第9話:目と鼻の先

 信濃町の近くに差し掛かったとき、遠くの空に立ち昇る煙が目に入った。あちこちで黒煙が渦を巻いており、ゾンビパンデミックがこの町にも及んでいることを告げている。直樹はバイクのエンジンを少し緩めながら、後ろにいる仲間たちに振り返る。


「信濃町も相当やられてるみたいだな…」


「うん。気をつけて進まないと…」


 悠介が頷く。慎重に車とバイクを進め、国道18号に向かっていくと、道端にちらほらとゾンビが歩いているのが見えた。腐りかけた肌が剥がれ落ち、何かに取り憑かれたようにさまようゾンビたちは、悠然と道を横断している。


「こっちに気づかれる前に…急ごう」


 瞬が呟き、皆は緊張感を持って前進しはじめる。だが、その時、遠くから複数のエンジン音が轟くのが聞こえた。悠介は前方を凝視し、その音の正体を捉えると、目を見開いた。


「…八王子夜叉だ…なんでここに?」


 直樹もすぐにその車列に気づき、近く路地に姿を隠した。国道18号を八王子夜叉の車列がゆっくりと通過していく。バイクやトラック、キャンピングカーがずらりと並び、まるで一つの移動基地のように見える。悠介たちの一行に気づくことなく、彼らは堂々と18号を北上していた。


「ざっと20台はあるな…」


直樹は冷静に状況を分析する。


「30人はいるだろう、いや、それ以上かもしれない」


 車列の中には燃料タンクを積んだ軽トラックもあり、彼らの長距離移動が計画的であることを示していた。悠介たちは一旦住宅街に身を潜め、八王子夜叉が通り過ぎるのを待つことにした。


「あ、あれ…あの人は…」


 瞬が車列の最後尾を指差す。その荷台に黒いライダースジャケットを着た若い女性が、軽トラックの荷台に無造作に縛られていた。さらに、車の後方には同じライダースジャケットを着た人間と思しきものが何人か引きずられていた。


「あれは舞だ…!」


 直樹が驚愕する。彼女は中川舞、奈多が要塞化した廃工場で何度か見かけた人物で、池袋の奈多の店で働いていた20代の店員だった。いつも明るい笑顔を浮かべていた彼女が、今は無惨に縛られ、恐怖に怯えた表情を浮かべている。


「あいつらに捕まったのか…なんとか助けられないか…」


 直樹は即座にメンバーに提案する。 だが、田中勝が無表情で反論した。


「無理だ。あんな人数相手に、俺たちが勝てるわけない。第一、半グレ同士のいざこざにわざわざ首を突っ込むのは馬鹿のやる事だ」


 その言い草に直樹の表情が一変する


「おっさん…さんざん世話になっといてなんだお前…」


 しかし、鈴木健一も重く頷き口を開いた。


「いや…田中さんの言う通りだ。今は慎重に動くべきだ。こっちの半数は女子供だ…」


 無茶をすれば仲間にも危険が及ぶ。その事実に直樹も沈黙をせざるを得なかった。そうこうしているうちに車列は徐々に視界から消えていった。やがて八王子夜叉の姿が完全に見えなくなったところで、悠介たちは迂回を決めた。


「野尻湖方面から回り込んで信越大橋を目指そう。18号を正面から突っ込むのは無理だ」


 と悠介が提案し、一行はそれに従うことにした。


 通過する際、彼らは大量のゾンビが18号を北上してくるのを目撃した。膨大な数のゾンビたちが列をなして進んでおり、その様子に瞬が凍りついたように呟いた。


「直樹君…まさか、これって…」


 直樹もその光景を目にし、さらに戸隠方面からもゆっくり走るバイクが近づいてきており、その背後にもゾンビの群れが見えた。


「八王子夜叉が…ゾンビを誘導してるんだ」


 瞬の不安げな声に、直樹は唇を噛み締めながら答えた。


「間違いない。丞だ…奴はゾンビを新潟に誘導している…まさか…」


 深石丞は若い頃地元でとある出来事が元で、新潟に対して強い恨みを抱いている。当時仲間だった直樹はその事を思い出していた。自衛隊が地元を防衛しているという噂を聞いた深石は、それを滅ぼすためにゾンビを利用することを思いついたのだろうと推測した。


「何とか止めないと…地元まで同じ目に…」


 悔しそうに直樹が呟くが、今の彼らには人数が足りなすぎる。瞬が冷静に提案する。


「自衛隊に知らせよう。俺たちじゃ無理だけど、彼らなら…」


 直樹は葛藤しながらも、その提案に同意した。しぶしぶではあるが、今はそれが最善の選択肢だと悟ったからだ。


 一行は急いで野尻湖湖畔を反時計回りに移動し、とある旅館まで進んだ。そこまでの道中、既に何体かのゾンビが徘徊していたが、動きは遅く、彼らは巧みに避けて進んでいた。


 そこで周囲を警戒すると、遊覧船乗り場に八王子夜叉の一団が集まっているのが見えた。直樹は周囲を見渡し、無言で警戒を促すように手を挙げた。その瞬間、数体のゾンビが旅館の中から現れ、彼らに向かって歩み寄ってきた。


「やばい、来るぞ…」


 悠介が小声で呼びかけ、直樹はすぐに鉄パイプを掴んだ。


「悠介、右を頼む!」


 直樹の合図と共に、悠介は左手にバットを握りしめ、冷静に構えた。ゾンビの足音が近づいてくる。腐った肉の匂いと、異様な呻き声が耳元に響く中、直樹は一気に駆け出した。


「ふん!」


 直樹は鉄パイプを振り上げ、一体目のゾンビの頭を正確に叩き潰した。鈍い音と共に、ゾンビは地面に崩れ落ちる。だが、それに構うことなく、二体目が直樹に襲いかかってくる。


「悠介!」


 直樹の言葉に悠介が応じ、もう一体のゾンビを相手にしながら、持っていたバットでゾンビの頭を叩き潰したが、それでは止まらない。決定打となっていないことを瞬時に悟った悠介は、一歩引き、素早く足元に蹴りを入れ、悠介はゾンビの足を蹴り崩し、バランスを失わせた。ゾンビは前のめりに倒れ込み、その瞬間を逃さず、悠介はバットを頭部に複数回振り下ろした。鈍い音と共に、ゾンビはピクリとも動かなくなった。


「やったか…!」


 悠介が息を切らしながらも油断なく周囲を見渡す。直樹も一瞬の隙を逃さず、三体目のゾンビに向けて鉄パイプを構えた。ゾンビはその腐敗した腕を伸ばして襲い掛かろうとするが、直樹は素早くそれを見極め、冷静に一撃を繰り出した。


「これで終わりだ…!」


 鉄パイプがゾンビのこめかみに命中し、骨が砕ける音が響く。ゾンビの体は重力に逆らえず、地面に倒れ込んだ。


「こっちは片付いた!」


 直樹が叫ぶと、悠介も頷きながら振り返った。


「こっちも大丈夫だ…」


 悠介はバットをさっと拭き、直樹に近づいた。


 二人は短時間でゾンビを始末したが、旅館の周囲はまだ安全とは言い難い。周りに潜んでいる可能性も考え、彼らは慎重に行動し続ける。


「ここでしばらく様子を見よう。八王子夜叉がどう動くか見極める必要がある」


 直樹が指示を出し、全員がうなずいた。


 旅館の中に入り、廃墟となったロビーに身を潜める。かつては宿泊客で賑わっていたであろうその場所も、今では荒れ果て、ゴミや瓦礫が散乱していた。カビ臭い空気が漂い、窓から差し込む薄暗い光が、ロビーを幽霊屋敷のように照らしている。


「まるでホラー映画のセットみたいだね…」


 瞬が小声で呟く。


「こんな状況でのんびり鑑賞してる暇はないぞ、瞬」


 直樹が鋭く返す。彼の目は窓の外、遊覧船乗り場の方角を見据えていた。


「とにかく、今は目立たないようにして、八王子夜叉の動きを観察しよう。下手に動けば見つかる可能性が高い」


「うん…でもここからどうするの…?」


 咲良が不安げに問いかける。


「やつらが動かなそうなら、野尻湖を逆回りで18号に向かうしかない、時間はかかるけどね…」


 悠介が低く囁いた。


 しかし、静まり返ったその瞬間、田中勝が苛立ちを露わにし気色ばむ。


「おい!何してんだよ?やつらあそこにいるんだろ?とっとと18号を抜ければいいじゃねえか!?」


 その言葉に悠介が冷静に返した。


「18号線にはまだあいつらがいるかもしれません。見つかれば足が遅いこっちが不利です」


 思わぬ反撃に田中が激昂して悠介に掴みかかった。


「クソガキが!お前ら馬鹿共は黙って俺の言う通りにすればいいんだよ!!」


 その瞬間、押された悠介が旅館の玄関先に積まれたビールケースに当たり、ガラガラと大きな音を立てて崩れた。


「あっ…!」


 咲良が焦った声を漏らすと、皆が一斉に道路の方に視線を向けた。そこには八王子夜叉のバイクが一台、静かに止まっていた。バイカーは無線を手に取り、冷たく言い放った。


「深石さん、直樹だ…」

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