第27話 哀川さん、都合のいい女に目覚めてしまう
前略。
お父さん、お母さん。
ゆにちゃんとお話しようと奮闘した結果、なぜか彼女の可愛い口を塞ぐことになり、ジト目の
「……お巡りさん、抵抗はしません」
俺は観念してホールドアップ。
哀川さんは重々しくうなづく。
「よろしい。人質のゆにちゃんはこっちにいらっしゃい」
「哀川せんぱーいっ」
さっきまで
「
「ちょ……っ」
夏恋に言いつけられるのは大惨事だけど、哀川さんに言いつけられるのも、それはそれで問題がある。
俺は慌てて弁解する。
「いじめてない、ない! ただ名前を呼んだだけだからっ」
「いいえ、その他もろもろわたしの策を乱しましたっ。この後、クラスで立て直しにどれだけ苦労すると思ってるんですかっ」
ゆにちゃんは哀川さんの背中に隠れ、可愛らしくあっかんべーをしてくる。
「とにかくっ、春木先輩はしばらく手芸部出禁です。いいですね!」
「そんな……っ。ゆにちゃん、仲直りしよう。ほら、怖くない怖くない」
俺は子犬をなだめるように手を出して近づいていく。
しかしゆにちゃんは哀川さんの後ろから威嚇をしてくる。
「わう~っ」
「怖くない怖くない」
「わ~う~っ」
「ね? ほら、大丈夫だから」
で、壁にされてる哀川さんがため息をついた。
「はいはい、そこまで。とりあえずハルキ君はあたしが事情聴取するから、2人ともちょっと頭を冷やしなさい」
哀川さんことお巡りさんの決定に逆らえる者は、もはやこの場にはいなかった。俺はがっくりと肩を落とし、お巡りさんに連行される。
………………。
…………。
……。
そしてやってきたのは、南校舎の屋上に向かう階段。
以前にも哀川さんに連れて来られた場所だ。
階段の中程に俺と哀川さんは並んで座る。
ゆにちゃんはというと、教室に戻っていった。『上級生に無理めな恋をしている健気キャラ』が今日で崩れてしまったので、立て直しをするらしい。
「それで?」
哀川さんは膝に肘をついて頬杖をし、呆れた視線を向けてくる。
「なーんであんな状況になってたの?」
「あ、あんな状況と言いますと……?」
「誤魔化さないの。ほとんど映画か漫画の小悪党だったわよ、さっきのハルキ君」
「う……。で、ですよねー……」
必死だったとはいえ、今思い出すと頭を抱えたくなってくる。
アイドルみたいなゆにちゃんの口を塞いで、声を出させないようにしてたのだから、それはもう小悪党そのものだったことだろう。
哀川さんはこっちを見ながら、さらに言葉を重ねる。
「こないだのカラオケ辺りからそういう感じよね、ハルキ君。なんかやたらと前のめりになってる感じ。ドリンクバーから帰ってきて、いきなりゆにちゃんのこと名前で呼び始めたし」
「それは……」
まあ、隠すようなことでもないか。
「あの時、ドリンクバーの前で夏恋から電話がきたんだ」
「……ああ、隣のクラスの
「うん。幼馴染なんだ、俺たち」
「それは
なんか食い気味に言われた。
え、そうだっけ?
話してたっけ?
あー……あ、そうか。
哀川さんとゆにちゃんが初対面の時、手芸部の話で幼馴染の夏恋が部長をしてるって話した気がする。
よくそんな細かいことまで覚えてるなぁ、哀川さん。
「それで? 桐崎さんがどうしたの?」
「あ、うん、ちょっとお節介を焼かれそうになって……」
「どういう風に?」
「ゆにちゃんにちゃんと向き合え、って感じかな。で、いざとなったら助けてあげるみたいこと言われて……」
あ、なんか思い出してちょっとイラッときた。
「そんなことされてたまるか、って思って、心に僧兵が宿ったんだ。だから夏恋に口出しされないように、ちゃんと自分で向き合おうってこないだから自分なりに頑張ってる」
哀川さんからの相槌はない。
ただじっと俺の顔を見て聞いている。
「今日のは……ちょっとゆにちゃんと行き違ったというか、名前で呼んでたら夏恋を召喚されそうになって、慌てて口を塞いじゃったんだ、うん」
えーと、この説明で伝わるだろうか。
相変わらず、哀川さんからの相槌はない。
無言で顔を見られ続けて、こっちもちょっと焦ってしまう。
「えっと、反省はしてる。僧兵モードで門を破れると思ってたけど、
合掌で反省を表現。
途端、氷点下の言葉を突きつけられる。
「とりあえずその変な男子ノリやめて」
「あ、はい」
秒で合掌を解除。
なんか哀川さんの視線が怖い。
「はあ……」
ため息をつき、哀川さんは逆の方を向く。
「夏恋、カレン、かれんね……確かに
なんか独り言をつぶやいていたみたいだけど、声が小さすぎてよく聞こえなかった。でも何やらご機嫌がナナメなのは伝わってくる。
「聞いていい?」
「あ、はい」
突然、またこっちを向かれて、背筋が伸びた。
哀川さんは何かを読み取ろうとするように、じっと俺の顔を見つめてくる。
「桐崎さんってどんな人?」
「え、夏恋?」
ゆにちゃんに小悪党してた件を詰められるのかと思っていたので、目を瞬いてしまう。
「どんなって……」
別にこれといったことはない。
お節介だったり、ウザかったり……まあ、あとは行動力がすごいとかその辺かな?
ただ、哀川さんが聞きたいのはそういうことじゃない、っていうのはなんとなく分かる。
「あー……ゆにちゃんは
なんとなくその時のことを思い出しながら、俺は言う。
「『――鳥みたいに遠くまで見通している人。だから怖い。最強の壁』って」
途端、哀川さんの眉が寄った。
「どういう意味?」
「さあ……直前に俺と漫画の話をしてたから、なにかの比喩だったのかも」
最強の壁とかなんかラスボスっぽいし。
まあ、手芸部の部長は夏恋なので、ラスボスでも間違いではないだろうし。
哀川さんは細いあご先に手をやって、思案顔をする。
「最強の壁……壁……ああ、桐崎さんって胸ないの?」
うわ、幼馴染のそういうのは考えたくないなぁ。
ただまあ、服の上からの印象だと……。
「そんなことはないと思うけど……」
たぶん哀川さんと同じくらいはあると思う。
つまりかなり大きい。
なんて考えたら、つい視線がいってしまった。
「どこ見てるの?」
「あっ」
「ハルキ君のエッチ♪」
わざとらしく胸を隠して、責めるような視線を向けてくる。
「ほーんと油断も隙もないわね、キミは」
「やっ、ちがっ、今のは流れでつい……っ」
「つい女子の胸を見ちゃうんだ? へー?」
「~~っ」
俺は二の句が継げなくて頭を抱える。
哀川さんはニヤニヤ顔。
ただ、ちょっとご機嫌は直った様子だった。
「まあ、桐崎さんのことを置いとくとして、ハルキ君はこの先、どうなりたいの?」
「どうって?」
「ゆにちゃんと、どうなりたいの?」
…………。
俺は少し驚いた。
哀川さんの表情が俺の答えを分かっているような様子だったからだ。
細く息をはき、俺は宙を見上げる。
「まだ分からない。俺はずっと先輩後輩の間柄だと思ってたから。そう思い込んで、自分から距離を詰めようとしてこなかったから」
過去の親類のトラウマから、俺は他者と近しくなることに根本的な怯えがある。
でも、そういうのはもうやめにしたい。
前に進まないと、助けに来ようとする幼馴染がいるから。
自分の足でしっかり立って、歩いていかなきゃいけない。
「今はゆにちゃんの気持ちにちゃんと向き合いたい。先のことはまだ分からないけど、彼女のことをちゃんと知ることが、今の俺がすべきことだと思ってる」
「なるほどね」
久しぶりの相槌。
また頬杖をつき、哀川さんは柔らかい声で言う。
「いいんじゃない? あたしはそれでいいと思う」
その頬にはなぜかほのかな笑みが浮かんでいた。
直後、肩をすくめて、冗談めかしたつぶやき。
「まあ、ちょっぴり妬けちゃうけどね?」
まるで他人事のように言われ、俺は目を丸くした。
慌てて前のめりになり、言葉を紡ぐ。
「哀川さんもだよ」
「え?」
「俺、哀川さんともちゃんと向き合いたいと思ってる」
たぶん、さっきゆにちゃんと手を繋いだせいだろう。
反射的に俺は哀川さんの手を握ってしまった。
「ちょ……!? え、なに!?」
「哀川さんも俺に『好きになっちゃうかも』って言ってくれてるよね?」
「え、やっ、そ、そうだけど!」
「その気持ちに向き合いたいと思ってる。俺、本気だから」
熱が入り過ぎてしまったのかもしれない。
本気だから、と言うと同時に、さらにぎゅっと力を込めてしまった。
哀川さんの肩が跳ね、珍しくその頬が赤くなる。
「わ、分かったから! 気軽に女子の手を握らない!」
「え、だめ?」
「だめ!」
「ご、ごめん」
手を離した途端、その手を守るようにサッと逆を向かれてしまった。
……だ、だめなのかぁ。
でもゆにちゃんはよく抱き着いてくるし、哀川さんに至っては胸見せられたり、噛まれたりもしたんだけど、それでも男子から女子の手を簡単に握ってはいけないらしい。
……距離感が難しい。難し過ぎて、そのうち恋愛音痴にでもなっちゃうんじゃないかな、俺……。
そうして戸惑っていると、哀川さんがぼそぼそとつぶやく。
「……自分をモブだと思い込んでる、女たらし予備軍。こういうことだったのね、ゆにちゃん……」
例によって小声過ぎてよく聞こえない。
「まったくもう」
哀川さんは気を取り直すように座り直し、乱れた黒髪を手グシで整える。そしてちょっとむくれた顔でこっちを向いた。
「ハルキ君がどういう人なのか、よく分かりました」
「え、なに? どういうこと?」
「うるさい」
「おわっ」
いきなり手のひらでグイッと顔を押された。
無理やり明後日の方を向かされ、哀川さんの表情が見えなくなる。
そして、ぽつりと。
俺の耳に届くかどうかのつぶやき。
「…………今のキミの言葉だけで、あたしは十分。向き合おうとされたら、きっとあたしは逃げちゃうから」
2人だけの階段に囁きがこぼれる。
「…………あたしはゆにちゃんみたいに強くないから」
突然、手のひらが離れた。
ワケも分からぬまま、俺は彼女の方を向く。
「哀川さん?」
「手伝ってあげる」
「え?」
「だからハルキ君がゆにちゃんと上手くやっていけるように、あたしが手伝ってあげる」
名案でしょ、とばかりに彼女は笑った。
なんだか……泣きだしそうな笑みだった。
「たぶん色んなシチュエーションがあると思うから、あたしを練習台にして試行錯誤してみましょ。スマートに話しかけたりとか、ちゃんと空気を作って手を繋いだりとか」
肩をすくめて小首をかしげ、黒髪がふわりと揺れた。
「あとはそうね、もしハルキ君がその気なら……キスとかエッチの練習もさせてあげる♡」
「ちょ、ちょっと待って」
いくらなんでも話についていけなかった。
「なんでそうなるのさ?」
「なんで、って最初から言ってるじゃない」
屋上に続くドアには小窓がついている。
たぶん外で鳥でも通り過ぎたのだろう。
差し込んでいた光がほんの一瞬、陰った。
その明滅のなかで彼女は鮮やかに微笑む。
「あたしはキミの『都合のいい女』になりたいの」
その笑顔はとても綺麗で、そしてやっぱりどこか泣きそうだった――。
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次回更新:土曜日
次話タイトル『第28話 哀川さんとキスの練習(?)』
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