第37話 ヒロイン頂上決戦―夏恋 VS 哀川さん―(哀川さん視点)

 ハルキ君が帰ってこなかった。

 あたしが中庭から手芸部を見ていたのは、それが理由。


 だって教室であんな……まるで何かすごいことを言いそうな雰囲気だったのに、突然現れた桐崎きりさきさんに連れ出されて、そのまま帰ってこないなんて。


 正直、ちょっとムカッとした。

 それに……『桐崎夏恋かれん』という人も気になる。

 

 だから中庭に来て、南校舎1階の手芸部の部室を外から眺めてみたのだけど……。


 ハルキ君が帰ってこなかった理由はすぐに分かってしまった。


 手芸部でゆにちゃんが漫画みたいに号泣していたから。


 たぶん桐崎さんにゆにちゃんが落ち込んでるとでも言われて、放っておけなくなったんだろう。


 そういう人だ。

 ハルキ君がそういう人だから、あたしは……。


 まったくもう。

 ムカッとしていた気持ちのぶつけどころが無くなってしまった。


「……しょうがいないわね。先に帰ってハルキ君の部屋で待ってよ」


 そうして、きびすを返そうとした時だった。

 手芸部にいた、桐崎さんと目が合った。


「…………」


 彼女は不敵に笑い、部室を出る。

 こっちに来る、と女の勘で分かった。


 晴れた中庭に風が吹く。

 木立ちが揺れ、木漏れ日が踊るように瞬く。


 そんな夏の風を引き連れるようにして、彼女はやってきた。


 ブロンドの髪がきらめくように揺れていた。

 蒼い瞳はサファイアのように澄んでいて、彼女の容姿はまるでよくできた人形のよう。


 あたしもルックスには自信がある方だけど、桐崎さんと並んだらどっちが上かは分からない。


「ちゃんと話すのは初めてよね?」


 勝気な笑みで彼女は笑った。


「2年B組の桐崎夏恋よ」

「……A組の哀川あいかわ美雨みう


 あたしは短く答えた。

 桐崎さんは足を止めず、あたしの横を通り過ぎる。


「もう少し奥にいきましょ。ここだと音也おとやに見られちゃうわ」


 ……名前で呼んでるのね。


 ハルキ君と仲良くなる前、彼女がハルキ君を訪ねて教室にくる場面は何度も見ている。だから名前呼びだと知ってはいたけど、改めて聞くと少し……もやっとした。


 桐崎さんの背中についていきながら、あたしは微妙な気持ちをそのまま口に出す。


「……仲が良いのね、ハルキ君と」


 あたしと桐崎さんにはこれといった接点はない。


 ゆにちゃん曰く、二大美少女なんて言われてるみたいだけど、あたしは……そしてたぶん桐崎さんも他人からの評価なんて気にしていないから、とくにお互いを意識することなんてなかった。


 つい最近までは。


 春木はるき音也おとや君。


 彼がきっかけで、あたしは桐崎さんのことが意識の片隅に引っ掛かるようになった。


 それはきっと彼女も同じだと思う。


 案の定、桐崎さんはあたしと同じような目で肩越しに振り向いた。


「そりゃ悪くはないわよ。幼馴染だしね。音也のことならなんだって――それこそ初恋の相手だって知ってるわ」


「ハルキ君の初恋?」


 さすがに聞き流せなかった。


「だれ? どんな人?」

「私。こんな人」


 ブロンドの髪をかき上げて、背中越しのにやりと笑み。


 なかなか……ふざけた人ね。


 挑発されてると気づき、あたしは唇を引き結ぶ。

 一方、桐崎さんは前を向き直して肩をすくめた。


「私、小4の頃に一度、英国に引っ越してるのよ。その別れ際にね、『帰ってきたら俺と結婚して!』って言われたの。当然、秒でフッたけど」


「フッたの?」


 それは意外だった。


「当たり前じゃない。こっちは最初からそのつもりなんだから。はっきり言って『今さら何言ってんのよ?』って感じ。この先、何十年も一緒にいることになるのよ? せっかくの子供時代のお別れなんだから、いきなりキスぐらいはして良い思い出を作って欲しかったわ」


「…………は?」


 一瞬、彼女の言っている意味が分からなかった。

 

 この人は……ハルキ君と結婚する気ってこと?

 しかも小学生の頃からそう考えていた?


 唖然としているあたしに対して、彼女は前を歩きながらまた肩をすくめた。


「まあ、予想外に早く帰国することになったから、キスされなくて良かったかも、って今は思ってるけどね。やっぱりファーストキスの思い出って、色々シチュエーションにもこだわりたいじゃない?」


 同意を求めるような言葉だった。

 半分は反発心であたしは答える。


「……別に。あたしは雑に奪われたって構わない。相手があたしを求めてくれるなら、なんだっていいもの」


「へえ?」


 少し意外そうな声だった。


「なるほどね、あなたは今までにはいなかったタイプだわ。ゆにが認めてるのはこういうところなのかしら?」


 中庭の奥までたどり着き、まわりに花壇が見え始めた。

 もう手芸部からはあたしたちの姿は見えない。


「ハルキってあれで結構モテるのよ。で、あいつのことを好きになった人が現れると、ゆにはあの手この手でさりげなく私に会わせようとするの。でも今回みたいにあからさまにぶつけようとしてきたのは、初めてだわ」


 足を止め、桐崎さんは振り返る。


「ゆにに誘導されたんでしょ? 私と会うように」

「誘導というか……直接、お願いされたわ。『夏恋先輩に会って下さい』って」


 彼女はちょっと驚いたように目を丸くする。


「ほんとに?」

「ええ」

「それも初めてだわ」


 クスッ、と彼女は笑う。


「ゆにに気に入られたわね、哀川さん」

「どうかしら? むしろ逆だと思うけど」


「ああ、確かに。ゆにはハルキを諦めさせるために、恋人候補たちを私に会わせてるみたいだし」


 それは……たぶん違う。

 ゆにちゃんはあたしに恋愛同盟をしたいと言っていた。


 ゆにちゃんが求めているのは、たぶん一緒に戦う仲間だ。


 でもそれを指摘するのも違うような気がして、あたしは押し黙る。


「正直、困ってるのよね」


 桐崎さんは腰に手を当て、ため息をつく。


「私は別に――音也が誰と付き合おうが構わないのに」

「は?」


 何かの冗談……を言っている雰囲気じゃなかった。

 本気だ、と彼女の穏やかな表情が告げている。


 だからこそ、意味が分からなかった。

 だって小学生の時点で『結婚』を今さらと言っていた、さっきの言葉と繋がらない。


 軽いイラ立ち。

 あとは……やっぱり教室でハルキ君を連れ出されたのがちょっとだけ堪えていたらしい。


 気づけば、あたしは自分から口火を切っていた。


「桐崎さん、あたしね」


 黒髪を耳にかけ、気だるい口調で言う。


「よくハルキ君の部屋に泊まってるの」


 ゆにちゃんにも言ったことのない話。

 我ながら女を出したセリフだった。


 さあ、桐崎さんはどんな顔をするだろう?


 見定めるような気分で彼女の言葉を待ち、次の瞬間、あたしは絶句した。

 

「知ってるけど?」


 ……え?

 は?


 知ってる……?


 ど、どういうこと?


 フリーズしたあたしに対し、彼女は苦笑する。


「音也の住んでるとこ、私のパパが所有してるアパートなのよ。管理人さんはもちろん住民も全員、私と顔見知り。むしろ音也に優しくしてくれそうな人たちに率先して部屋を貸してるの」


 ……あ。


 ふいに頭の中に浮かんだのはハルキ君から聞いた、子供の頃の話。


 ご両親が亡くなり、親戚の間で取り合いをされ、彼はとうとう限界がきて知り合いに連絡をしたという。その知り合いってまさか……っ。


「今時珍しいけど、家賃はわざと手渡し式にしててね、あたしが毎月回収にいってるの。その時、必ず聞いてるのよ。『音也の部屋のまわりで変わったことはないですか?』って。また親戚が突撃してこないとも限らないしね」


 親戚のことは音也から聞いてるでしょ?

 と確認し、彼女は続ける。


「住民たちはみんな、私が幼馴染だって知ってるから、音也の部屋に変化があれば善意で教えてくれるわ。当然、哀川さん――あなたがこないだから出入りしてることも私の耳には入ってた」


「な……っ」


 不意打ちをしたつもりが、完全に不意を突かれた。

 あたしの声は無意識に大きくなっていく。


「し、知ってたなら……なんでそんな平然としてられるの!? あたし、泊ってるのよ!? ハルキ君の部屋に何度も何度も……っ!」


「別に構わないってば」

「どうして!? あなただって、ハルキ君のこと――」

「だって」


 あくまで自然体のまま、彼女は肩をすくめる。


「学生時代の恋愛なんて長続きしないでしょ?」

「……っ」


 とっさに言葉が出なかった。

 一方、桐崎さんは困った顔でブロンドの毛先をいじる。


「まあね? 音也の初めてが私じゃない、っていうのはやっぱりちょっとモニョるわよ? なんとなく寝つけない夜とかは、とくにモニョモニョってなるわ」


 はぁ、と彼女は軽いため息をこぼす。

 本当に軽かった。


「でもまあほら、男の人って人生の中である程度、経験人数が欲しい生き物らしいじゃない? 私は生涯ひとりでいいけど、結婚してから変に我慢させるのもアレだし、だったら若い頃に遊ばせておいてあげた方がいいかなって」


 それにね、と彼女は少し頬を赤らめる。

 なぜかノロケ話を聞かされてるような気分になってきた。


「結婚初夜に初めて同士だったら、さすがにちょっと不安でしょ? 普段はともかく、私もそういう時はさすがにリードして欲しいし、だから哀川さんが音也に経験積ませてくれるなら、私はむしろ願ったり叶ったりよ?」


 気づけば、あたしは絶句していた。


 ……この人は視点が違う。


 あたしやゆにちゃんとは明らかに見ているものが違った。


「正直、ゆにだとさすがに可哀想だと思ってたのよ。可愛い後輩だし、あの子は音也に対して本気だからもし付き合ったら、別れる時に本気で傷つくことになると思うし」


「待って。本気ってことなら、あたしだって――」


「その点、雑にファーストキスをくれる哀川さんなら安心だわ」

「……っ」


 あたしは言葉を飲み込んだ。

 上手くカウンターを突きつけられたこともそうだけど、


 ――都合のいい女になりたい。


 かつての自分の言葉が反論を許してくれなかった。


 でも。

 だけど。


 このまま黙っていることもしたくない。

 あたしは必死に言葉を絞り出す。


「何が違うの……?」

「ん?」


「何が違うって言うの? 桐崎さんだって――あたしやゆにちゃんと同じように、ハルキ君に助けられたんでしょう!?」


 そうやって彼と出逢ったはずだ。

 なのに、どうしてこうもあたしたちと視点が違うのか。

 幼馴染というだけじゃ納得できない。


 その答えは、あっけなくもたらされた。

 いっそ間抜けなくらいのぽかんとした顔で。


「へ? 別に私、音也に助けられたことなんてないわよ?」

「え……」


「まあ、たまにポカした時にフォローは頼んだりするけど、むしろ逆、私がこれから音也を助けるの、、、、、、、、、、、


 本当に……意味が分からなかった。


 ハルキ君を助ける?

 それも……これから?


「始まりは、小5の時。音也が泣きながら電話を掛かけてきたの、『夏恋、助けて』って。将来の夫が私を頼ってSOSを出してきたのよ。そんなの、英国からだって光の速さで駆けつけるしかないじゃない」


「え、英国って……」

「イギリスね。で、パパとママを説得して、こっちに帰国することにしたんだけど……」


「ハルキ君のために海外から戻ってきたっていうの!?」

「そうよ」


 事も無げに彼女はうなづいた。


「どうも音也はいまだにあの時のことを気にしてるっぽいんだけどね」

「そ、そんなの当たり前でしょう……!?」


「なんで? だって将来の夫のピンチよ? 地球の裏側からだって駆けつけるのが普通でしょ?」


 普通じゃない。

 この人の感性は……普通じゃない。


「私はともかくパパやママも同じ考えよ? っていうかね、若い頃、ウチのパパが事業を起こした時、開業資金を融通してくれたのが音也のパパなのよ。そのおかげでパパは成功したし、英国に渡ってママにも出逢えて、私が生まれた」


 桐崎さんは自分の胸に手を当てる。


「だから音也のご両親が亡くなって、残された音也を助けるために帰国するのは、私たち家族にとって当然のこと。いつもそう言ってるのに、音也はいまだに申し訳なく思ってるっぽいのよねー」


 困ったもんだわ、と彼女は首を振る。


「ただそれは……」


 桐崎さんは瞼を閉じてうつむいた。


「……私がまだ途中ってことなのよね」


「途中……?」

「音也を助ける途中、、、、、ってこと」


 顔を上げると、その瞳には強い決意の光があった。


「あいつ、子供の頃のいざこざのせいで、心の中の自己肯定する機能が麻痺しちゃってるの。おかげでいざという時、自分のことが勘定に入らない。だから――無茶な人助けをする」


「あ……」


 それはきっと。

 

 ゆにちゃんのポシェットのために川へ飛び込んだ時のように。

 

 親しくもないクラスメートを放っておけなくて、あたしみたいな厄介な女を家へ招き入れた時のように。


 ハルキ君のそういうところを、あたしも歪みだと感じていた。


「あいつはまだちゃんと自覚してない。治すには長い時間が掛かるわ。だから、私がやるの」


 桐崎さんは花壇に挟まれた、舗装路を歩き出す。

 両手を広げ、色とりどりの花に囲まれて彼女は進む。


「音也には秘密よ? 私の人生の目標はね――」


 黄色い花たちが風に揺れる。

 まるで歌うように。


「あいつと結婚して幸せな家庭を築いて――」


 青い花たちが風に揺れる。

 まるで称えるように。


「たくさんの子供たちに囲まれながら、あいつと歳を取って――」


 赤い花たちが風に揺れる。

 まるで正しさを証明するように。


「シワシワのおじいちゃんになったあいつが亡くなる時、最後の言葉で――」


 彼女が振り向いた。

 無数の花のなか、真っ直ぐな眼差しで。


「――『最高の人生だった』って言わせること!」


 夏の木漏れ日を受けて、彼女は無邪気な顔で微笑む。


「それが出来たら、私も生まれてきた意味があったって胸を張れるわ」


「……っ」


「あ、もちろん結果だけじゃなく過程も大事よ? 生徒会の藤崎ふじさき会長は知ってる? 私、会長についていって藤崎グループに入るつもりなの。私が稼げる立場になれば、音也が将来、『ミュージシャンになりたい』とか『芸人になりたい』とか言い出しても、好きなことさせてあげられるしね」


「……っ」


「子供の頃に辛い思いをした分、音也にはこの先、ずっと楽しく生きてほしいの。そのために出来ることは全部やるつもり。たとえ今、隣にいるのが私じゃなくても、近くで見守って、毎日『特別な言葉』を囁いて、そして――」


 強い風が吹いた。

 彼女のブロンドが陽射しのなかで黄金に輝く。




「私の一生をかけて、あいつを助ける。それが私の人生の目標よ」




 あたしは呆然と立ち尽くす。

 まるで。

 そう、まるで……。


 ……ガツンと殴られたような衝撃だった。


 じわりとシミが広がるように思い出したのは、いつかハルキ君から聞いた、ゆにちゃんによる『桐崎夏恋』の人物評。


 ――鳥みたいに遠くまで見通している人。


 ああ、そうだ。

 この人はとても高い視点から、人生のずっとずっと遠くまで見通している。


 ――だから怖い。最強の壁。


 ああ、そうだ。

 この人には……敵わない。


 あの夜、あたしはハルキ君を守りたいと思った。


 でも桐崎さんは同じことをずっと昔から、ずっと滅茶苦茶な規模でやっている。


 昨日今日会ったばかりのあたしが今さら何かしたところで、この人みたいに本当の意味でハルキ君を守ることなんて……。


「どうして……」


 無意識に弱音がこぼれた。


「どうして、そこまで出来るの……?」

「決まってるじゃない」


 その瞬間、今日一番の風が吹いた。


 空から大地に吹き込み、たくさんの花びらを舞い散らして、夏の風が通り抜ける。


 ブロンドの髪が美しくきらめいて。

 無数の花びらが舞うなかで。

 彼女は女神のような微笑みを浮かべて告げる。


 永遠に終わらない、夏の恋を称えるように。


「あいつのことを――」


 彼女だけに許された、『特別な言葉』を。


「――愛してるからよ」


 強過ぎる風に吹き飛ばされるように、あたしはその場に崩れ落ちた。


 きっとこれまでハルキ君に惹かれた多くの人たちがそうであったように。

 あたしもまた思い知らされた。


 桐崎夏恋。


 この人には…………ぜったい勝てない。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



次回更新:明日

次話タイトル『第38話 勝利の鍵はすでにある(哀川さん視点)』

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