第31話 寝起きの哀川さんは照れカワイイ

 チュンチュン……。

 外でスズメが鳴いている。

 その声で俺は目を覚ました。


「……ふぁ」


 小さく欠伸をする。

 カーテンの間からは朝日が差し込んでいた。


 微妙な眠気が薄れていき、だんだん頭がはっきりしていく。

 そして……。


「……っ」


 一瞬、息を飲んでしまった。

 目の前に哀川あいかわさんのきれいな寝顔があったからだ。


 ……び、びっくりしたぁ。


 もうちょっとで声を上げてしまうところだった。

 でもこれは驚くようなことじゃない。


「まさかこんな朝を迎える日がくるとは……」


 今、俺は自分の部屋のベッドで寝ている。

 いつものように床じゃない。


 そして同じベッドの中では哀川さんが無防備な寝顔でまだ眠っている。


 昨夜、俺は哀川さんに昔の話をした。

 その後、色々あって抱き締め合う形になり、哀川さんは当然のように昨夜もウチに泊まった。


 そして……俺も覚悟を決め、同じベッドで寝ることを選択した。


 俺は寝巻代わりのTシャツにスウェット姿。

 哀川さんはいつものようにパジャマ代わりの俺のジャージ姿。


 さて。

 俺はここで重要な情報を開示しなきゃいけないと思う。


 哀川さんが泊まって。

 同じベッドで寝ることにして。

 それでどうなかったか。


 ――はい、結局、何もしてません。


 ええ、はい、俺も哀川さんも清廉潔白な清い体のままです。


「……はぁ」


 思わずため息をついてしまった。

 白状すると、思いっきり後悔している自分がいる。


 そりゃいるさ。

 いないはずがない。


 正直、俺は同じベッドに入ると決めた時点で、哀川さんとそういうことをしたいと思った。


 でもいくらなんでも早過ぎるとか、物事には順序があるとか、色んなことをぐるぐると考えてしまい、そんな思考を哀川さんに見透かされてからかわれたり、言い返したり、笑われたり、笑い合ったりしているうちに……気づいたら哀川さんが安心しきった顔でスヤスヤと眠ってしまっていた。


 俺が真剣に求めたら哀川さんはたぶん……いや間違いなく応えてくれたと思う。


 途中、俺が手を出しやすいようにわざと無防備になってくれたような場面もあったし……。


 据え膳食わぬはなんとやらというけれど、今の俺は丸っきりそれに当てはまってるかもしれない。


「…………」


 ただ、後悔と同時に……まあいっか、という気持ちもあった。


 目の前の哀川さんの安心しきった寝顔を見ていると、不思議となんだか幸せな気持ちになってくる。おかげで昨夜の後悔もどうでもよくなってきた。


「これまでも俺の部屋で寝る時、こんな顔してくれてたのかな……」


 だったら嬉しい。


 哀川さんはとんでもない美人なのに、今こうして横になっている姿は、まるで幼気いたいけな子供のようだ。


 今までは床で寝ていたから、哀川さんの寝顔なんてまともに見てこなかった。


 でもこんなに安心してくれるくらい、俺の部屋が彼女の安全地帯になっているんだとしたら、こんなに嬉しいことはない。


「まつ毛長いなぁ……」


 朝日のなか、俺は幸せな気持ちで哀川さんの寝顔を見つめる。


 するとふいに彼女のまぶたが動いた。


「……ん……」


 ゆっくりとまぶたが開いていく。

 一方、俺はちょっと焦った。


 普通に寝顔を見てしまっていたけれど、よく考えたら何か悪いことのような気がしなくもない。


 でもここは2人きりのベッドのなか。

 ただでさえ狭いのに、逃げ場なんてあるはずがなかった。


「……あ……れ……? はりゅきくん……?」


 うわ、可愛い。

 ちょっと舌っ足らずだ。


「……あ、うん。おはよう」

「……おはよ」


 うわ、可愛い。

 舌っ足らずの『おはよ』だ。


「……なんで……はりゅきくん……? ゆめ……?」

「あー、いや夢じゃなくて……」


 この可愛い生き物にどう説明したらいいだろう。


 しかし考えてるうちにパチパチと瞬きをし、哀川さんがだんだん目を覚まし始めた。


「……あー……そっか。あたし……昨夜も泊まって……ハルキ君がキョドリながら『お、俺もベッドでいい?』って言うから爆笑しながらオッケーして……それで、だから……」

 

 そして哀川さんは完全に目を覚ました。

 と同時に至近距離で俺とバッチリ目が合った。


「……あ」

「あ……」


 なぜか一瞬で恥ずかしくなった。

 哀川さんも同じらしく、頬が見る間に朱色に染まっていく。


 俺たちは掛布団のなかで身じろぎし、視線を逸らした。


「寝起きで目が合うの、なんか……恥ずい」

「……だ、だね」


「っていうか、ハルキ君、あたしの寝顔見てたの?」

「いや見てたというか、見てないというか、見てましたと申しますか……」


「……ふーん」


 掛布団を目元まで被り、哀川さんは赤い顔を隠す。

 そして照れ隠しで責めるように言う。


「ハルキ君のえっち」

「す、すみません……っ」


 うわ、なんだこれ。

 叱られてるのに、なんか嬉しい。

 ふわふわして、すごく変な気持ちだ。


「……で、感想は?」

「え?」


「人の無防備な寝顔見といて、感想の一つもないの?」

「あ、うん……っ」


 なんて言えばいいんだろう?

 これはなんて答えるのが正解なんだ?


 しかししっかり考える間もなく、口が勝手にしゃべってしまった。


「すごく……可愛かった。安心しきってるのが伝わってきて、なんか……嬉しかったよ」

「……っ」


 掛布団で隠しているのに、それと分かるくらい哀川さんはさらに赤くなる。


「ば、ばかっ」


 細い指先でふにっと頬を押された。


「なに真顔で言ってるのよっ。恥ずいからやめて、そういうの」

「え、でも感想言えって言ったの、哀川さんじゃん」


「そうだけどっ、そんな直球な感想求めてないしっ」

「じゃあ、なんて言えばよかったの?」


「それは……分かんないけど」

「あと哀川さん、満更でもない顔してるよ?」


「そういうのも言わなくていいからっ」


 押していた指で今度は頬っぺたを引っ張られた。

 

「い、いひゃい、いひゃい」

「生意気なことを言うのはこの口かしらー?」


 仕返しとばかりにノリノリで笑う、哀川さん。

 でも引っ張られたせいで顔がさらに……グイッと近づいてしまった。


 その距離、実に約10センチ。


 吐息も掛かるような距離だった。


「「……あっ」」


 2人同時に声を上げ、硬直してしまった。


 さらには2人同時にまた赤くなってしまう。


「「~~~~っ」」


 ヤバい。

 恥ずかしい。

 もうどうにかなってしまいそうだ。


 でも。

 だけど。


 ――離れたくない。


 こんなに恥ずかしくて堪らないのに、自分から距離を開けることなんて出来なかった。


 すると真正面で見つめ合ったまま、ふいに哀川さんが囁いた。


 こんなに間近にいるのに聞こえるか、聞こえないかぐらいの、本当に本当に小さな声で。


 潤んだ瞳と。

 朱に染まった頬のまま。

 ぽつりと。




「…………する?」




 その瞬間。

 俺の心のなかで据え膳が宙を舞った。


 いや膳だから宙を舞わせちゃいけないんだけど、とにかくそれぐらい何かが加速した。


「哀川さん! お、俺――っ」


 腕を伸ばして抱き締めかけた、その刹那。

 突如、枕元から大きな電子音が響き渡った。


 ――ピピピピピッ!


 それはスマホの目覚まし音。

 いつもなら日常の中の音だ。


 しかし非日常の真っただ中に踏み込もうとしていた俺たちは、死ぬほどびっくりした。


「きゃっ!?」

「うわっ!?」


 スマホに驚いて、飛び上がるように起き上がる。


 掛布団がベッドの後ろに吹っ飛び、俺と哀川さんは上半身を起こした体勢で硬直。


 まだ目覚まし音は鳴り響いている。


 唖然としたまま、なんとなく視線が合い――さっきとは違う意味でまたメチャクチャ恥ずかしくなった。


「「…………っ」」


 なんだこれ!?

 一世一代のムードからのコントみたいなオチで死ぬほど恥ずかしい……っ。


 でもこれはこれで、なぜかそこまで嫌じゃない……!


 もう頭の中はぐちゃぐちゃだ。


「お、俺、朝ごはん作るね!」

「あ、ありがと……っ」


 もう緊急回避しようと思い、俺はベッドから下りる。

 哀川さんも同じ気持ちだったみたいで、一も二もなくうなづいてくれた。


 俺はスマホを止め、そそくさとキッチンへ向かう。


 でもその途中、どうしても哀川さんのことが気になって、振り向いてしまった。すると、


「……あ」

「あ……」


 哀川さんもこっちを見ていた。

 バッチリ目が合ってしまった。


「「~~~~っ」」


 やっちゃった、という顔で俺たちは真っ赤な顔で頭を抱える。


「ハ、ハルキ君! ごはん、早く! お腹空いたからぁ!」

「は、はい! ただいまーっ!」


 哀川さんにビシッと指を差して命じられ、俺はどたばたとキッチンへ駆け込む。


 もう朝から恥ずかしさのエレクトリック・パレードだった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



次回更新:明日

次話タイトル『第32話 学校の哀川さんも恥ずかしカワイイ』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る