第41話 春木音也の覚醒

 哀川あいかわさん宛てに、父親から手紙がきた。


 その内容は娘の哀川さんに会いたいというもの。

 だけど、手紙に連絡先は書いてなくて、わかってるのは住所だけ。


 しかも北海道の北の方。

 高校生がいくにはあまりに非現実的な距離だ。


 だから哀川さんは諦めようとしてるみたいだった。


 そこに俺は呼びかける。


「ねえ、哀川さん」


 夜の公園。

 街灯が照らす、ベンチの下。


 彼女は薄手のパーカーにタイトなジーンズ姿。


 学校から一度家に帰った俺もTシャツ姿のラフな格好。


 客観的に見たら、カップルが人目を忍んでイチャイチャしてるように見えるのかな。


 そんなことを思いながら、俺は言葉を続ける。


「一生に一度は言ってみたいセリフってあるよね?」

「え?」


 俺の言葉が予想外だったのか、哀川さんは目を瞬いた。


「一生に一度は、って……え? なに?」

「だから一生に一度は言ってみたいセリフ」


 俺は真顔で言い、「たとえば」と例を示す。


「『ここは任せて先にいけ!』とか『前の車を追ってくれ!』とかそういうやつ」


「え……と、ドラマとか漫画のセリフってこと?」

「そうそう、そういうやつ」


 うんうん、とうなづく、俺。

 いまいち意味が分からない、という顔の哀川さん。


 そんな話をしていたら街灯の光がスポットライトに思えてきた。これはちょうどいいかもしれない。


「俺も言ってみたいセリフがいくつかあるんだよね。たぶんこんな機会って滅多にないと思うから、言ってみていい?」


「え、あ、うん……ど、どうぞ?」

「ありがとう。では失礼して」


 お礼を言い、ゴホンと咳払い。


 俺は居住まいを正し、瞼を閉じる。


 呼吸を止めて一秒。

 真剣な目で瞼を開く。


 目の前には哀川さんのきれいな顔。


 突然、生き別れの父親から手紙がきて。

 自分勝手な父親を引っ叩いてやりたくて。

 でも遠すぎて会いにもいけない。


 そんな彼女を見つめて、俺は言葉を紡ぐ。


「哀川さん、あのね――」


 きらめくスポットライトの下。

 せっかくなので思いっきり悪い顔をして。



「――金ならあるッ!!」



 その声は夜の公園に木霊し、哀川さんは「へ?」と目を点にした。

 一方、俺は颯爽とベンチから立ち上がり、スマホを取り出す。


 アドレス帳から目当ての名前を探し、通話ボタンをタップ。


「え? え? ハルキ君、どういうこと……?」


 スマホを耳に当てていると、哀川さんも立ち上がり、戸惑った顔でこっちへきた。


 しかし返事をする前に通話相手が電話に出た。

 俺は努めて明るく話しだす。


「あ、夜中にごめんね? 起きてた? そう、俺だよ、俺。あ、オレオレ詐欺なんかじゃないって。音也おとやだよ、音也」


 話しだした俺を見て、哀川さんはさらに戸惑う。


「え、だれ? ハルキ君、だれと話してるの……?」


 その間にもスマホ越しの会話は続いている。

 俺は前置きを終え、相手に対して本題を切り出す。


「ちょっとお願いがあって掛けたんだ。え、俺から掛けてくるなんて珍しいって? そうだねー、でも他に人には頼めないことだからさ。うん、そう」


 俺は笑顔を張り付けて言う。


叔母さん、、、、にお願いしたいんだ」

「――っ!?」


 そのワンフレーズを聞いた途端、哀川さんの顔が一瞬で強張った。


 俺からスマホを奪い取りそうなほどの勢いで駆け寄ってくる。


「ハルキ君、どうして……!? その人、ハルキ君の親戚でしょう!? 話すだけで吐き気が止まらなくなるって言ってたじゃない……っ。なのに、どうして!?」


 血相を変えて詰め寄ってきた哀川さんに『大丈夫』という意味で手を上げてみせる。


 ま、本当はぜんぜん大丈夫じゃないし、今まさに胃の中身が物凄い勢いでせり上がってきてるんだけど、なあに、やせ我慢は得意分野だ。


 なんせ両親が死んでから、ずっと親戚の言いなりの生活を堪えてきたぐらいだし。


「叔母さん、俺、ちょっと友達と旅行にいきたいんだ。あ、夏休みじゃなくて、この週末にでもすぐにいきたい感じ。行き先? ――北海道だよ」


「……っ!?」


 哀川さんが絶句した。


 すぐに猛然と何か言おうとしてきたけど、俺は『しーっ』と自分の唇に指を当てて黙ってもらう。電話中は静かにしないとね。


「だから父さんたちの遺産から旅費を振り込んでほしいんだ。いい?」


 俺がそう頼んだ途端だった。

 スマホの向こうで叔母の声に嫌なものが混じり始めた。


 ようやく獲物に被りつくチャンスを得た、蛇のような気配。


 まあ、そうだろう。叔母は俺を懐柔しようとして、月に一度は猫撫で声で電話を掛けてくる。


 今まではどうにか躱してきたけど、急に俺の方から借りを作るようなことを言ってきたのだ。これはチャンスと目の色を変えるに決まってる。


 案の定、叔母はわざとらしく渋ってきた。


 高校生だけの旅行を許すのはちょっとねぇ、とか、でも音也がウチの子になるんなら話は違うけどねぇ、とか。


 うん、思った通りだ。


 叔母はこれを機に俺を養子にして、遺産を自分の物にしようとしている。


「あー、良かった」


 あ、思わず声に出してしまった。

 電話口では叔母が、目の前では哀川さんが、俺の脈略のない発言にぽかんとする。


 おっとこのままじゃ変な奴だと思われてしまう。


 俺はスマホのマイク部分を手で押さえ、哀川さんに取り急ぎの説明をする。


「大丈夫、本当に遺産を振り込ませるつもりはないよ。だから俺が親戚の好きにされることもない」


 旅費の当てなら別にある。


 遺産の話を叔母にしたのは、この人や親戚たちがどういう人間なのか、最後にもう一度確認しておきたかったからだ。


 そして、わざわざ叔母に電話した理由は――。


「『もしもし? 音也、聞いてるかい? だからお前がウチの子になれば、私たちも安心なんだよ。そうしたら旅費でもなんでも振り込んであげるから。ね? 音也は良い子だから分かるわよねえ?』」


 スマホからは今も叔母の声が響いている。

 俺は大きく息を吸い込んだ。

 そしてマイクの位置に向かって、





「うるせえッ、ばーかッ!!」





 思いっきり叫んでやった。

 哀川さんは目をパチクリし、叔母は電話口で「『ひ……っ』」と息を飲む。


 で、俺のオンステージは止まらない。


「子供の頃からずっと我慢してたけど、ふざけんな! 金、金、金! お金のことしか頭にないのか、あんたらは!? 誰か一人でも父さんと母さんのために泣けよ! 人の心がないのか!?」


 うわ、気持ちいい。

 すごいスカッとする。


「俺のこともずっと金の塊だと思ってたろ!? 違うわ、人間だっつーの! 物みたいにあっちこっちの家へ取り合いしやがって、あれすごい傷ついたから! ぜったい許さないから!」


「『え……お、音也……っ?』」


「俺が夜中に布団で泣いてたのも知らないだろ!? その間、あんたたちは誰が遺産を手に入れるかでずっと揉めてたもんな! でも残念でした! 父さんと母さんの大事な遺産をお前らなんかにやるもんか!」


「『な……っ!? そ、そんな! 音也、待っ……』」


「待つわけないだろ!? あんたたちとの付き合いはここまでだ! はい、おしまい! 父さんと母さんのお墓の前で謝れ、ばーかッ!」


 スパンッと言い切って通話を切った。


 言った。

 言ってやった。


 何年も我慢してた怒りを全部ぶちまけてやった。


 うーわ、本当に気持ちいい……。

 俺、いま全身からマイナスイオン出てるかも。


 そうして、サウナ上がりのように忘我状態になっていると、目の前で哀川さんが呆然としていることに気がついた。


「ハ、ハルキ君……?」

「ああ、ごめん」


 軽く頭を振って、どうにか我に返る。


「旅費は心配しないで。『金ならある』って言ったのは本当。ちゃんと当てがあるから」


 脳裏に思い浮かべるのは、俺の部屋にあるヒヨコの貯金箱。


 上の階の奏太そうたさんの真似をして、バイクを買って免許を取るため、俺は1年生の頃からのバイト代を全部あのヒヨコに貯めてある。


 ざっと一年半のバイト代なので、ちょっとした額にはなっている。

 2人分の旅費ならなんとかなるはずだ。


 スマホをポケットにしまい、俺は哀川さんに向き直る。


「今、親戚に電話したのは……強くなりたかったから」


「強く……?」

「うん」


 まだ暴れそうな胃をお腹の上から軽く叩き、俺は苦笑した。


「哀川さんは何年も前に行き別れたお父さんに、これから会うことになる。もちろん無理強いはしないし、哀川さんがいきたいならだけど、でももしそうするなら……俺だって、いつまでも親戚から逃げてはいられない」


「あ……」


 哀川さんの表情に驚きと、そして理解が灯った。

 へへっ、と俺は笑ってみせる。


 

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次回更新:明日

次話タイトル『第42話 月明かりのキスを君に』

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