イレギュラー①


 テスト前によく来る図書館は、学校の近くにある大きな図書館。



 映写室なんかもあって、密かに人気があったりする所。



 ただあたしと同い年くらいの人たちはそもそも図書館なんかに寄り付かないらしく、人気があるって言っても主婦にって感じだから、週末は逆に空いてたりする。



 そんな、ポツンポツンと席が埋まる図書館で。



「眠……」


 あたしは大欠伸してる井上先生と対峙たいじしてる。



 うちの学校の生徒が来る事はないから誰かに見られるって心配はないけど、何だか居心地が悪い。



 しかも井上先生は、勉強を見てくれるって言ったのに、体ごとそっぽを向いて欠伸ばかりして、あたしの方を見ようとしない。



 それならいっそ帰ってくれた方が落ち着いて勉強出来るのに、井上先生はもう一時間もこうして机を挟んだ向かいの席に座ってる。



 これは逆に迷惑だと思う。



 勉強を見るどころか、邪魔してるように思える。



 そんなあたしの思いとは裏腹に、徐に席を立った井上先生は何やら本を取って来て、元の席に座った。



 勉強を見るつもりはないらしい。



 だからって帰るつもりもないらしい。



 井上先生には、わざわざここまで来たって事だけが重要らしい。



 だから。



「あの……」


「何?」


「二次関数ってよく分かんないんですけど……」


「俺、国語専修。畑違い」


「…………」


 質問しても教えてくれない。



 いやもう本当に帰ってくれて結構だと――むしろ今すぐ帰って欲しいと――思った気持ちが表情に出たのか、井上先生はあたしにチラリと目を向け、



「数字苦手なんだよ」


 言い訳にならない言い訳をする。



 この時点で本気の本気で帰って欲しくなった。



 昨日ファミレスで思いっきり数学の教科書とノートを広げてたから、今日勉強するのは数学だって最初から分かってたはずなのに、自分の体裁の為だけに来て何もしないって人は帰って欲しいと心底思った。



「えっと、じゃあ、もう帰ってもいいですよ……?」


 だからそう言ってみたんだけど、井上先生は納得出来なかったらしく、「は?」と小さく言葉を吐き、眉をひそめた。



「わざわざ来てやったのに? 普通そんな事言うか?」


「でも週明けの小テスト数学だし……」


「あー、お前あれだろ。昨日の事もう友達に言っちゃったんだろ」


「へ?」


「だから俺を帰そうとしてんだろ。今更何しても手遅れってか?」


「友達には言ってませんけど……」


「は?」


「言ってないです」


「……マジか?」


「はあ」


「マジで言ってんの?」


「マジです」


 あたしの返事に井上先生は「ふーん」って声を出し、一度天井に目を向けてからあたしの方に向き直る。



 そして持ってた本を机の上に置くと、



「どれ?」


 少しだけ身を乗り出して、教科書を覗き込んだ。



「二次関数……」


「グラフかよ」


「よく分かんなくて」


「俺もよく分かんねえ」


「先生なのにですか?」


「得手不得手は教員にも政治家にもある」


「でも習ってますよね?」


「習ってんのと出来んのは別問題なんだよ」


「はあ……」


「あ? 何だこれ?」


「どれですか?」


「ちょっと貸せ。逆からだと余計に分かり辛い」


 舌打ちをせんばかりの勢いで教科書を引っ手繰ひったくった井上先生は、それから暫く教科書を見ながらブツブツ言って、そのまま一旦外に出た。



 分からなすぎてイライラしてあたしの教科書を燃やしにでも行ってしまったのかと思ったけど、五分後に得意げな表情で戻って来た。



「一回しか説明しねえからちゃんとしっかり聞いてろよ」


 あたしの予想が正しければ、井上先生は大学の友達辺りに電話をして聞いたんだと思う。



 右手に教科書、左手にスマホってスタイルを見る限り、予想は当たってると思う。



 十中八九予想通りであろう井上先生は、あたしのシャーペンを取ると、それで教科書を指す。



「いいか。二次関数ってのは0でない定数aと――」


 説明を始めた井上先生の表情は、「大学生」から「先生」に変化した。



 こういう「顔」の変化を見るのは好きだったりする。



 それから井上先生は、次々に分からないって言うあたしに、暴言を吐きながらも教えてくれた。



 結構な頻度でスマホを持って外に出るけど、戻ってくる時はいつも得意げな表情だった。



 井上先生に教えてもらいながら、昨日受けたショックの理由が何となく分かった気がした。

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