第32話 学校の哀川さんも恥ずかしカワイイ
朝の通学路は学生たちで賑わっている。
その流れのなかを歩きながら、俺は独り言をつぶやく。
「落ち着け。冷静に落ち着いていこう、俺。
朝、ウチで
俺たちはふわっふわした雰囲気でどうにか朝ごはんを済ませ、登校することにした。
例によって哀川さんは一旦家に帰るために早めに出て、俺はその後少し遅めに出発した。
今はひとりで通学路を歩いているけれど、教室にいったら哀川さんがいる。学校でまたあんな空気になったら、色々取り返しがつかない。
「まあ、哀川さんは大丈夫だろうけど……」
その辺の切り替えはちゃんとしているイメージがある。
問題は俺の方だ。
また赤面したりしようものなら、あとでどんな風にからかわれるか、分かったもんじゃない。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
心を冷静に保つため、お経を唱えながら校門を通った。
服装チェックの生活指導の先生や風紀委員に気味悪そうな目で見られたけど、こっちはそれどころじゃないので、やむなしである。さもありなん。
そうして下駄箱に着いた。
俺はお経を唱えたままで靴を脱ぎ、それを下駄箱にしまおうとして――。
「やば、まだなんか気持ちが浮ついてる。いい加減、冷静にならなきゃ。教室いったらハルキ君もいるんだし……」
――隣で同じように靴をしまおうとしている人がいた。
黒髪の間からイヤーカフとピアスがきらっと光り、俺は思わず靴を落としそうになる。
「あ、哀川さんっ!?」
「へ? えっ、ハルキ君っ!?」
あっちもローファーを落としそうになり、2人とも慌てて自分の靴を持ち直す。
まわりの生徒たちから『ん? なんだ? なんかあった?』というチラ見をされ、哀川さんは慌てて表情を引き締めた。
ローファーを素早く下駄箱にしまい、何気ない顔でうわばきを出しながら、小声で話しかけてくる。
「(なんか横からキモいお経が聞こえてくると思ったら、こんなところで何してるのよ?)」
「(キモいってひどくない!? お経は大切な心の清涼剤だよ!?)」
思わず小声で返しつつ、こっちも何気ない顔でうわばきを出す。
はたから見たら、俺たちが会話してるようには見えないはずだ。
「(そんなものを心の清涼剤にしてる人、全国にキミしかいないから)」
「(いや!
「(とりあえずその変な男子ノリやめて)」
「(あ、はい)」
永久凍土みたいなジト目で言われ、瞬時にやめた。
女子は男子ノリに冷たいなぁ……。
哀川さんはトントンッとつま先で床を叩いて履き心地を整える……フリをして時間を作り、俺に言う。
「(なんで登校時間被っちゃうのよ。こうならないようにわざわざ遅めに出たのに……)」
「(あれ? 哀川さんも?)」
「(え?)」
「(俺もわざと遅めに出たんだ。登校時間が被らないように)」
「(それって……)」
「(あ、うん……)」
登校の時に会っちゃうと、また照れくさくなってしまうから。
お互いに同じことを考えてた。
お互いに同じことをやっていた。
それが一瞬で伝わり合ってしまった。
「「……っ」」
かぁーっと頬が赤くなり、俺たちは同時に視線を逸らす。
やばい。
またこの空気だ。
こうなると、俺はどうにも自分の制御が効かなくなってくる。
より正確に言うならば、制御が効かなくなるというか、純粋に……哀川さんと離れたくない、とすごく思ってしまう。
「あのさ……」
今度は小声じゃない。
普通の声で言い、俺は赤くなった顔を哀川さんの方へ向ける。
「一緒に教室までいく?」
「な……っ」
哀川さんの肩が軽く跳ねた。
「何言ってるのよ、ダメダメ。そんなの……っ」
赤い顔できびすを返し、歩き始めてしまう、哀川さん。
俺はその後を追っていく。
するとびっくりした様子で目を見開かれた。
「ちょっと! なんでついてくるのっ?」
「や、ついてくるも何も教室一緒だし」
「それはそうだけど、横に並ぶ必要はないじゃない……っ」
「大丈夫だよ。みんな教室に向かってるから目立たないって」
実際、生徒たちはそれぞれ友達と話したり、ひとりでかったるそうに歩いてたり、なかには参考書を読みながら歩いている人もいる。
他の生徒のことなんて、それほど見ていない。
だけど、哀川さんは気になるらしい。
声の大きさは普通に戻ったけど、あくまで俺の方を見ないで言う。
「……お願い、わかって。あたし、ハルキ君に迷惑かけたくないの」
……なるほど。
彼女の言いたいことは理解している。
哀川さんは最初の頃からずっと、俺と仲良くなったことを他人にはあまり知られたくないと思っている。
それはいつか俺が哀川さんとの関係を切りたくなった時、俺が周囲から責められないため。
都合のいい女になりたい、という彼女の望みの発露だ。
でも。
だったら。
――普通に付き合えば、もうそんなこと考えなくていいんじゃないだろうか?
だって俺、哀川さんと離れたくないし。
なんなら今だって、もっと近くにいたいくらいだし。
「……あっ」
そんなことを考えていたら、自然に体が哀川さんの方へ寄ってしまっていた。
肩が触れ合い、俺の手がちょうど彼女の手に触れる。
「え?」
俺の方を見ていなかった哀川さんにとっては、完全に不意打ちだったはずだ。呆然とした声を聞き、ちょっとイタズラ心が湧いてしまった。
「あ、ごめん」
俺はわざとらしくそんなことを言い、まわりからは偶然ぶつかったように見せつつ、少しだけ彼女の手を握った。
「――っ!」
まるでボォッと燃えるように、哀川さんの頬っぺたが赤くなった。
そのまま慌てて離れるのかと思ったけど、そうじゃなかった。
もちろん哀川さんの体は当然のように俺とは逆方向に流れていく。
でも完全に離れる間際、ほんの一瞬だけ――キュッと手が握り返された。
うわ、嬉しい……っ。
それだけで俺は舞い上がるような気持ちになってしまった。
一方、哀川さんは何もなかったような顔で瞬時に体を離す。
そして、
「ちょっと、こっちきて……!」
肘の辺りを掴まれ、廊下の曲がり角へと連れていかれた。
生徒たちの視線が届かないところまでくると、哀川さんは俺を壁際に追い込み、顔の横にバンッと手を付きつける。
「な、に、を、やってるのよ、キミは……!?」
哀川さんは真っ赤な顔でぜーぜー言ってる。
素早く冷静に連れてこられたと思ったけど、実際は相当慌ててたらしい。
さすがに申し訳なくなり、俺は壁ドンされた状態で小さくホールドアップ。
「ごめん、つい……」
「ついじゃないの!」
哀川さんのお怒りは収まらない。
「あんなことして、誰かに見られたらどうするのよ!?」
「まあ、その時はその時というか、なんとかなるんじゃないかなって」
「なるわけないでしょーがっ」
もーっ、と哀川さんは壁から手を離し、ジト目で腕組みをする。
「とりあえず、今日はもうあたしの半径3メートル以内に入るの禁止」
「え、そんなっ」
「だって今日のハルキ君、明らかに浮かれポンチだもの」
「浮かれポンチ……いや浮かれてる自覚はあるけど、そこまででは……」
「あるわよ。あとで鏡見てみて。明らかにデレデレしてるから」
「え、本当?」
思わず自分の顔に触る。
浮かれポンチまでは百歩譲ってまだいいけど、デレデレしてるっていうのは、さすがに格好悪いかもしれない。
でも、だったらこっちにも言い分がないではない。
「だけど、哀川さん」
「なによ?」
「哀川さんも一瞬握り返してくれたよね?」
「う……っ」
分かりやす過ぎるぐらい、図星を突かれた顔だった。
哀川さんは言い訳を探すように視線をさ迷わせる。
しかしやがて観念したようにつぶやいた。
「しょ、しょうがないじゃない……」
頬を赤く染めて。
指先で恥ずかしそうに口元を隠して。
小さく囁くように。
「……あたしだって、キミとくっついてたいんだもん」
うわ、可愛い。
可愛すぎて、とっさに言葉が出なかった。
するとその沈黙が恥ずかしかったのか、哀川さんは早口でまくし立てる。
「と、とにかく! 3メートル以内禁止! いいわね!?」
一方的にそう言い放ち、彼女は逃げるように駆けていく。
そして俺はというと、哀川さんの姿が見えなくなると同時に、その場にうずくまってしまった。
「可愛すぎる……」
この心臓のドキドキはしばらく収まりそうになかった。
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次回更新:木曜
次話タイトル『第33話 ゆにちゃん、ショックで白目になる!(哀川さん視点)』
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