第28話 哀川さんとキスの練習(?)
ゆにちゃんの口を塞いでしまい、
俺は学校を出て、家に帰ってきた。
……哀川さんも一緒に。
で、着替える暇もなく、哀川さんによる『練習』が始まったのだけど……。
「ぜんぜんダメじゃない、ハルキ君。やる気あるの?」
「ぜーぜー、ちょ、ちょっと……休ませて……下さい……」
部屋の真ん中で腕組み状態の哀川さん。
その足元で両手を床につき、息も絶え絶えな俺。
ぱっと見、体育会系の合宿のようだけど、実際はまったく違う。
「こんなことで動揺してるようじゃあ、ゆにちゃんと仲良くなるのなんて、夢のまた夢よ?」
黒髪を耳に掛けながら、哀川さんは呆れ顔。
今、俺は哀川さん発案の『ゆにちゃんと仲良くなる練習』をしている。
いや、しているというか……させられている。
スマートに話しかける練習では、さりげなくパーソナルスペースに入る立ち回りだったり。
ちゃんと空気を作って手を繋ぐ練習では、相手を褒めながら徐々に視線で許可を取ったり。
まあ、とにかくそんな練習をさせられている。
しかし、である。
「もっと肩の力を抜いて。今は失敗したっていいのよ? 練習なんだから」
……無茶を仰る。
練習と言ったって、相手は美人オブ美人の哀川さんだ。
パーソナルスペースなんて至近距離に入ろうとしたら心臓がバクバクしてしまうし、手を繋ごうとしたら軽く指先が震えてしまう。
学校で話した時は熱が入ってたからとっさに哀川さんの手を握れたけど、一旦落ち着いたらもうダメだった。
というわけで俺は体育会系の合宿に強制参加させられた文化系のごとく、疲弊しまくっている。
「……休憩……とにかく休憩を下さい……哀川コーチ……」
「しょうがないわねぇ。じゃあ、30秒休憩」
「短い……! 休憩に人の心がない……っ」
「時間は有限だもの。カップ麺の3分とゆにちゃんの青春は待ってくれないのよ」
そう言って、哀川さんはベッドに腰掛けて足を組む。
……や、カップ麺とゆにちゃんを同列にするのもどうかと思うけども。
そうツッコむ気力もなかったので、とりあえず束の間の休憩を享受すべく、俺は床に座り直した。
で、哀川さんはというと、じっと俺を見下ろしている。
えっと、うん、そんな見られてると、気が休まらないんですが……。
「あー……俺の顔に何かついてる?」
「目と鼻と口」
「そんな古典的な……」
学校の南校舎の階段で話している時から、哀川さんはやたらと俺の顔をじっと見てくる。それがちょっと気になっていた。
うーん……。
端的に言えば、様子が変。具体的には何か思い詰めてるような雰囲気が今の哀川さんにはある。
だが考えている途中で、哀川さんがパンッと手を叩いた。
「はい、休憩終了」
「え、もう!?」
「だって30秒だもの」
くそう、30秒が光の速さ過ぎる。
「ハルキ君、立って」
「はい……」
逆らおうとしても無理なのはもう分かってるので、俺は素直に立ち上がる。
「次はなんの練習?」
俺が尋ねると哀川さんは宝石のような瞳で、まったく表情を変えずに言った。
「キス」
「へ?」
「だからキス」
「いやいやいや……!」
全力で首と手を振る、俺。
しかし哀川さんは譲らない。
「言ったでしょう? キスとかエッチの練習もさせてあげるって」
「いやそれ、俺がその気ならって話だったよね!?」
「大丈夫よ。ハルキ君、男の子だし。どうせその気になるし」
「雑っ! ゆにちゃんとスマートに仲良くなる練習させてるくせに、俺への扱いは雑っ!」
「もー、うるさいわね。ほら、練習だから、練習! 早く練習しなさい!」
哀川さんは両目を閉じると、あごをクイッと上げてきた。
立っている俺、ベッドに座っている哀川さん。
……まつ毛が長い。
モデルように整った顔。雪のように白い肌。唇はほんのり色づいていて、リップクリームを塗っているのが分かった。
いわゆる……キス待ち顔である。
いつもなら心臓が爆発してしまうところだ。
だけどここまで来ると、さすがに違和感の方が大きくなってきた。
……やっぱり変だよな、今日の哀川さん。
キス待ち顔の美人さんから視線を外し、俺は宙を見上げて考える。
何か思い詰めた様子だったからここまで練習に付き合ってきたけど、さすがにキスはやり過ぎだ。キスなんて練習でするもんじゃない。
――よし、やめよう。
俺はパチンッと頭のスイッチを切り替える。
さて、そうなると……。
「ねえ、ハルキ君。まだ……?」
「あー、うん、ちょっと待ってね」
まぶたを閉じたままの哀川さんに返事をしつつ、俺は本棚の方へ向かう。そして天板の上のあるものを手に取った。
「じゃあ、キスするよ、哀川さん」
「――っ。あ、うん。どうぞ……」
声を掛けた途端、彼女の肩が小さく震えた。
……もう。そんなリアクションになるんなら、キスの練習なんて言い出さなきゃいいのに。
で、俺は手のなかのものを哀川さんの顔へ近づける。
「はい、ちゅー」
「――っ!?」
ビクッとする哀川さん。
唇を重ねたまま、動揺したように身じろぎする。
「え、え? なにこれ? 固い……」
「そうだね、固いよね」
「ハルキ君、あたしに何とキスさせてるの!?」
さすがにおかしいと気づいたらしく、体を引いて目を開ける、哀川さん。
その眼前で圧倒的な存在感を示しているのは、サッカーボール大のヒヨコの顔。
「なによ、これぇ!?」
「はい。俺の貯金箱でしたー」
無味乾燥なウチの部屋のなかの唯一の生活感。
ヒヨコの貯金箱である。
クチバシはデフォルメされて丸っこいので、固いけど痛くはなかったと思う。
「バイク買いたくてバイト代を貯めてるんだ。上の階の大学生さん、哀川さんも会ったよね? 俺がここに引っ越してきた時、男の人がバイクの後ろに乗せてくれて、それがすごく楽しくてさ」
ヒヨコを揺らしてジャラジャラと音をさせる。
「だから俺も真似したくて、一年生の時からずっと貯めてるんだ。そろそろいいかなと思って、夏休みに二輪の免許も取ってくるつもり。もう少しで目標額になるから、楽しみなんだよね」
「いや知らないし! なんであたしのファーストキスがヒヨコの貯金箱になっちゃうのよ!?」
「大事なファーストキスを雑に捨てようとするからだよ」
目を見て言うと、哀川さんは急に勢いを失くして「……っ」と押し黙った。
俺は貯金箱を床に置き、彼女と視線を合わせる。
「もしかして、いやもしかしなくても……哀川さん、今、自暴自棄になってるよね?」
「…………」
「原因は……」
今回はたぶんお母さんじゃない。
「……俺、だよね? やっぱり」
「…………」
哀川さんは答えない。
何度も俺の顔を凝視してきたのに、今は一転して目を逸らしている。
俺は出来るだけ口調が柔らかくなるように気をつけながら口を開く。
「話してほしいな。今、哀川さんが思ってること」
「……言いたくない」
「ゆにちゃんとのこと?」
「……だから、言いたくないってば」
哀川さんは拗ねたような表情でつぶやいた。
うん、やっぱりゆにちゃんとのことで正解のようだ。
「哀川さん、俺は……」
「噛みたい」
「へ?」
突然のお言葉に俺は目を丸くする。
哀川さんは拗ねた表情のまま、繰り返す。
「噛みたい。ぜんぶハルキ君のせいだから、ハルキ君のことすごく噛みたい」
「なんか犯行声明みたいなんだけど!?」
「違うわよ。今、ハルキ君を噛んだら気持ちが落ち着く気がするの。だから噛むの」
「や、いやいやいや……っ」
「観念しなさい! ほら早く脱ぐ!」
弾かれるように哀川さんが飛び掛かってきた。
そしてボタンが取れそうな勢いで制服のワイシャツを脱がされてしまう。
「きゃー!!」
女子のような悲鳴を上げてしまった。
しかし哀川さんはまったく容赦してくれない。
「すぐ済むから! 天井のシミでも数えてて!」
「いや新築だからシミなんてないし! っていうか、これ普通、立場逆じゃない!?」
「ハルキ君が普通に襲ってこないからこうなってるの!」
アンダーシャツがずり下ろされ、左肩が露出。
そこに『かぷっ』と甘噛みの感触。
「ひゃう!?」
また女子みたいな声を上げてしまった。
恥ずい。穴があったら入りたい……っ。
………………。
…………。
……。
約10分後。
満足げにツヤツヤになった哀川さん。
床に転がってしくしく泣いている俺。
対称的な2人がそこにいた。
「ふう、なんかスッキリした。やっぱり気分が落ちた時はハルキ君をかぷかぷするのが一番ね」
「うぅ、また変な性癖植え付けられた。もうお婿にいけないかも……」
ヒヨコがなんとも無情なつぶらな瞳で俺たちを見つめている。
それを抱き寄せてさらに泣いていると、ふいに哀川さんがベッドの方で口を開いた。
「あ、そうだ」
それは独り言のようなつぶやきだった。
「カラオケでゆにちゃんに聞いてみろ、って言われてたんだったわ」
なんのことだろう?
と思って顔を上げると、ツヤツヤな哀川さんと目が合った。
そして彼女は言った。
「ハルキ君って、どうして一人暮らしをしてるの?」
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次回更新:明日
次話タイトル『第29話 春木音也の昔の話』
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