第8話 幕間:静寂の崩壊

 朝の戸隠キャンプ場は、穏やかだった。避難民たちはそれぞれ朝食を済ませ、各々の作業を始めていた。キャンプ場の管理人、杉本孝介も、久しぶりに笑顔を浮かべながら一家と会話を交わしていた。


「おはよう、今日は良い天気ですね。何か困ってることはないですか?」


 杉本は、幼児を抱えた高崎夫妻に優しく声をかける。夫妻はほっとした表情で笑い返し、幼児も無邪気な笑顔を見せていた。


「ありがとうございます、杉本さん。ここに来られて本当に助かってます」


 父親がそう答えると、母親も頷き、幼児の頭を撫でていた。杉本は、少しでも彼らに安心を与えられていることに満足しながら、キャンプ場の入口へ向かうことにした。人里離れたキャンプ場のため、都市部との危険度は雲泥の差だったが、それでもゾンビは時々現れるため。一応の様子確認している。


 キャンプ場の入り口に到着した杉本は、蝉が喚き散らす夏の音色を楽しみつつ、両サイドを林に挟まれた道路を目を細めながら見渡していた。

 その時、一台のバイクがゆっくりと道を走ってくるのが目に入った。バイクには黒いバイクスーツをまとった男が二人乗っており、後部に座る男の手には鎖が握りしめられていた。鎖の先にはボロボロになった死体が引きずられており、すでに下半身が無かった。


 その光景に絶句している杉本に気づいた後部座席のライダーは、走ってきた道路の方を指さし、何かよく分からない事を叫んでいた。

 バイクが通り過ぎた後、目を凝らして木々に挟まれた道の向こう見つめていると、信じられないほどのゾンビの大群が迫って来ていた。杉本は再度見直したが、数百メートル先には見たことも無いほどの人影が見える。


「なんてこった……!」


 杉本は背筋が凍るのを感じ、一瞬足がすくんだ。しかし、すぐにキャンプ場へと急いで戻ろうと走り出す。


「みんな!化け物が来るぞ!化け物が来るぞ!!」


 声を張り上げながらキャンプ場へと向かう杉本の目に飛び込んできたのは、すでに林を抜けて侵入してきた数体のゾンビたちだった。キャンプ場内では、避難民たちがパニックに陥っており、次々と車での脱出を試みていた。


「これは不味い事になった!」


 杉本は必死に叫びながらキャンプ場内へと向かった。異変に気付いた数人の避難民がすでに車に乗り込み、1台目、2台目と車が次々と出発していく。その様子を確認しながらも、杉本はゾンビの群れが次第にキャンプ場に侵入していく光景を目の当たりにしていた。


 普段ロクに運動をしていなかったため、息が続かない杉本は、周囲を確認してながら走りから歩きに切り替えた。


 先頭の車が杉本の横を通り過ぎる。その際に運転手は窓を開け、杉本にゾンビが来たことを伝えようとしていた。

 杉本は彼らに早く行けと合図をジェスチャーを出しながら叫んだ。


「俺なら大丈夫だ!みんな早く避難しろ!また会おう!」


 また1台、SRV車がキャンプ場の方からこちらに向かって来たのが見えた。

 その時、突然背後からゾンビに掴まれた。振り返ると、ゾンビがその腐った手を彼の肩にしっかりと絡めていた。


「離せ!」


 杉本は全力でその腕を振りほどき、何とか引き離した。だが、その瞬間、横から突如としてクラクションの轟音が響き渡った。


「え……」


 その音の正体は、急速に迫るSRV車だった。運転手はあの幼児を連れていた父親だ。しかし、車が杉本のすぐ目の前に迫る中、彼は運転席に違和感を感じた。父親の肩に、幼児が噛みついているのが見えた。


「あ…」


 衝突の瞬間、杉本の体は宙を舞い、スローモーションでアスファルトに叩きつけられた。


 夏の強烈な陽光が顔を照らし、相変わらず蝉が喚き散らす声が聞こえる。

 必死に立ち上がろうとするが立ち上がれない。それどころか指一本動かせない。

 もがいている内に、杉本を覗き込む人影が現れた。


「たすけ…」


 絞り出すように声を出し助けを求めた、その人物はゆっくりとしゃがみ込み、杉本の顔を覗き込んだ。

 ぼやける視界の中、ようやく見えてきたその人物の顔は生気がなく目がうつろだった。

 そして腐敗臭漂う口を開け、ゆっくりと杉本の顔面に齧りついた。


 -----


 杉本孝介(すぎもとこうすけ)


 年齢: 51歳

 職業: 戸隠キャンプ場の管理人

 性格: 落ち着きがあり、細かいところまで気を配る性格。避難民たちには親切で、常に周囲を気遣う温かみを持っている。ゾンビパンデミック以降も冷静さを失わず、キャンプ場を安全に保とうと日々奮闘している。趣味は釣りと野菜作り。

 背景: 妻とは数年前に離婚し、現在は一人でキャンプ場を切り盛りしている。パンデミック前から自然の中での自給自足に興味があり、その知識が避難民たちに役立っている。


 高崎健二(たかさきけんじ)


 年齢: 35歳

 職業: 会社員(営業職)

 性格: 温厚で家族思い。人付き合いもよく、協力的だが、緊急事態では冷静さを失うこともある。家族を守るため、あらゆる手段を講じようとするが、時に無謀な行動に出ることも。

 背景: 妻の千佳と幼い息子を守るために、キャンプ場に逃げ込んできた。家族の安全を最優先に考えているが、徐々に精神的に追い詰められている。


 高崎千佳(たかさきちか)


 年齢: 32歳

 職業: パートタイマー(スーパー)

 性格: 優しく、冷静な性格で家族を支える。常に健二と息子を気遣い、冷静な判断力で家族を守ろうとしている。非常時にも強い精神力を発揮する。

 背景: 健二とともにキャンプ場に避難しており、息子の面倒を見ながら危機的状況を生き延びている。幼い息子を守るため、強い母親の姿を見せ続けているが、内心では不安を抱えている。


 高崎涼樹(たかさきりょうき)


 年齢: 6歳

 職業: 幼児

 性格: 明るく人懐っこい性格だが、パンデミックによる恐怖が理解できないまま、家族に依存している。幼いため状況を完全には把握できないが、両親の様子から危機を感じ取っている。

 背景: 両親と共にキャンプ場に避難しており、彼自身は無邪気さを残しているが、周囲の異変に対して徐々に不安を覚えている。ゾンビの恐怖には気づいていない。

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