第39話 哀川さんを見つけにいこう

 教室で哀川あいかわさんに告白寸前までいった、その日。


 結局、哀川さんはウチに来なかった。


 ゲジゲジ扱いでゆにちゃんとも話が出来なかったし、中途半端な気持ちのまま俺は帰宅し、一夜明けてまた学校にやってきた。


 ……今日は昼休みにでも哀川さんと話せるかな。


 とそんなことを思っていたのだけど。


「あれ?」


 ホームルームの予鈴が鳴ってしまい、俺は目を瞬く。


 すぐに先生がやってくるので、クラスメートたちはみんな、ぞろぞろと席に戻り始めている。


 そんななか、哀川さんの席だけが無人だった。


「んー? どうしたん、春木はるきー?」


 近藤こんどうが眠そうな顔で前の席から振り向いてくる。


「あ、いや……」


 哀川さん……遅刻かな?


「春木ー?」

「ああ、いやなんでもない」


 哀川さんが遅刻なんて珍しい。

 誰ともつるまない人だけど、授業に遅れたりはしたことがなかったはずだ。


 しかし遅刻どころか、先生がきて点呼を始めても、哀川さんは姿を現さない。


「いないのは哀川だけか……んー、とくに休みの連絡は来てないんだがなぁ」


 先生は点呼用のペンの頭でこめかみを搔きながら、そんなことをつぶやいていた。


 何かあったんだろうか。

 風邪を引いたとか?

 それともまたお母さんと何か……。


 反射的にスマホを取り出し、でも俺は途中ではたと気づく。


「そっか、連絡先……」


 まだ哀川さんと交換してない。

 後悔がじわじわと胸を締め付けていく。


 結局、この日、哀川さんは学校に来なかった。



 ………………。

 …………。

 ……。



 放課後になると、俺は一目散に家へと帰った。


「哀川さん……」


 時間が経つほど、心配は膨らんでいく。


 ただの風邪とかならまだいい。

 でも事故に遭ったり、何か事件に巻き込まれてでもしていたら……。


「……ああ、違う。落ち着け、俺。そんなわけない……」


 事故や事件なら学校にも連絡が来るはずだ。

 帰りのホームルームでも先生は『哀川は来なかったなぁ』と独り言を言っていた。


 ということは学校に連絡が来るほどの大事は起きてないと考えていい。


「だとしたら……」


 一番考えられるのは、またお母さんと何かあった、という線。


 もしそれで自暴自棄な気分になったなら、哀川さんはウチに来てくれるはずだ。


 そう思ってすぐに帰ってきたのだけど……。


「もう10時……」


 テーブルに置いたスマホのディスプレイは『22:02』を示している。


 もう夜の10時。

 いつもならとっくにウチに来てる時間だ。


 やっぱりおかしい。

 

「探しにいこう……っ」


 もう居ても立っても居られず、俺はスマホを握って部屋を飛び出した。


 まず向かったのは、哀川さんに初めて声を掛けた公園。


 なんとなくそこにいてくれたらと思ったけど、しかし彼女の姿はなかった。


 次はゆにちゃんと3人で行った、ラウンドワム。

 1階から最上階まで見て回って、店員さんにも聞いたけど、やっぱり来ていないらしい。


 そして、たったそれだけで、もう心当たりがなくなってしまった。

 哀川さんの行きそうな場所がわからない。


「俺、哀川さんのこと、何も知らないじゃないか……」


 でも落ち込んでる場合じゃない。


 ピアスやイヤーカフを扱ってそうな店、ネイルショップ、メイク道具がありそうな店、それらをしらみつぶしに回ってみた。だけど、この時間じゃ普通にどこも開いてない。


 結局、またお手上げ状態だった。


 公園に戻ってきて、俺はベンチの前で立ち尽くす。


「クソ……っ」


 あと可能性があるとしたら、哀川さんの家ぐらいだ。


 でも当然、場所がわからないし、それに……家にはいないだろうという変な確信がある。


「哀川さん……」


 俺は深く息をはき、冷静になろうと努める。


 そうだ、家にはいない。

 いるわけない。

 

 もし哀川さんに何かあったのだとしたら、やっぱりお母さん絡みのことだろう。


 でも、だとしたら俺のところに来てくれるはずだ。

 なのに来ないとすれば……。


「……あっ」


 俺はようやく思い至った。

 同時に自分の馬鹿さ加減に心底腹が立った。


 お母さんの――家族のことで何かあったとしたら、哀川さんが俺のところに来てくれるはずがない。


 なぜなら……俺の両親が亡くなったことを話してしまったからだ。


 ――ハルキ君はご両親を亡くしてる。なのにあたしの親のことで甘えることなんて出来ない。


 哀川さんならきっとそう考える。


「ああっ、クソ! なんでもっと早く気づかなかった……っ」


 自分へのイラ立ちで頭を掻きむしる。

 しかし冷静さを失ってる場合じゃない。


 大きく深呼吸し、俺は気持ちを切り替えにかかる。


「……お母さんのことで何かあった、と仮定しよう。だとしたら哀川さんはいつも通り俺を頼りたくなってくれるはず。でも俺の過去のことを知ってしまったから、迂闊に頼れない」


 その葛藤で学校を無断欠席する可能性は十分ある。

 教室に来れば、嫌でも俺の顔を見てしまうからだ。


 じゃあ、その次。

 ここからが重要だ。


「放課後になったら、哀川さんはどう動く?」


 俺が哀川さんのことを考えてすぐに帰って来ることは、彼女も予想するはずだ。


 じゃあ、ウチのアパートから離れるだろうか?


 いや、そんなことはない。俺に甘えることは出来ないと思ってはいても、きっと哀川さんは俺に会いたいと思ってくれる。


 自惚れかもしれないけど、あの夜――2人で抱き締め合った、あの夜のことを思えば、俺は断言できる。


 哀川さんはきっと近くにいる。


「じゃあ、どこに……!?」


 考えろ。

 もっと深く考えろ……っ。


 近くにいるはずなのに、なぜ会えない?

 もしかして哀川さんは隠れてる?


 違う。

 それならとっくに見つけることが出来てるはず。


 考えるんだ。

 もっと深く考えるんだ……っ。


 少なくとも学校がやってる間、哀川さんは俺の部屋のそばにいたはずだ。


 そして放課後が近づくにつれて、どうしようか迷い、部屋の前を行ったり来たりして、だとしたら――。


「そうか……っ!」


 わかった。

 たぶんこれが正解だ。


 気づくと同時に俺は全速力で駆け出した。


 公園を出て、アパートへ。

 自分の部屋にはいかず、外付けの階段を駆け上がる。


 たどり着いたのは、上の階。


 普段、お世話になってる大学生の部屋のインターホンを鳴らし、勢い余ってドアを何度もノックする。


奏太そうたさん! すみません、奏太さん! いませんか!? いますよね!?」


 数秒もせず、ドアが開いた。


「おう、どうした、音也おとや? そんな焦った顔して」


 わずかに開いたドアの隙間から顔を出したのは、奏太さん。


 上の階の住人で、俺の高校のOBでもある。

 在学時は生徒会長だったらしい。


 目つきはちょっと怖いけど、とても優しい雰囲気の人だ。


 奏太さんは彼女さんと上の階の201号室と202号室を借り、お互いの部屋を行き来して半同棲状態の生活をしている。


 そして哀川さんが初めて俺の部屋にきた時、外でずっと待っていた哀川さんにコーヒーをくれたり、山盛りのぬいぐるみを持ってこようとしてくれたのが、この奏太さんと彼女さんだ。


 だとしたら。


 いつも以上に思い詰めた表情の哀川さんがまた俺の部屋の前を行ったり来たりしていたら。


 優しいご近所さんのこの人たちが放っておくはずがない。


 俺は息も絶え絶えで、半ば叫ぶように問う。


「哀川さん――こないだ、俺の部屋に来てた女の子来てませんか!? たぶん朝から俺の部屋の前を行き来してたはずで、だとしたら奏太さんたちが声掛けてくれてるかもしれなくて、もしかしたらこの部屋に入れてくれてるんじゃないかって、俺……!」


「ふむ」


 血相を変えている俺に対して、奏太さんはまじまじと顔を見てくる。


 肯定も否定もない顔だった。

 俺は心臓が破裂しそうな思いで、その視線を受け止める。


 すると次の瞬間、


「音也」


 奏太さんは最終問題のクイズの司会者のようにニヤリと笑った。


「正解だ」


 201号室のドアが開け放たれた。


 まず見えたのは、ウチと違って調理道具が豊富なキッチン。

 次にその奥にある、ウチと同じ間取りの部屋。


 そこにはテーブルがあり、鍋がグツグツと煮立っていた。


 上座に座っているのは、奏太さんの彼女さん。

 黒髪ロングのびっくりするぐらいの絶世の美女。


 奏太さんと同じくウチの学校のOGで、当時はこの彼女さんが『学校一の美少女』だったそうだ。


「あー、音也きゅん! やっと来た! 一緒にお鍋食べるー?」


 彼女さんが取り皿を掲げて誘ってくれた。

 しかし返事をする余裕なんてなかった。


 ちょうど俺の視界の正面。

 鍋から上がる蒸気の向こうに――求める人がいたから。


「ハ、ハルキ君……」


 哀川さんはなんとも気まずそうな顔だった。


 それはそうだろう。汗だくで探していた俺の目の前で、わりと楽しげな食卓を囲んでいるんだから。


 でも。

 とりあえずは。


「良かったぁ……っ」


 全身の力が抜けて、俺は玄関先にうずくまってしまった。


 すると奏太さんが『やれやれ』という顔で肩を叩いてくる。


「俺たち、今日は講義が昼までだったんだ。で、帰ってきたら、あの子がまたお前の部屋の前をうろついてて、こないだと違って深刻そうだったから、とりあえずノリと勢いで連れてきた。お前の予想通りだ」


 奏太さんに手を差し出され、俺はその手を握る。


「……ありがとうございます。でもだったら奏太さんが俺に連絡してくれても……」

「そんなわけいくか」


 こっちに屈んできて、奏太さんが耳打ちしてくる。


「事情は深くは聞いてない。でもあの子はお前を頼りたくて、でも頼れなくて、部屋の前をうろついてたんだろ? だったら――」


 人生の先輩が真っ直ぐに俺の目を見る。


「お前が見つけてやらなきゃ始まらない。違うか?」


 ……ああ、確かにその通りだと思った。


 奏太さんは手を引っ張って助け起こそうとしてくれる。でも俺はそれをやんわりと断った。


「自分で立てます。今は……自分で立たなきゃいけない時だから」

「だな。頑張れよ、お前ならできる」


 頼もしい声援に背中を押され、俺は自分の足で立ち上がった。


 そうして奏太さんたちの部屋にお邪魔し、彼女の前へと進み出る。


「哀川さん」


 呼びかけると、彼女はお箸を置いて、両手を膝の上に置いた。


 気まずそうに肩をすぼめる哀川さんへ、俺は柔らかく笑いかける。


「会いたかった」

「ごめんなさい……」


「どうして謝るの?」

「ハルキ君にすごい探させちゃったから……。あたし、きっとそうなるって分かってたのに……」


「いいんだ。俺が勝手にやったことだもん。それより……」


 話しながら、心からの安堵がこぼれた。


「……ほんとに無事で良かった」

「ハルキ君……」


 哀川さんが浮かべたのは、申し訳なさそうな、でも少し嬉しそうな表情。


 それを見て、俺も気持ちが軽くなった。


「話せる? 俺、哀川さんの話が聞きたい」

「うん」


 子供のように素直なうなづき。

 とりあえず、もう大丈夫そうだ。


 そう思うと同時に顔を出したのは、お茶碗を持った彼女さんと奏太さん。


「それでそれで音也きゅん、ご飯は食べてくよね? これからお雑炊だよー?」

「せっかくだから食べてけ、音也。腹が減ってはなんとやらだ」


 俺は哀川さんと顔を見合わせる。

 その表情は決して暗くない。

 

 哀川さんにとっても、この底抜けにお人好しなご近所さんたちとの食卓は楽しいものだったんだろう。


 だとしたら断る理由なんてない。

 哀川さんと頷き合い、俺は明るく返事をする。


「はい、いただきますっ」


 彼女さんが用意してくれたお椀を受け取り、俺は哀川さんの向かいに座る。


 そうして雑炊をいただき、お礼代わりに2人で食器を洗って、奏太さんと彼女さんの部屋を出た。


 向かうのは、あの公園。

 食後の運動にはちょうどいい。


 そこで俺は哀川さんの話を聞く――。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



次回更新:木曜日

次話タイトル『第40話 父親からの手紙』

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