もまだ離婚してなくて、惣一郎にとってその女の人は母親だった。



 食事の内容とか、その時した話とか、その時会ったはずの惣一郎の母親の顔はすっかり忘れてたけど、記憶の片隅には惣一郎の顔が残ってた。



 あの頃の面影がほんのりと残る惣一郎を覚えてたあたしは、だから「どこかで見た事がある」と思ったらしい。



 惣一郎はあの事故に関して、あたしたち家族に対して申し訳ないって気持ちがある。



 惣一郎は悪くないのに、まるで自分の責任のように感じてる。



 あたしたち家族が、父親が死んでしまったばっかりに、しなくていい苦労をしていると悔やんでる。



 自分の母親がしでかした罪を、惣一郎は償おうとして、あたしたち家族の為に色んな事をしてくれる。



 この事を兄は知らない。



 藍子も琢も何も知らない。



 あたしもたまたまアルバムを見て惣一郎を問い質して知ってしまっただけで、本当なら惣一郎は一生誰にも言うつもりはなかったらしい。



 いっそ全て言ってしまえば惣一郎は楽になれるかもしれないのに、惣一郎は敢えて苦しい方を選んでる。



 言えばいいのにって思うけど、あたしから家族に話していい事じゃない。



 だからあたしはこの事を、家族の誰にも言えないでいる。



「言いたくないなら、それでいい」


 そのあたしの声に顔を上げた惣一郎は、「ごめん」と泣きそうな表情をして呟く。



 そんな表情を見せるから、「好き」と言葉に出来なくなる。





 心実の秘密 完

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