第25話 俺を好きな子との距離感が掴めない

 7月になった。

 そろそろ陽射しが強くなりだし、学校のなかは夏休みに向けて浮足立ちつつある。


 そんななか、俺は悩んでいる。


 当然、悩みの内容は小桜こざくらさ――否、ゆにちゃんのこと。


「おーう、どうしたん、春木はるき? なんかお悩み中って顔してね? まあ、ここ最近の春木、ずっとそんな感じだけど」


 近藤こんどうが前の席から振り向いてきた。

 今日も変わらず、茶髪でノリの軽い友人である。


 ちなみにここは教室。

 ホームルームが終わって、生徒たちは皆、帰り支度をして立ち上がり始めている。


 喧騒のなか、俺は机で両手を組み、会議の議長のようなポーズで押し黙っていた。

 気さくな近藤が声を掛けてくれるのも当然かもしれない。


「うん、実は近藤……俺、悩みがあるんだ」

「ほん? 春木が? 珍しいじゃんよ。ちなみに何についてよ?」


「女の子」

「なん、だと……?」


 近藤の顔つきが一気に変わった。

 慌ただしく椅子をまたいで完全な後ろ座りの体勢になると、シリアス調でこっちの顔を凝視してくる。


「あの無欲・無趣味な春木僧正そうじょうが女のことで悩んでる、って? そりゃあ……ああ、隣のクラスの桐崎きりさきさんか?」


「いや、夏恋かれんじゃない」


「だったら……あ、たまに部活かなんかで春木のこと迎えにくる、一年生の?」


「ああ、ゆにちゃんのことさ」

「ちゃん、付け!?」


 ゴクリ、と近藤の喉が鳴った。


「は、春木さんや……俺の記憶違いじゃなければ、あんたはあの一年生ちゃんのことを確か苗字で呼んでた気がするんだが……っ」


 俺は深く大きくうなづいた。


「先日から『ちゃん付け』で名前を呼ばせて頂いております」

「なんと……っ!」


 近藤の目が大きく見開かれる。

 そして自分の口元を押さえると、必死に頭の整理をするようにつぶやき始めた。


「いきなり前進してやがる……! いや、でも実はうっすら思ってたんだ。『春木ってば無欲オーラ全開なのに、なんか妙にまわりに美少女多くね?』って!」


 ググッ拳を握り締めて力説する、近藤。


「桐崎さんは我が校の二大美少女のひとり! 一年生ちゃんだってアイドル並みに可愛いから、間違いなく次世代の我が校一の美少女! こんな2人がそばにいて何かが起きないはずもなく……っ。それがついに起きたということか!」


 俺は黙って近藤の言葉を聞いている。

 夏恋のことはともかく、ゆにちゃんに関しては訂正事項はないからだ。


 そんな俺に対して、近藤が身を乗り出してくる。


「して、我が友よ。悩みとは?」

「端的に言う」


 俺は議長ポーズのまま口を開く。


「ゆにちゃんと、ちゃんとお話ししたい」

「ほう……!」


 うなづく、近藤。

 うなづき返す、俺。


 そうなのだ。

 先日、ラウンドワムのカラオケルームで、俺は彼女を『ゆにちゃん』と呼んだ。


 幼馴染の夏恋に『いざとなったら私が助けてあげる』と言われ、そうはなってたまるかと立ち上がった結果である。


 しかしなぜかゆにちゃんに『嫌いです!』と言われてしまい、それ以降、何度も話そうとしているのだが、これがなかなか嚙み合わない。


 学校で話しかけても二言三言で『あ、用事を思い出しました!』とダッシュで逃げられ、RINEでメッセージを送っても返ってくるのはスタンプのみ。


 そんなことがここ数日、ずっと続いている。

 これが俺の悩みである。


「一年生ちゃんとお話したい……か。つまり俺はその相談に乗ればいいんだな?」

「いや」


 俺は静かに首を振る。


「悩んではいる。でも、すべきことはもう見えてる」


 夏恋に助けられるわけにはいかない。

 その強い決意は今もこの胸に息づいている。


 さらにはここ数日のゆにちゃんとのすれ違いを経て、俺の意志はさらに強固なものになった。


 やるぞ。

 やってやるぞ。


 俺は、俺自身の力でこの問題を解決する。

 そのために――。


「これからゆにちゃんの教室にいく。今日は手芸部の活動があるんだ」


 俺はカッと両目を見開く。


「いつも迎えに来られてる分、今日は俺が彼女を迎えに行く!」

「おお……っ」


 近藤の感嘆の声をBGMに、俺は通学鞄を持って颯爽と立ち上がる。


「あの春木僧正そうじょうがいつの間にかこんなにも雄々しく……っ。今のあなた様はツワモノ、漢字で書くと『兵』! つまりは僧兵そうへいになられたのですな……!」


「僧兵か。むべなるかな」


 人には戦わねばならぬ時がある。

 拙僧せっそうにもその時が来たのだろう。

 ならば僧兵の名を冠することにいささかの迷いもない。


 近藤と俺の騒ぎを聞きつけたらしく、まわりの男子たちがわらわらと集まってきた。


「なんだなんだ? また近藤がアホなこと言ってんの?」

「黙らっしゃい! 春木僧兵のご出立ですぞ」


「は? 春木がなに? 出立?」

「あの方はこれから男として旅立たれるのです」


「男として?」

「そう、おそらくは本懐を遂げるために」

「男として本懐を遂げるためか……」


 男子たちは顔を見合わせる。


「じゃあ、応援しなきゃかもな」

「確かに。よく分からんけどなんか春木、キリッとしてるし」

「しゃーない。応援するか」


 近藤と数人の男子たちは拝むように両手を合わせる。


「「「ご武運を」」」

「さもありなん」


 こちらも合掌で僧兵っぽいことを言い、俺は鋭く身をひるがえす。


 半回転した際、窓際の席の哀川あいかわさんが見えた。


 いつもなら教室では俺の方を見向きもしないのに、今日はなぜかこっちを見ていて、頬杖をついて『……何やってんの、ハルキ君?』という顔をしていた。


 構わない。

 すべての人の理解を得られるとは思っていない。


 俺の背には友たちの眼差しがある。

 それだけでいいんだ。


 近藤たちのうろ覚えのお経に背中を押され、俺は教室を旅立った。



 ………………。

 …………。

 ……。



 やってきたのは北校舎。

 ここの1階から2階には1年生の教室がある。


 ゆにちゃんの教室があるのは2階の方だ。

 俺は教室の前側のドアにいき、近くにいた女子生徒に話しかける。


「ちょっといいかな? ゆにちゃ――いや小桜さんを呼んでもらいたいんだ」


 教室内での彼女のことを考えて、ここは苗字に言い換えた。

 

 おそらくは日直なのだろう。教室のゴミ箱を抱えようとしていた女子生徒は、俺を見て首をかしげる。


「失礼ですけど、先輩のお名前は……?」

「2年生の春木って言ってもらえれば分かると思――」


 ――う、と言いかけ、俺は言葉を飲み込んだ。


 2年生の春木。

 そのフレーズを口にした瞬間、教室中が不自然にザワッとざわめいたからだ。


「はるき? おいおい、はるきってあの……っ」

「そうだよ、小桜さんの……っ」

「え、ゆにちゃんが片思いしてるあの『春木先輩』……!?」


 生徒全員の視線が一斉に俺に突き刺さった。


 ああ、そうだった。

 以前の初デートでゆにちゃんが言っていた。


 クラスでの自分のキャラは『部活の先輩に無理めな恋をしてる、一途で健気で可哀想な女の子』だと。


 男子は『小桜さんを応援してやろうぜ!』って燃えていて、女子も『ゆにちゃん、可哀想』って同情していると。


 そして『嘘だと思うなら、一度ウチのクラスに来てみて下さい。みんなが一斉に睨んできますよ』と――ゆにちゃんはそう言っていた。


「もう一度、聞きます」


 女子生徒がゴミ箱を置いて、俺の正面に立った。


「先輩は……春木音也おとや先輩ですか?」

「そうだよ」


 答えた瞬間、後輩たちの視線にギンッと敵意が宿った。


 いや応援するんじゃないのか、男子たち。

 女子たちもそんな『女の敵』みたいな目で見ないでほしい。


 ……いつもの俺なら、そう怯んでいたところだろう。


 しかし今の俺は心に『僧兵』が鎮座している。


 退かぬ、媚びぬ、省みぬ。

 死して屍拾うものなし。

 真っ直ぐに突き進むだけだ。


 俺は右手を天へと突き出し、叫ぶ。


「ゆにちゃん!」


 その右手を教室中央に座っている、彼女の方へ。


「部活にいこう。君を――迎えにきたッ!」


 その瞬間。


 うおおおおおおおおっ!!!

 きゃあああああああっ!!!


 男子と女子の歓声が響き渡った。

 ここに盤面は覆った。

 

 後輩たちが俺を敵視するのは、ゆにちゃんに『無理めな恋をさせている』不埒な男という認識だからだ。


 だったらそれは違うと教えてやればいい。

 事実、俺は彼女と向き合うために来たのだから。


 教室内はもはやお祭り騒ぎである。


「ゆにちゃん、やったね! 良かったね!」

「小桜さんの気持ちが報われたんだ……っ」


「わたしはこうなるって信じてたよ!」

「ちくしょう……っ。悔しいぜ。でもこれで小桜さんが幸せになるんなら……っ」


 男子たちは号泣し、女子たちはすすり泣いている。

 そんななかでゆにちゃんは――顔を真っ赤にして頬をピクピクさせていた。


「な、な、な……」


 彼女は突然、立ち上がって叫ぶ。


「なんってことしてくれるんですか!? 春木先輩のスカポンタン――っ!」


 あれ?

 なんか怒ってる?


 ゆにちゃんはダッシュで俺のとこまで来ると、真っ赤な顔のままグイグイと背中を押して廊下に出そうとする。


 ちなみに後輩たちは「ひゃっほー!」「ヒューヒュー!」とやっぱりお祭り騒ぎ。


 俺を廊下に押し出し、さらに押しに押して教室から遠ざけ、廊下の角を曲がると、ゆにちゃんは子犬のように『わうー!』とツインテールを逆立てた。


「なんで教室にまで来ちゃうんですかー!? わたし、春木先輩が来たらみんなが睨んでくる、って言いましたよね!?」


「ああ、確かに聞いたよ。でも気にしてなかった。今の俺なら覆せるだろうし、事実、覆せた」


「覆されちゃ困るんですー! わたし、可哀想な健気キャラでクラスを裏から牛耳ってるんです! こんな状況になったら色んな策が崩れちゃう……っ!」


「あは、ごめんごめん」

「ぜったいごめんって思ってない!」


 わうわうーっ、とゆにちゃんの勢いは止まらない。


「こないだからわたしが春木先輩のこと避けてるの、分かってますよね!? なのにグイグイ来るし、今日はついに教室まで来ちゃうし! ここ何日か、春木先輩をぜんぜんコントロールできない……っ」


「うん、避けられてるのは分かってるよ? 分かってるけど、たぶん本気で嫌がってはないよね?」


「そうですけど! 正直、ただの好き避けですけど! だからってちょっとは空気を呼んで下さい!」


「いや空気を読むのは一時停止したんだ。それじゃあ前に進めないから」


「停止しないで!? 社会的動物として大切な機能ですよ!? ぶっちゃけ今の春木先輩、『コミュ力おばけ』みたいになってますから! もちろん良くない意味で!」


 ゆにちゃんの言葉はもっともだ。

 俺だって今の自分はらしくないと思う。

 だけど。


「ゆにちゃんともっと話したいんだ」

「……っ」


 ピクッと彼女の肩が跳ねた。

 少し屈んで視線を合わせ、俺は続ける。


「もっとゆにちゃんのことを知りたい」

「な……っ」


「もっとゆにちゃんと向き合いたい」

「ちょ……っ」


「だから俺はゆにちゃんと――」

「な」


 俺の言葉にカットインし、突然、彼女は声を上げた。

 

 ツインテールをフリフリと振り乱して。

 ぴょんぴょん飛び跳ねながら。

 真っ赤な顔で叫ぶ。



「名前連呼するの禁止~~っ!!」



 その声は廊下中に響き渡った。

 窓ガラスの向こうでは、裏庭の池の鯉がびっくりしたように飛び跳ねた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



次回更新:明日

次話タイトル『第26話 ゆにちゃんは恋愛の防御力がゼロ』

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