通例行事②


 我が家に住んでる家族の構成が、「一般的」という言葉からほんの少し離れていたとしても、あたしに任された家事は一般的な家庭の主婦がやるそれと変わらない。



 琢が幼稚園に、藍子が高校に行ってから、まず四人分の洗濯を始める。



 洗濯機を回してリビングに戻ると、兄が食卓で前日の店の売り上げを計算してるから、面倒臭いコーヒーサイフォンでまた珈琲を淹れて、兄が寝るまでに藍子の部屋の掃除を終わらせる為、二階に上がる。



 二階にあるのは三部屋。



 離婚して家に戻って来た時、唯一変わっていたのは二階の部屋の使い方。



 いつからそうなったのか知らないけど、元々兄の部屋だった二階の一番奥の――二階にある中で一番広い――部屋が、藍子の部屋になっていた。



 正確に言えば、藍子と兄の部屋って事になる。



 以前は一番手前だった藍子の部屋に、今は兄の私物が置いてあるけど、兄が使ってたベッドは一番奥の部屋に置かれたままで、兄はそこで寝起きしてる。



 今、一番手前の部屋は時々惣一郎が泊まった時に使ってる。



 将来的には琢の部屋になるらしい。



 そんな訳で、兄が寝るまでに藍子の部屋の掃除を済ませ、終わって階下に下りて行くと、交代に兄が寝る為に二階に上がってく。



 大体それくらいに洗濯機が止まるから、洗濯物を干し、二階の他の部屋の掃除をして、一階の掃除に取りかかる。



 一階には、リビングダイニングの他に十帖ほどの和室もある。



 父親と母親が使ってたその和室は、今は仏間になっている。



 遺品を整理しきってない仏間に、母親の物は何もない。



 父親の遺品を整理するように兄に言われてるけど、あたしはどうもやる気が起きない。



 父親が死んで十年が経っても尚、あたしは父親が嫌いらしい。



「死」というものは決して全てを浄化させるものじゃない。



 死んでしまった所為でわだかまりが残る事がある。



 父親が生きてたら解決出来たかもしれない事柄が、永遠に解決出来ないようになってしまった。



 だからあたしはこの仏間に入るのが余り好きじゃない。





 ひと通りの家事が終わると昼近く。



 午前中は時間が経つのが凄く早い。



 藍子に作ったお弁当の残りや昨日の晩ご飯の残り物で簡単にお昼を済ませ、ようやくホッと息を吐けるのが一時頃。



 それでも今日の晩ご飯を何にしようかと頭はしっかり動いてる。



 あたしの一日は藤堂家の家事に費やされてると言っても過言じゃない。



 琢が帰ってくる前に買い物に行こうか、それとも琢が帰って来てから一緒に買い物に行こうか、どっちでもいいような事を考えながらインスタントコーヒーを飲む。



 お昼を食べながら点けてたテレビでは昼ドラが始まって、聞こえてきた大きな効果音に何となく視線だけを向けた。



 テレビの中では、何やら訳ありって感じの男女が薄暗い部屋の中で密会してる。



 毎日ちゃんと見てる訳じゃないから話の筋は分からないけど、その男女に「何か」があるのはすぐに分かる。



 そういうものは雰囲気で悟るものなのかもしれない。



 テレビの中の男女の顔が近付いていく。



 お互いの唇が触れ、切なげに抱き合う。



 唇を離したふたりは見つめ合い、言葉を交わそうと口を開く。



 直後に近くにあった部屋のドアが勢いよく開き、更に勢いよく登場した、見るからに意地悪そうな女が「何してるのよ!」と叫ぶ。



 そのタイミングで、狙ったかのようにあたしのスマホが鳴ったから、びっくりして持ってた珈琲を零しそうになった。



 息を吐きスマホを手に取ると、画面に表示されてる惣一郎の名前。



 大体いつもこれくらいの時間に掛けてくる惣一郎は、起床してすぐに電話をしてきてるらしく、



『おはよ』


 その声はいつも寝起きのしゃがれた感じ。



「おはようも何も、もう昼だし」


『俺にとってはまだ朝だよ』


「あっ、そ」


『心実、買い物は?』


「まだ」


『翡翠起きた?』


「まだ。って、アレがこんなに早く起きる訳ないじゃん」


『だよなあ。んー、どうしよ』


「何が?」


『俺、今日遅番になったからさ』


「別にいいよ。遅番の度に会わなくても。惣一郎も他に色々やる事あんでしょ」


『いやいや、会ってよ。会いたいから。遅番の時くらいしか会えないし』


「店が休みの日も会ってんじゃん」


『それはまた別』


「意味分かんない」


『心実はつれないなあ』


「あのさ? 何もそこまで――」


『うん?』


「――ううん。何にもない」


『心実はそうやってすぐ言い掛けてやめる』


「あんたに言われたくないし」


『俺は言い掛けてやめたりしないよ』


「最初から言わないもんね」


『心実には何でも言ってるよ』


「よく言う」


『とりあえず、今日どうするか先に決めよう』


「…………」


『買い物は琢が帰ってから?』


「かな」


『翡翠、三時には起きるよな?』


「さあね。アレはいつ起きるか分かんないし」


『んじゃ、シャワー浴びてそっち行く。買い物も付き合うから、翡翠起きたら琢預けてデートしよ』


「デートってどうせ惣一郎の家でしょ?」


『心実どっか行きたいトコある? あるなら連れてく』


「別に」


『気遣いありがと』


「は?」


『時間がない俺に気ぃ遣って、いつもそう言ってるんだろ?』


「別にそんな訳じゃ――」


『心実は優しいな』


「…………」


『今度、旅行でも行こうか』


「気が向いたらね」


『つれないなあ』


「もういいからシャワー浴びてくれば? あたしも琢の迎えの準備しなきゃだし」


 あたしの言葉にクスクスと笑った惣一郎は、『じゃあ、あとで』と「クスクス」を継続したまま言って通話を切った。



 それから一時間もしないうちに家にやって来た惣一郎は、琢の迎えと買い物に付き合ってくれた。



 だらしのない兄が起きてきたのは、いつもより早い晩ご飯の支度が終わった頃。



 兄はリビングで琢と遊んでる惣一郎の顔を見るなり「ああ、遅番か」と呟いて、あたしに「行ってこい」と当たり前のように言った。

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