いため

@offonline

便所の話

 子供のころ、実家で用を足すという行為が苦手だった。その薄暗く狭い空間にとても嫌な気分がしたものだ。

 

 実家の一階にあるトイレは暗くて狭かった。一階はとにかく採光の手段が乏しい。どの部屋も薄暗さがあった。とりわけトイレと廊下は真っ暗と言えた。

 窓がないからこそ圧迫感があった。世界から切り離されている気分になる。嫌な気になる空間だった。

 トイレは専用の廊下を渡ってたどり着く。廊下といっても、2メートルほどだ。

 廊下の突き当りのドアにはすりガラスがはめ込まれている。そこからわずかな光を得ているが、室内灯をつけなければ昼間でも夜のようだった。

 幅は人一人が通れる程度で、トイレのドアを見据えた際、右側は壁。木目が横並びになっている。左側は物置になっていた。農具や靴、傘などひとまず置き場に困っているものをそこに放り込んであった。トイレのドアの左側に洗面台があって、手を洗う。暗いので明かりがなければ蛇口を探し当てるも苦労する。鼻につく黴臭さがあった。

 歳を重ねるとこれはビルの隙間に伸びる狭い路地裏のような陰鬱さがある。と妙な感動を覚えもしたが、子供時代には当然のことながら恐怖の対象。可能であれば利用したくないという思いを抱いていた。

 トイレのドアは開き戸となっている。身を引いて廊下側に戸を開けることができる。ドアを開けると正面には小便器があって、その上、大人の顔が丁度相対できる高さにすりガラスの小窓がある。そのままトイレに入ると左手に洋式トイレがある。元々は和式だった。子供のころ洋式に工事がされたと記憶している。

 壁は板張りだが、統一感はない。様々な木目が継ぎはぎされていた。

 材料費を浮かせるために色々とあるもので作ったようである。改築は祖父が主に行ったので、今では材料の出どころを知る者はいないだろう。

 木目も下側は山が連なっているような木目。上側は逆に川のようにまっすぐとした木目。かと思えば、きっちりと分けられているわけではない。向きだって、横向きもあれば縦向きもある。

 長居はしたくないという気持ちを抱いて用を足していた気がする。不可思議な空間だった。閉塞感で息が詰まりそう――実際に息を止めて用を足した記憶がある。間に合わず、結局は深呼吸をして顔をしかめた思い出だ。子供のころはよく自分ルールを敷いて生きていたものである。

 トイレは換気扇もないので臭いが籠る。常に窓は開いていた。だからといってにおいなど消えるはずもない。今でこそ芳香消臭剤はそこかしこに売られているけれど、子供の時分に常備はされていなかった。

 ボール型のものをボンと便器に投入してあったような気がする。とにかく、不快なにおいが立ち込めていたものだ。その割にハエが集るということはなかった。代わりといってはクモが目についたくらいだ。

 電燈も古臭い。ぼやけた橙色で電気をつけても薄暗い。片きりの電気スイッチが廊下の左側にあってそれを押せばトイレ内の電気が灯る。けれども、押してから猶予が存在する。しかも明滅してからそっとつくのだ。

 薄暗く、日中でもすりガラスから白む光が小さく入り込み、足元を照らすこともない。電燈も同じく円状に光が伸びるのでトイレの隅っこは逢魔が時が生まれていた。

 澱んでいるとはこのような所を言うのだという納得が出てくる。

 便座に座ると、正面には縦長の板が並んでいる部分が目につく。

 その木目のうちの一つ。ドア寄りの木目だった。

 人の顔に見えるものがある。板のちょうど中間。板のサイズは横幅10cmくらいだろうか。実際のところ、人の顔に見えるもののサイズは数cm。とても小さい。よほどに意識しなければわからないのではないだろうか。

 しかし、座ると丁度だったのだ。日常的に使うことを毛嫌いしていたとしても生理現象、逃れることのできない事態は何度となく降りかかったはずだ。

 はっきりと、人の顔だと気づいたのはいつだっただろうか。

 ひとたび認識するともうだめだった。どうにも輪郭を捉えようとしてしまう。

 それは木目ではなく、人の顔にどんどん見えてくる。脚色されていく。不思議な現象だ。意識しなければいいのに、目がいってしまう。そうしてどうにもこうにも脳みそが人の顔に仕立て上げるのである。

 それは男のようだった。今にしてみると、髪型が鶏のトサカみたいに尖っているようにも見える。モヒカンというものか。しかも木目の色調が少し白っぽい部分が目に見える周りにあるものだから、メイクでもしているようにも見えてくる。

 まるでデスメタルバンドをやっている男のように思えた。今では愛着すら湧くものだけれど、こればかりは歳を重ねたからだ。

 当時はそのような知識はなかった。とにかく、木目から浮かび上がる男の顔、それも怒っている怖い男だった。こちらとじっと睨みつけているように見えたのだ。

 強い視線を想像する不気味さがあった。少し変色もしていたのと、電燈の暖色系の光源が輪郭をより一層と曖昧にしたからか、より詳細に妄想が膨らんだに違いない。

 子供のころはそれが怖かった。嫌でたまらなくて一階のトイレは使いたくなかった。

 小便は気にならないけれど。

 懐かしい昔の記憶。


 実家の一階のトイレを使う。薄暗い廊下を渡る。ドア開けて、ベルトを緩め、ズボンを下ろし、便座に座る。一息ついた。

 黴臭さが増す澱んだ空間。芳香消臭剤が窓際のわずかなスペースに置かれている。

 前かがみになる。ふとももに腕を下ろし、顎に手をやる。

 目はもう合わない。けれどもうれしい気になる。

 見下ろす形になった。男は変わらず視線をまっすぐ向けている。京都のお寺でもあるまいに、彼は目線を合わせようとしているように思えた。

 力強さを感じた。

 羨望を認める。

 怖いとただただ、不気味で臭くて、長居したくないと思っただけなのだ。この澱んでいるようなトイレで、何かを、オカルト的なことを感じたことはなかった。


 実家に帰省するたびに懐かしく安らぐ怪奇現象の類。


 昔はとにかく家を出たいと思っていた。中学校から友達の家を転々とした。両親は文句を言わなかった。興味がないというわけではない。

 田舎だっただけだ。どこに誰が誰といるかなど近所の人々が把握している。監視社会と言えなくもない。けれども息苦しさはなかった。家にいるよりもよほどに自由を感じた。

 誰かが声を掛ける。言ってはいけない場所には、いつだって声を掛けてくれる人々がいた。何かが起こったとき、見知らぬ人だろうと知り合いの親族だろうと、誰かしらが見守っていた。不可思議なことを平然と受け止めている人々が当たり前のように生活していた。故郷を離れてすぐに実感した。どの場においても、オカルトはある。けれども、その事象への対応は一人だった。あまりにも酷いとき、連絡もしていないのに両親がやってきてあれこれとお札や破魔矢を置いて行ったりした。

 子供のころ、ずっと身近にあった気がしていた。けれども、大人になってから、嗚呼、身近なところでしっかりと線引きがなされていたのかもしれないなと得心を味わった。


 今は出会いを求めている。あれらの出会いは大人になっても、変わらずに残り続けていることが多い。なくなってしまったものもある。それをとても寂しいと感じた。


 誰もいない二階での物音。

 動く気配。話し声。

 家鳴り。

 夜中に喋りかけてくるように聞こえる音。

 いないはずの子供たちの楽し気な気配。


 子供のころ、それらは怖いものだった。多感で、オカルトが身近にあった。怖がりだったのは、実際に体験をしたからだ。

 大人になり、記憶を手繰り寄せていく。きっかけがあったことに気づく。決まって怖い体験だと思っていた事象の前には、怖い話を知識として得てしまっているのだ。

 テレビ、本、噂、ゲーム、会話。だからこそ、子供のころを羨むことも増えた。

 あのころの恐怖心はファンタジーだった。

 今の恐怖心はリアルだ。考えたくないと大人が怯える恐怖こそ、真実で迫真で、何よりも夢がない。

 夢のないことが怖いのだ。だからこそ実家に帰省し、大便のために便座へと腰を下ろして膝の痛みに顔をしかめても、いつか見た木目が変わらずにあることにノスタルジーを感じたのだ。

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