朝の光景


 平日だとか週末だとかは関係なく、毎朝目覚ましが鳴るよりも先に目が覚める。



 むしろこの家には目覚ましなんていらないんじゃないかとすら思う。



 六時二十分。



 二階の一番奥にあるあたしの部屋のドアが、ノックもなしに開けられる。



 バーンッと大きな音を立てて勢いよく——。



「藍子、おはよう!」


—―開いたと同時に挨拶される。



「……おはよう、琢ちゃん……」


「お? 起きてたか? もしかしてオレが来るより先に起きてたか?」


「……ううん。ぐっすり寝てた……」


「そうか! じゃあ今日もオレの勝ちだな!」


「……うん。琢ちゃんの勝ち……」


「母ちゃんも藍子も全然オレに勝てねえな! 気合いが足りねえんだ、気合いが!」


「……うん」


「母ちゃん朝飯作ってるから階下した行こうぜ」


「ん……」


 それまで布団の中に潜ったままのあたしは、そこで琢ちゃんに布団を引きはがされて。



「藍子、早く!」


「……うん」


 まだ眠り足りないのに無理矢理ベッドから出される。



 琢ちゃんに左手を掴まれ引っ張られながら、枕元に置いてたスマホに目を向けると、ロック画面に新着メッセージありの表示がある事に気が付いた。



「琢ちゃん、ちょっと待って。メッセージきてた」


 手に取ったスマホを見ると、寝てる間にメッセージが届いてて、



【俺はお前を大学生と遊ばせる為に働いている訳ではないだ! オボエテ(≧∇≦)b OK!】



 その相手は、完全に酔っぱらってる、妙なテンションで変換ミスしてるお兄ちゃんだった。



 どんな聞き方をしたのか分からないけど、お兄ちゃんはトワさんから今日のあたしの予定を聞いたらしい。



 知られた事は別にいいけど、この感じは面倒臭い。



 会った時にスルーしてもらえる感じじゃない。



 想像しただけで溜息が出てしまった。



 そんなあたしを見上げた琢ちゃんが、



「腹減った」


 そう言って歩き出したから、手を繋いでたあたしも自然と歩き出して、ふたりで階下に向かった。



 階段の途中辺りからしてきたパンの焼けたいい匂いは、リビングの前まで行くと濃くなって、ドアを開けるとジュージューと卵を焼いてる音がした。



 リビングの奥にあるキッチンにはまだ眠そうなお姉ちゃん。



 お姉ちゃんはあたしたちがリビングに入った事に気付くと、あたしを一瞥する。



 そして。



「お兄ちゃん、昨日ベロベロに酔って帰って来れなかったって」


 言うだけ言って、すぐに手元のフライパンに視線を戻した。



「また?」


「そう。また」


「じゃあ、お店で寝てるの?」


「寝てるっつーか、倒れてる感じだって」


「何でそんなに飲むんだろ」


「さあね。バカなんじゃない?」


「帰れないってお兄ちゃんから連絡あったの?」


「ううん。惣一郎から」


「トワさん?」


「そう」


「電話掛かってきたの?」


「まあ、電話もきた」


「うん?」


「電話掛かってきて、直接来た」


「直接?」


「明け方、店が終わってここに来て、今は上で寝てる」


 フライ返しを天井に向けたお姉ちゃんはちょっと気恥ずかしそうで。



「あいつが勝手に来たんだからね!? 会いたいとか言って!」


 何も言ってないのに言い訳するから面白い。



 そうやって、いつもの「母親」とも「姉」とも違う、「女」の顔をあたしに見せるのは珍しいから、思わずクスクス笑ったら、しこたま睨み付けられた。



「パン焼けたからさっさとバター塗りな」


「はーい」


 焼けた食パンにバターをたっぷり塗って、既に食卓に着いてた琢ちゃんの隣に座ったタイミングで、目玉焼きが焼き上がる。



 お姉ちゃんは焼けた目玉焼きを食卓に置くと、そのまま自分も席に座ってさっさと食べ始めたけど、すぐに大きな欠伸あくびをして食べてた手を止めた。



 お姉ちゃんは相当寝不足らしい。



 でもそれは琢ちゃんに早くから起こされた所為だけじゃないから、誰に文句を言える訳でもない。



 いつもは琢ちゃんに「こんな早起きしたらそのうち眠すぎて倒れんじゃないの!?」って文句言ってるけど、今日は言わない。



 もしかしたらトワさんにあとで文句を言うのかもだけど。



 少しの間ボーッとしてたお姉ちゃんは、不意に「そういえば」って言いながらあたしに目を向けて、



「あんた今日、大学生と会うんだって?」


 トワさんからどういう聞き方をしたのか知らないけど、まるでデートでもするような言い方をしてくる。



 この感じからしてお兄ちゃんも同じように思ってるんだろうと、お兄ちゃんに聞くまでもなく悟ってしまった。



「大学生じゃなくて、教育実習の先生。会うって言っても図書館でだよ?」


「教育実習の先生って、つまりは大学生でしょ」


「そうだけど……。でも来るかどうか分かんないし」


「来るでしょ」


「トワさんもそう言ってたけど、分かんないよ」


「惣一郎が来るって言うなら来るでしょ」


「来たら来たで困るんだけどな……」


「何で?」


「トワさんに何て聞いた? あたしがファミレスでその先生の愚痴を聞いちゃった事も聞いた?」


「聞いた」


「って事はさ? もし来たとしたら、それだけ罪悪感っていうか、後ろめたさがあるって事でしょ? あたし何とも思ってないし、誰かに言うつもりもないから、そこまでされても困る」


「別にいいじゃん。勉強教えてくれるって言ってんでしょ? あんたバカなんだから教えてもらいな」


「来たら、ね」


「まあ、来る来ないはどっちでもいいけど、昨日みたいな事はするんじゃないわよ?」


「あっ、うん。大丈夫。図書館三時半までだし」


「今度電話に出なかったら、本当にスマホ解約させるからね」


「……やだ」


「嫌なら出りゃいいでしょ。電話に出ないってマジでムカつく。何の為のスマホだと思ってんだって話よ。こっちの用件が急用だったらどうするつも――」


「お姉ちゃんたちはどっか出掛けるの?」


「――は?」


「ほら今日週末だし、琢ちゃん連れて遊びに行くのかなって」


「あんた、話の逸らし方がバカみたいに下手なんだけど?」


「は、話を逸らしたつもりはないけど、どっか行くの?」


「惣一郎次第だけど、行くんじゃない? あいつ、何時に起きるつもりか知らないけどね」


「トワさんならお昼には起きるでしょ? お兄ちゃんと違ってきちんとしてるから」


「さあね」


「トワさんって何でお兄ちゃんと友達なんだろう? トワさんあんなに温厚だから、激情型のお兄ちゃんとは合いそうにないのに。同い年だから気が合うのかなあ?」


「何言ってんの。惣一郎が温厚なのは、あんた相手だからでしょ」


「琢ちゃんにも優しいよ?」


「琢に優しいのは当たり前でしょ!」


「お姉ちゃんにも優しい」


「うちの家族に優しいのは当たり前! あんたは惣一郎に騙されてる!」


「へ?」


「あんたはホストとして接してる惣一郎を見てないから知らなくて当然だけど、あいつマジで鬼畜だから! 金払い悪くなった客への態度はそりゃもう恐ろしいくらいに冷たかったし! それまではあんな感じで温厚そうにしてるけど、金がないと分かったらあっさりてのひら返すんだから! あいつ、客に本気で『体売って金作って来い』って言ってたし! お兄ちゃん、そんな事言わないでしょ!?」


「言わないけど、お兄ちゃんは枕営業してたよ」


「…………」


「枕ホストって呼ばれてた」


「…………」


「トワさんはしなかったでしょ? お金の為に手段を選ばない感じも色々だね」


「…………」


「でもトワさん、お姉ちゃんの為にホスト辞めてくれてよかったね。今のお店だとう酷い事しないし」


「…………」


「まあ今更枕営業なんてしないと思うけど」


「…………うん。もういいから、さっさと食べちゃいな」


「はーい」


 返事をしてお皿に視線を落とすと、いつの間にやら琢ちゃんに目玉焼きを食べられてた。

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