第35話 夏恋の口癖は『愛してる』


 前略。

 天国のお父さん、お母さん。


 俺は今、夏恋かれんにヘッドロックをされて、学校の廊下を練り歩かされています。


 まわりからの視線が痛い……かと思いきや、まったく誰も気にしていない。


 まるで俺が夏恋に好き放題されてるのが日常風景のような有様だ。


 ちくしょう。

 男子として、いや人間として非常に悔しい。


 しかし夏恋のヘッドロックは無駄にがっつりキまっていて、ぜんぜん外すことができない。


 こうなったら……最後の手段だ。


「……夏恋、警告する。今すぐこのヘッドロックを外すんだ」


「んー? ダメよ。解放したら音也おとや、手芸部に来ないじゃない」


「警告はしたぞ。しからば……!」


 俺は唇を引き結び、両手の指をわきわきと動かす。

 そして制服に包まれた夏恋の脇腹を集中攻撃!


「わひゃあ!?」


 悲鳴を上げて、夏恋が仰け反った。

 くくく、子供の頃から夏恋は脇腹をくすぐられるのに弱いんだ。


 仰け反りと同時にヘッドロックが外れた。


 しかし俺は教室から十数メートル拘束されていたので、その分のお返しはしなくちゃいけない。非情に徹して夏恋をくすぐり続ける。


「ちょ、やめっ、やめなさいってば! くすぐりは反則……っ」


 涙目で見悶える、ハーフの17歳JK。

 実にいい気味である。


「降参する?」

「降参っ! 降参するからぁ……っ」

「よろしい。以後、気をつけるよーに」


 ぱっと手を離すと、夏恋はよろけてその場に尻もちをついた。


 ぜーぜーと息を整えると、女の子座りのままキッと睨んでくる。


「音也のエッチ、ばか、変態!」

「いきなりヘッドロックしてくる方が悪い」


「そうでもしないと逃げるでしょ、音也は!」

「いやヘッドロックの手前に色々あるよね? 話し合いとか交渉とか」


「面倒くさいじゃない、そんなの。実力行使が一番手っ取り早いのよ」

「本当、どうかと思うよ。その直情的な性格……」


 即断即決が夏恋のモットーである。


 それが吉と出る場合もあれば、凶と出る場合もあるので、幼馴染としては心配が尽きない。


 まあもっとも凶の場合は俺に降りかかってくるのがほとんどなのだけど。


「まったく……とにかく、ゆにの前では絶対くすぐりなんてしないでよ。私の先輩としての沽券に関わるんだから。はい、手!」


「はいはい」


 夏恋が手を差し出してくるので、レディ・ファーストの精神でそれを握って助け起こす。


 立ち上がるとスカートを叩き、夏恋は膨れ面になった。


「もう一度、念を押すけど、ゆにの前でやったら家賃上げるからね?」

「いや待った、それはひどい」


「ひどくない。当然の権利よ」

「そもそもあのアパート、夏恋じゃなくて桐崎きりさきさんの物件じゃないか」

「何言ってるのよ」


 目をパチクリし、当たり前の顔で夏恋はのたまう。


「パパの物はあたしの物よ。あと音也の物もあたしの物ね」

「はい、夏恋先生」


「はい、生徒の音也君」

「後半のセリフが独裁政権に片足突っ込んでます。ただちに民主化して下さい」


 途端、はぁ~と馬鹿デカため息。


「舎弟が何か言ってるわ。奴隷じゃないだけありがたく思ってほしいものね」

「そうだ! それ、それ!」


 教室でのことを思い出し、俺は声を張り上げる。


「ヘッドロックとか普段の諸々のせいで俺、クラスメートから夏恋の舎弟だと思われてるじゃないか!」


「ね~。びっくりしちゃったわね~」


 にこーっと笑顔。

 な、なんて白々しい……っ。


「笑って誤魔化すんじゃない! どうしてくれるのさ!?」


「まあ、いいんじゃない? 似たようなものだし。ほら、私に毎月払ってる家賃だって、見方を変えたら上納金みたいな気がしてくるし?」


「はぁ~? そうくる? じゃあ、この際だから言わせてもらうけど」


 俺はジト目でずいっと詰め寄る。


「俺が払ってる家賃が手芸部の部費になってる疑惑があるんですが?」


「え、普通にしてるわよ?」

「普通にゲロった!」


 俺、愕然。

 ケロっとした顔の夏恋にさらに詰め寄る。


「百歩譲って俺はいいけど、桐崎さんたちが知ったら本気で怒るぞ? それ、大丈夫なの? ほんとに平気?」


 夏恋への家賃は、俺の両親の遺産から出している。


 本当は正規の家賃として桐崎さんたちに渡したいんだけど、受け取ってもらえないから代わりに夏恋に渡してる形だ。


「俺はてっきり貯めといて、結婚記念日とかに桐崎さんたちへのプレゼントにするもんだと思ってたんだけど……っ」


「え、パパとママに? なんで? そんな使い方するわけないじゃない」

「いやだって……っ」


「あの家賃は音也のパパとママの遺産でしょ? そんなの、音也のために使う以外、ありえないでしょ?」


「は?」


 一瞬、何を言われているのか分からなかった。

 しかし夏恋はまるでこっちがおかしなことを言っているとばかりに眉を寄せる。


「家賃はみんな手芸部の毛糸や消耗品代にしてるわよ。で、それを音也のマフラーとかセーターとか手袋にしてるわ。完成する度にいつもあげてるでしょ?」


「え……」


 とっさに二の句を告げなかった。

 夏恋の言葉を何度も頭のなかで反芻。


 めいっぱい時間をかけて考え、ようやく俺は口を開く。


「マフラー? セーター? 手袋? それって……」


 ちょっとにわかには信じられないけど。


「夏恋がいつも押しつけてくる、あの前衛芸術のこと?」

「はあっ!?」


 目を剥いた。

 ショックを受けた顔で夏恋が猛烈に詰め寄ってくる。


「前衛芸術ってどういうことよ!? 私がいつアーティストとしてデビューするって言った!? 何時何分何秒? 地球が何回ループしたら!?」


「待て待て、個人的な怒りで地球をループものにしないでやって……!」


 ええと、一年の頃に手芸部を設立して以降、確かに夏恋は事あるごとに毛糸でできた謎のサムシングを俺に押しつけてきた。


 たとえば、触手の生えたドラゴンみたいなものとか、誕生直後の地球みたいなものとか、ヒトデの化物みたいのとか……ああ、どうやらあれらはマフラーやセーターや手袋だったらしい。


 一応、それらはクローゼットの奥のダンボールに保管はしてあるけれども……。


「……あれらを俺が身に着けてたら、夏恋、どう思う?」

「う……っ」


 痛いところを突かれたらしく、夏恋はうめいて視線を逸らした。


「た、確かにちょっと見た目はあれかなぁって思うし、音也が着てたら真顔で注意しちゃうかもしれないけど……」


「自分で編んだのに注意するのか……」


 どうやらウチの幼馴染、手芸や裁縫の才能はなかったらしい。

 長年一緒にいるけど、初めて知った。


 一転して、夏恋は頭を抱えて悩みだす。


「ど、どうしよう!? 私、以前まえにゆにに『春木先輩、どうしたら手作りの編み物をもらってくれるでしょうか……』って相談されたのよ!?」


「え、それでどう答えたの?」


「フッ……って笑って『真心よ。本当に真心を込めたら、それは間違いなく相手に伝わるものよ』ってドヤ顔で答えちゃった!」


「どうやら伝わってなかったようですね……」


 思わず、ゆにちゃんみたいな敬語になってしまった。


「うーわー……っ!」


 夏恋は頭を抱えてうずくまる。


「じゃあなに? 私、ゆにの前で延々と前衛芸術みたいな失敗作を作り続けてたってこと? その上でドヤ顔で『真心うんぬん』とかのたまっちゃったってこと!? うーわーっ!」


 すごい。

 ひと一人の黒歴史が誕生する瞬間に立ち会ってしまった……。


 俺はとりあえず無言で合掌。南無。


 えーと、そろそろ解説が必要かもしれない。


 夏恋は基本的に最強無敵の幼馴染だ。


 髪はイギリス人のお母さん譲りのブロンドで、瞳も蒼く、哀川さんのようにピアスとかをつけてなくても、雰囲気だけでとにかく派手。


 行動力もあって、さっき教室に入ってきたみたいに、どこにいっても場の中心になってしまう。


 ただ、たまにちょっとポンコツ化する。

 それを知っているのは、ご両親の桐崎夫妻と幼馴染の俺だけだ。


 で、そのポンコツが発動した時、フォローを任されるのが俺だったりする。


「音也」


 うずくまったところから、夏恋が顔を上げる。

 ちょっと半べそだった。


「なんとかして」

「うーん……」


 なんとかと言われても、たぶんゆにちゃんは薄々おかしいな、とは思ってると思う。


 だって、手芸部であの前衛芸術が出来上がるところを間近で見ているわけだし。


 ただ夏恋のことは尊敬してるだろうし、『夏恋先輩は何か深い考えがあって、前衛芸術を作ってるのかも……』ぐらいには誤解してくれてるかもしれない。


 だとすれば、俺がああいう前衛芸術を好き、みたいなことにすれば、ギリギリで夏恋の面目も保てるだろうか。


「はぁ……わかった。なんとかするよ」


 放課後は哀川さんと過ごしたかったのだけど、どうやらそうもいかないようだ。きっと今夜もウチに来てくれるだろうし、哀川さんとはその時にゆっくり話そう。


 ただ、ゆにちゃんにも伝えなきゃいけないことがあるし、ちょうどいいと言えば、ちょうど良かったのかもしれない。


「ん、よろしくね」


 俺がフォローを請け負うと、夏恋は一転して元気を取り戻して立ち上がった。


「なんだかんだ、こういう時は頼りになるわよね、音也って」


 そう言うと、夏恋は機嫌よくステップを踏むように歩き出し、すぐにくるんっと振り返ってきた。


 両手を後ろ手に組んで、サラッと髪を揺らし、浮かべるのは花が咲いたような笑顔。


「愛してるわよっ」

「はいはい」


 適当に聞き流し、俺は夏恋と一緒に歩きだす。


 機嫌がいいと、夏恋は事あるごとにこうして『愛してる』と口にする。幼馴染同士の冗談だとは分かってるけど、これもそろそろやめてもらわないとなぁ。


 そんなことを思いながら、俺はゆにちゃんが待つ手芸部へと向かった――。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



次回更新:木曜日

次話タイトル『第36話 夏恋と音也とゆにの手芸部』

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