第24話 ドリンクバーで夏恋から電話がきた

 俺は今、カラオケルームを出て、ドリンクバーに向かっている。

 右手に持っているのは哀川あいかわさんが使っていたコップ。


 ――わたしを名前で呼んで下さい。


 小桜こざくらさんにそう言われ、俺はとっさに動けなくなってしまった。


 空気が凍ったところに哀川さんから突然、『メロンソーダ取ってきて』と言われ、カラオケルームの外に出されて、今に至る。


「……たぶん、気を遣ってくれたんだろうな」


 情けない。

 哀川さんに気を遣わせてしまったこともそうだし、何より小桜さんがきっと今の一件を気にしてしまう。


「年上なんだから、とっさにもっと出来ることがあったはずなのに……」


 ドリンクバーの前までやってきて、改めて考え込んでしまう。


 すると、ポケットでスマホが鳴った。

 反射的に取り出して、思わず呻いてしまった。


「……夏恋かれん?」


 ディスプレイに表示されたのは、幼馴染の名前だった。

 夏恋が電話を掛けてきている。


「よりにもよって……」


 今一番話したくない相手は誰かと聞かれれば、脳内会議の満場一致で夏恋一択である。


「……とりあえずスルーしよう」


 しばらくディスプレイを見ていたら、1分ほどで着信が切れた。


 ホッとしたのも束の間、しかしすぐにメッセージが飛んできた。


 シュポッ、シュポッ、シュポッと連続でメッセージが表示される。


『出なさいよ』

『見てるんでしょ?』

『10秒以内にかけ直さないと、家賃アップするからね』


「く……っ」


 さすがは幼馴染というべきか。

 完全に読まれていた。

 ついでに的確に痛いところを突いてきている。


 家賃を上げられたら堪らない。

 心底をため息をつき、俺は夏恋の名前をタップした。


「『もしもし?』」


 聞き慣れた幼馴染の声がスピーカー越しで耳に届く。


「かけ直したよ。これでいいでしょ? っていうか、家賃を盾にするのは卑怯過ぎない?」


「『私からのありがたい着信に出ない音也おとやが悪いのよ。文句があるなら、私を崇めない自分の貧相な精神性に言いなさい』」


「はいはい」


 上から目線の口調から長くなりそうだと思った。

 こっちも幼馴染なので、それぐらいは分かる。


 俺はドリンクバーから離れ、近くの壁に背中を預ける。


「それで? わざわざ何の用?」

「『決まってるでしょう?』」


 一転して夏恋の声が明るく弾んだ。


「『ゆにとのデートは順調かしら? かしら、かしら? どうなのかしら?』」


 う、うっざいなぁ……っ。

 完全に茶化しに来ている。


 自分のこめかみに青筋が立つのが分かった。


「っていうか、なんで夏恋がそのこと知ってるのさ?」

「『ゆに本人から聞いたのよ』」


「小桜さんから?」

「『そうよ』」


 当たり前のように夏恋は言う。


「『あの子、音也のことを結構、私に相談してくるのよ。たぶん牽制のつもりなんでしょうね。可愛いったらないわ』」


「…………」

「『なるほどね』」


 とっさに言葉を返せないでいると、スマホの向こうで夏恋がうなづいたのが分かった。


「『牽制ってどういうこと? って聞いて来ない辺り、音也もようやくゆにが本気だって気づいたようね』」

「…………はぁ」


 本当、幼馴染のツーカーぶりが嫌になる。


「夏恋はいつから知ってたの?」

「『最初からよ。去年の12月に手芸部に来た時から、あの子の目には覚悟があったもの』」


「……俺は最近まで気づかなかった」

「『でしょうね。私もゆにも分かってるから落ち込まなくていいわよ、このスカポンタン』」


「めっちゃ落ち込ませようとしてくるじゃん……」

「『そりゃあ、三角関係デートなんてやっちゃう悪い男は多少はへこませないと』」


 あー……哀川さんのことも話してるのか、小桜さん。


「『それで? その美雨みうって子とはどうなの?』」


 一瞬、名前で言われて反応が遅れた。

 美雨っていうのは哀川さんのことだ。


 哀川美雨さん。

 それが彼女のフルネームだ。


「夏恋、会ったこともない人のことを呼び捨てにするのは失礼だよ」

「『見かけたことくらいはあるわよ? 音也のクラスにいった時とか』」


「だとしても、だよ」

「『はいはい、じゃあその哀川さんとはどうなの?』」


「どうって……」


 また答えづらい質問だった。


「『ちなみにゆにの寸評は、たぶん面倒くさくて重たい女、だそうよ?』」

「…………」


 面倒くさい女にはならない。

 都合のいい女になりたい。


 哀川さんはそう自称してるのに、見事に真逆の評価だった。


 や、うん、正直なところ、俺も哀川さんがそう評されることについて、心当たりがないではない。


 右肩がうずくし。

 最近、寝不足気味だし。


 しかし世の中には言って良いことと悪いことがある。

 そう思う。思うんだよ、うん。


「……とりあえず、本人には絶対言わないように小桜さんに言っといて」


「『え、なんで? 重たい女とか音也には合ってると思うわよ?』」


「ちょっといいかな?」

「『だめ。長くなりそう』」


「幼馴染が俺をどう見てるかについて、真剣に問い質したいんだけど、まずは――」


「『だめって言ってるでしょーが。こっちも時間ないのよ』」


 そう言う夏恋の声の向こうから、賑やかな喧騒が聞こえてきた。

 オーケストラの音楽のようなものや、紳士淑女っぽい談笑も響いてくる。


「もしかしてバイト中?」

「『そうよ。今日は会長にくっついて、藤崎ふじさきグループのパーティーに連れてきてもらってるの』」


 藤崎グループというのは日本有数の企業体。

 会長というのはウチの高校の生徒会長のことだ。


 我が校の生徒会長は藤崎グループの御令嬢で、夏恋は一年生の頃から可愛がってもらっている。


 というのも夏恋は将来、藤崎グループの外資部門で働きたいらしい。


 もちろん大学に進学して、その後の話になるけれど、今のうちから生徒会長のコネを使って藤崎グループに出入りし、半分インターンのような状態でアルバイトをさせてもらっている。


 正直、高校生のやることじゃない。

 しかも夏恋の家だって十分な資産家だ。


 なのに、そこからさらに実力で上を目指そうとしている。


 こういう向上心や行動力は素直にすごいと思う。

 まあ、本人には口が裂けても言わないけど。


「そんなパーティーの最中に電話してこなくても……」


「『だって、今日の音也、ゆにと哀川さんに挟まれてるんでしょ? 慣れない恋愛オーラに当てられて、そろそろ限界なんじゃないかと思ってね』」


「…………」


 幼馴染のツーカーぶりが……以下略。

 細く息をはき、俺は口を開く。


「たとえば、なんだけどさ」

「『はいはい』」


「夏恋は……俺に彼女とか作れると思う?」

「『まあ、無理でしょ。音也の拗らせぶりって半端じゃないし』」


「容赦がない……」

「『あー、でもゆにならなんとかなるんじゃない?』」


「待って。夏恋、以前まえに俺に『ゆにに手を出したら許さない』って言ったよね?」

「『それは半端な気持ちだったら、ってこと』」


 妙に確信を持った感じで夏恋は言う。


「『だって音也が本気で土下座したら、ゆにって簡単に股開きそうじゃない?』」


「おい、なんて表現するんだ。やめろ。真剣にやめなさい」


「『たぶんあの子、音也が暴走して多少痛くしたって喜んで耐えるわよ。相当尽くすタイプだろうから、付き合ったらやりたい放題よ。やったね、音也きゅん!』」


「だからやめろって言ってるだろ!? 今すぐその薄汚い口を閉じろ、このバカレン!」


「『うーわ、バカレンって言った。その悪口は小学校の学級会でつるし上げて禁止にしたでしょ』」


「ああ、泣くまでつるし上げられたからよく覚えてるよ! 危なく登校拒否になるところだったわ!」


「『あー、やだやだ、大きい声出しちゃって。おかしいな~、春木音也くんなのに春の音が聞こえて来ないなぁ~』」


「そのイジリ方も学級会で禁止にしただろ!?」


「『え、違うわよ? 学級会で私が音也を言い負かして、うやむやになったのよ?』」


「そうだった! 嫌な記憶が蘇る……っ」


 思わず頭を抱えたくなった。

 ついでに廊下で大声を出してるので、通りかかった店員さんにビクッとされた。恥ずかしい……。


「『で、三角関係デートは大丈夫そう?』」

「大丈夫なもんか……」


 ただでさえ悩んでたのに、遠慮なしな幼馴染のおかげで今や頭のなかはグチャグチャだ。


「『えー、頑張りなさいよ』」

「頑張るけどさ……」


「『音也は気にし過ぎなのよ。どうせゆにか哀川さんに距離を詰められて困惑してるんでしょ?』」


 その通りなのでなんとも言えなかった。


「『別に距離を詰めたからって、必ず付き合わなきゃいけないってわけでもないんだいし、とりあえず応えてみなさいよ。っていうか、人に好かれるって普通に嬉しくない?』」


「それは……」


 もちろん嬉しかった。

 小桜さんの気持ちは本当に嬉しいと思えた。


「『とりあえず向き合ってみて、後のことはそれから考えればいいの。安心しなさい。もしもそれで壊れそうになったら、その時は――』」


 ふいにとても柔らかい声で。

 ひどく慈愛に満ちた響きで。

 夏恋は告げた。




「――私が助けてあげるから」




 その言葉を聞いた途端、ガチッと自分の中のスイッチが入ったことに気づいた。


 夏恋の言葉で心底、ホッとした――なんてことはない。


 逆だ。

 苛立ちにも似た感情が沸き起こった。


 子供の頃、俺は一度夏恋に助けられた。

 でももう二度と、この幼馴染に助けられたりはしない。

 そう思って日々、生きている。


 ……ああ、まったく。


 本当に嫌なタイミングで電話を掛けられてしまった。


 助けてあげるなんて言われたら、そうならないようにもう全力で立ち上がるしかないじゃないか。


 確かに俺は小桜さんを名前で呼ぶことに抵抗感があった。


 理由は親戚たち――近しい人間へのトラウマ。

 俺には誰かと距離を縮めることに本能的な怯えがある。


 でももう逃げてはいられない。

 二度と夏恋に助けられるわけにはいかないから。


 しっかり向き合って、その上で壊れずに立ち続けてやる。


 幼馴染への意地が俺に覚悟を決めさせた。

 

「分かったよ」


 短く言って、俺はあごを引く。


「小桜さんに……いや、ゆにちゃんに向き合ってみる」

「『へえ』」


 その一言で幼馴染には伝わったらしい。

 細かいことを問われることはなかった。


「『頑張りなさいよ、男の子』」

「言われなくても頑張るさ」


「『もう大丈夫そうだから、私はパーティーに戻るわ』」


「そっちも頑張れ」

「『言われなくても頑張るわよ』」


 俺は足早に歩き出す。


「『じゃあね、音也。――愛してるわ』」

「うっさい」


 夏恋のいつものからかい文句を聞き流し、通話をぶっち切った。

 ドリンクバーでメロンソーダだけじゃなく、オレンジジュースも調達し、部屋へと戻る。


 小桜さんの名前を呼ぼう。

 オレンジジュースを渡しながら、ゆにちゃんと言おう。


 この先どうなるかは分からないけれど、でも彼女の気持ちが嬉しかったのは本当だ。その思いをちゃんと形にしよう。


 決意を胸に秘め、俺は2人が待つ部屋のドアを開く。



 ………………。

 …………。

 ……。



 その結果。

 ゆにちゃんに『嫌いですーっ!』と叫ばれてしまいました。


 え、なんで?

 本当になんで……っ!?



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



次回更新:土曜日

次話タイトル『第25話 俺を好きな子との距離感が掴めない』

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