第33話 ゆにちゃん、ショックで白目になる!(哀川さん視点)

 朝の学校。


 教室へ向かう生徒たちの喧騒を避けて、あたしは廊下の曲がり角をさらに奥へと駆けていく。


 そうして誰もいなくなったところで、ようやく足を止めた。


 壁に背中を預け、胸に手を当てる。


「本当にもう……」


 まだ鼓動が落ち着かない。


 原因はハルキ君。

 ぜんぶ彼のせい。


 部屋であんなに恥ずかしい空気になった後なのに、まさか学校で手を繋ごうとしてくるなんて。


 あんな場面、誰かに見られたらどうするのよ。


 一応、偶然ぶつかった風にはしてたみたいだけど、それだってどこまで上手くいってるか分からない。


 ちょっと勘のいい女子なら、すぐに何かある2人だって気づくはず。


「まったく……」


 ……困る。すごく困る。

 だってこれ以上は……きっと我慢できない。


 こんな気持ち、初めてだった。


 昨夜ゆうべからずっと彼のことばかり考えている。

 彼の求めることなら、本当はなんだってしてあげたい。


 その気持ちをこっちは必死に我慢してるっていうのに、本当、ハルキ君は……っ。


 うん、なんだか改めてイラッとしてきた。

 今夜も家にいって、徹底的にお仕置きしてやろう。


 そんなことを考えていたら――。


「なん、なん、なん、なん……」

「え?」


 曲がり角の向こうに人がいることに、あたしはようやく気づいた。

 

 さっきハルキ君がお経を唱えていたみたいに、『なん、なん』とワケの分からないことを繰り返している。


 え、不審者?

 と思ったけど、よく見たらぜんぜん違った。


 不審者どころか、すごく可愛い女の子だった。


 リボンの付いたツインテ―ル。

 フリルいっぱいの改良制服。

 特徴的なピンクのポシェット。


 ん? っていうか、あれって……。


「ゆにちゃん?」


 曲がり角の方までいって、あたしは声を掛ける。


 その瞬間だった。

 ゆにちゃんが突然、大声で叫んだ。


「なんなんですか、さっきのぉぉぉぉぉぉーっ!?」

「きゃっ」


 勢いがすごくて、あたしはその場でちょっと飛んでしまった。


「ゆ、ゆにちゃん? え、なに? どうしたの?」


「どうしたもこうしたもそうしたもありません! ありませんったらありません! 驚天動地に青天の霹靂で天元突破じゃないですかーっ!」


 え、どうしよう。

 本気で意味が分からない。


 しかしそんなあたしの戸惑いを察したのか、それとも察していないのか、ゆにちゃんは続けて叫んだ。


「なんで春木はるき先輩とお手々繋いで、壁ドンで、イチャイチャ空気かもしだしてるんですかぁーっ!?」


「……っ」


 あ、なるほど。

 見られちゃってたのね。


 さすがにちょっと動揺した。

 でもゆにちゃんだったら別にいい。


 今さら隠すことなんてないし。

 むしろお礼を言いたいぐらいだし。


 あ、そうね。

 お礼を言わなきゃいけなかったんだ。


「ゆにちゃんのおかげよ」


 まだ混乱状態の彼女へ、あたしは語り掛ける。


「カラオケの時、言ってくれたでしょ? ハルキ君がどうして一人暮らししてるのか、聞いてみろ、って」


 少し照れくさくて、あたしは苦笑を浮かべる。


「そのおかげでハルキ君と前より……ちょっと仲良くなれちゃったの」

「はいっ!?」


 ピタッとゆにちゃんの動きが止まった。

 可愛い瞳が大きく見開かれる。

 その間もあたしは話を続けた。


「不思議よね。ハルキ君のこれまでのことを知ったら、なんか……使命感? みたいなのが湧いてきて。あの人を守ってあげなきゃいけない、みたいな……」


「え、え、え……?」


「そういう気持ち、勇気を出して全部ぶつけてみたら、彼も応えてくれて……」


「こ、こたえ、て……?」


「たぶん、あたしもハルキ君もそういう今の状況にまだ戸惑ってる。でも嫌じゃないの。そりゃ妙に前のめりになられちゃって、さっきも困ってたところだけど……まあ、それも悪くないっていうか……」


「あ、あ、あ……」


 ふと見たら、ゆにちゃんがカタカタ震えていた。

 そして突然、まるで漫画みたいに白目を剥いてしまう。




哀川あいかわ先輩、恐ろしい子――っ!!」




 バックで稲妻がビシャァァッと光った。


 え、稲妻?

 どういうこと?

 物理的にどうなってるの?


 しかしあたしの疑問が解消されることはなく、ゆにちゃんはがっくりと床に突っ伏してしまう。


「なんでこんなことに……敵に塩を送ったつもりが、これじゃあ敵に金銀財宝を送ったようなものじゃないですか……っ」


 小鹿のように震える、ゆにちゃん。


「わたしはただ、春木先輩が『名前で呼んで』って言われて動揺してた理由を教える程度のつもりだったのに……っ」


「あ、そういえば、そんなこともあったわね。結局、カラオケでハルキ君がゆにちゃんに『名前で呼んで下さい』って言われて困ってたのはなんでなの?」

「そこ分かってないんですかーっ!?」


 ぐわっと起き上がって、すごい勢いででツッコまれた。なんかごめんなさい。


「春木先輩は子供の頃に近しい親戚の方々と上手くいかなかったから、他人と親しい関係になることに抵抗感があるんです! だからわたしに『名前で呼んで下さい』って言われてフリーズしたんですよ!」


「あ、そういうことだったのね」

「軽い……っ。なんでその程度の理解度であの人と仲良くなれてるんですか!?」


 ガーンッ、という感じでショックを受ける、ゆにちゃん。


 一方、あたしは唇に指を当てて考える。


「そうね……気持ちで繋がってるからかしら? 理屈を通り越して、ハルキ君の考えてることはなんとなく分かるの」


「な、なんて余裕のあるセリフ……っ」


 またショックを受ける、ゆにちゃん。


 うん、申し訳ないけど、これくらいは言わせてもらおうと思う。


 だって、あたしはゆにちゃんが強いことを知ってるから。


 そんな強いゆにちゃんにだって、もう負けるわけにはいかないから。


 彼女を見つめ、あたしは笑う。

 わざと余裕を込めた、勝気な笑みで。


「ありがとう、ゆにちゃん。あなたのおかげで、あたしも強くなれたわ」

「――っ」


 その言葉で彼女の表情が変わった。

 慌てふためていたところから一転、まぶたを閉じて大きく深呼吸。


 もう一度、目を開けると、いつもの冷静なゆにちゃんに戻っていた。


「分かりました」


 彼女はあたしの視線を真っ直ぐに受け止める。


「哀川先輩を本当の意味でわたしのライバルだと認めます」

「本当の意味で?」


 まるでこないだのトリプルデートは遊びだったみたいな口ぶりだった。


 廊下にはあたしたち2人しかいない。

 生徒たちの喧騒はどこか遠く、窓からは朝の陽射しが差し込んでいる。


 そんな静かな空気のなかで、彼女は告げた。


「哀川先輩、夏恋かれん先輩に会って下さい」


 声の響きは驚くほど真剣だった。

 だからこそ不思議に思った。


桐崎きりさきさんに? 隣のクラスだから廊下ですれ違うくらいはしてるわよ?」

「そういう意味じゃありませんよ」


 苦笑を浮かべ、ゆにちゃんは歩きだす。

 手いじりするように廊下の壁を撫でながら、一歩一歩進んでいく。


「いつか教えましたよね? 春木先輩は『自分をモブだと思い込んでる、女たらし予備軍』だって」


「確かに聞いたわ」


 今ではあたしもその通りだと思ってる。

 

「春木先輩と知り合って半年。この半年の間にわたしはたくさんの人たちが春木先輩に転んでいくのを見ました」


 壁を撫でていた手を掲げ、彼女は指折り数えだす。


「ファミレスで不良に絡まれていた、2年生の小林先輩。受験票を失くして泣きそうになっていた、受験生の田中さん。男子100メートル走で県大会に出るはずだったのに捻挫してしまった、3年生の高橋先輩。エトセトラ・エトセトラ……」


「待って、ゆにちゃん。今、男子が混じってた気がするんだけど?」


「多様性の時代ですよ、哀川先輩」

「多様性の時代なのね……」


 足を止め、ゆにちゃんは振り返る。


「みんな、春木先輩に助けてもらってました。ケンカなんて出来ないくせに不良に立ち向かったり、雪と泥まみれになって受験票を見つけ出したり、知り合いの伝手を使って名医を見つけたり……そんなことされたら、好きになっちゃいますよね?」


 呆れ果てた顔で、ゆにちゃんは笑う。

 たぶんあたしも今、同じ顔をしてると思う。


 そうやってハルキ君が誰かを助けようとする姿が簡単に想像できたから。


 あたしもゆにちゃんもそうやって彼と出逢ったから。


「でもですね、哀川先輩」


 ゆにちゃんはツインテ―ルの毛先を指でくるくると手いじりする。


「結局、誰も残りませんでした。みんな、春木先輩のことを諦めて去っていきました」


 彼女はゆっくりと小首をかしげる。


「どうしてだと思います?」

「…………」


 あたしは少しの間、考えた。

 そして自分の経験から答える。


「ゆにちゃんに勝てないと思ったから?」

「違います」


 答えは一息でもたらされた。


「――夏恋先輩です」


 風が吹いた。

 どこかの窓が開いているのだろう。


 強い風が吹き、あたしの黒髪とゆにちゃんのツインテ―ルを揺らした。


「春木先輩のことを好きになった人たちは、みんな夏恋先輩に吹っ飛ばされてしまいました。あの人には敵わない……そう分からされて、泣きながら諦めていきました」


 ゆにちゃんは自分の胸に手を当てる。


「残っているのは、わたしだけ。わたし一人がまだこの戦いを続けてます。でもわたしだけじゃ、やっぱり夏恋先輩の牙城は崩せません。だから必要なんです。わたしと同じくらい、強い気持ちで夏恋先輩に立ち向かえる人が」


 彼女の瞳があたしを捉える。


「だから哀川先輩、夏恋先輩に会って下さい」


 ……ふと思い出した。


 ゆにちゃんがたまに口にする言葉。

 敵に対する対応は、恭順か徹底抗戦。


 彼女はあたしに対していつも徹底抗戦を選ぶ。

 だけど聞いてる限り、桐崎さんに対しては……。


「つまりゆにちゃんが『恭順』を選ばざるを得ない相手ってこと?」


 それだけで桐崎さんの恐ろしさが伝わってくる気がした。


 ゆにちゃんは答えない。

 ただ、きびすを返し、去り際にほのかに笑みを浮かべた。


「夏恋先輩に会って、それでもまだ哀川先輩が立っていられたら、その時はわたしと恋愛同盟といきましょう――」


 そんな言葉を残して、ゆにちゃんは立ち去った。

 予鈴のチャイムがまるで開戦の合図のように鳴り響いた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



次回更新:土曜日

次話タイトル『第34話 降臨、最強の幼馴染――っ!』

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