第18話 質問、ハルキ君ってモテないの?
さて、夕ご飯が出来上がった。
本日のメニューは麻婆豆腐、ご飯、おみそ汁。
昨日の野菜炒めよりは多少凝ったものに出来たと思う。
「どうぞ、召し上がれ」
「……いただきます」
テーブルにそれぞれの分を並べ、2人で食べ始める。
さっきはベッドに腰掛けてたけど、今回は
麻婆豆腐をれんげで口に運び、おみそ汁をちょっと啜ったところを見計らって聞いてみた。
「お味はどう?」
「……美味しい」
「良かった」
「あと……やっぱり温かい」
何より何より。
さっき生足の誘惑に打ち勝ったおかげで、哀川さんはめっきり大人しくなっていた。
食卓は実に平和だ。
ただ、せっかく食べてもらうなら、もっと時間を掛けて作りたかったなぁ、とも思う。野菜炒めよりはマシだけど、麻婆豆腐の素はレトルトだし、どうせならもっと手作り感がほしい。
「今度から来る時はもう少し前に言ってもらえたら嬉しいな。そしたらカレーとか煮込んでおけるし。そうだ、哀川さん、辛いの平気? 俺、ポトフも挑戦してみたいんだよね」
「……だ」
「だ?」
「だからぁ!」
突然、哀川さんが声を張り上げた。
お箸を持った手をぷるぷる震わせて叫ぶ。
「ハルキ君のパパみ、エグいから! なんであたしの生足をスルーして、普通に料理モードになれるのよ!?」
「あ、辛いと言えば、今日の麻婆豆腐は大丈夫? 一応、そこまで辛くないやつのはずだけど。あと好き嫌いあったら教えてね?」
「聞いてる!? あたしにグイグイ餌付けしようとしてくるし! されるけど! ハルキ君のご飯好きだから餌付けはぜんぜんされるけど! でもなんなの、そのパパみ!?」
俺はズズッとおみそ汁を啜り、冷静に答える。
「やー、だって哀川さん、嬉しそうに食べてくれるし、おかげでこっちも作り甲斐あるし」
「もうーっ」
怒りつつ、それでもちゃんと箸は進んでるところがまた嬉しい。
良きかな良きかな。
食卓は平和が一番だ。
だが俺が完全な優勢を保っていられたのはここまでだった。
「…………」
おみそ汁のお椀を傾けながら、哀川さんがジト目でこっちの様子を窺っている。
「で、さっきの話だけど」
「ん? なんの話?」
コトン、とお椀がテーブルに置かれた。
「ゆにちゃんとのデートの話」
「Oh……」
その話はすでに終わったものと思っていた。
しかし逃がしてはもらえないみたいだ……。
「デートの内容がゆにちゃんのプライバシーに関わるっていうのは良しとしましょう。だったらハルキ君はどうなの?」
「俺?」
「そう。つまり……」
少しの間、哀川さんは言い淀んだ。
しかし意を決したように言葉を続ける。
「ゆにちゃんのこと、どう思ってるの?」
「……」
「たぶんだけど」
反射的に言葉を返せなかった俺をスルーし、哀川さんは言葉を重ねてきた。
「ハルキ君は今までゆにちゃんと距離を保とうとしてたんじゃない? 学校で2人が話してる時、そんな感じだったし。でも今日のデートで何か変わったはず。少なくともゆにちゃんの態度はこれまでと違ったでしょ?」
わずかに目を閉じて、彼女はつぶやく。
「あたしの存在を知って、きっとゆにちゃんはすごく焦っただろうから」
「…………」
確かに今日の
あの手この手の策を巡らし、その結果、俺は……彼女の本気を知った。小桜さんはおそらく意図して俺にそれを分からせた。
彼女は先輩後輩として懐いてくれてるんじゃない。
春色のポーチからそれが如実に伝わってきた。
「俺は……」
自分の心に目を向ける。
ひとりの人が自分に好意を寄せてくれている。
だとしたら俺は――。
「…………」
気づいたら、無意識に唇を噛み締めてしまっていた。
こういうことを考える時、俺には必ず思い出してしまうことがある。
脳裏を駆け巡るのは、かつて掛けられた幾多の言葉。
――
――いいえ、音也君はウチで預かります。音也君もそうしたいわよねえ?
――儂だ。儂の家に来い。金はしっかり管理してやるから。な? な?
……ああ、嫌だ。
吐き気がしてくる。
それらはすべて、好意に基づいた言葉に見せかけられていた。
でも幼い俺にだって簡単に見抜けた。
……あんたたちが欲しいのは俺じゃなく、俺に残された金だろ?
「ハルキ君?」
「……あ」
哀川さんに呼ばれて、我に返った。
「えっと……」
なんの話だっけ?
ああ、そうだ。
俺が小桜さんをどう思ってるか、って話だ。
「俺はさ……」
改めて哀川さんの顔を見る。
取り繕うような言葉を言うことは出来た。
でも嫌な記憶がまだ脳裏にこびりついているせいだろうか。
ありのままの本音がぽつりとこぼれ落ちた。
「……正直、少し嬉しかったかもしれない。誰かから真っ直ぐに好意を向けてもらえることなんて、ここ数年の俺にはほとんどなかったから」
実際、俺は小桜さんの気持ちが嬉しかったんだと思う。
子供の頃、周囲には好意に見せかけた欲望が溢れていて、それが当たり前みたいな環境だったから、小桜さんの純粋な好意はとても嬉しかった。
他者からの好意は自己の肯定に繋がる。
小桜さんのおかげで俺は今日、ひとりの人間としての『春木音也』が少し認めてもらえたような気持ちになれたのかもしれない。それで少し舞い上がっていたという自覚もある。
「――あ」
ふいに気づいた。
哀川さんも俺に『好きになっちゃうかも』と言ってくれている。
そんな哀川さんに対して、『真っ直ぐ好意を向けてもらえるのが数年ぶり』みたいな発言は失礼極まりない。
や、自分でもなんで哀川さんのことが頭から抜け落ちてたのかはわからないけど、でもとにかく謝らないと……っ。
「えと、ごめんっ。今のは違くて、なんていうかその……っ。」
俺が焦っている一方、哀川さんは――なぜかパチパチと目を瞬き、首をかしげる。
そしてびっくりするぐらいの軽さで言った。
「ハルキ君ってモテないの?」
「はい?」
なんか予想外の角度だった!
「だって、好意を向けられたことがないんでしょ? あたしも一応、好きになっちゃう『かも』なわけだし、女子から言い寄られたことがぜんぜんないってことよね?」
「や、うん、そういう意味じゃないんだけど……ああでもそういうことでもあるのかな……?」
「なるほどねー」
哀川さんは思案するように宙を見る。
が、すぐにこっちを向いた。
「本当にモテないの?」
「逆に聞くけど、モテるように見える?」
「見えない」
「即答されたー!?」
さすがにちょっとショックな、俺。
あははっ、と腹が立つくらい気軽に笑う、哀川さん。
「だってハルキ君、教室だとぜんぜん目立たないし、あたしも昨日までほぼほぼ印象に残ってなかったくらいだし」
「それはそうだろうけどさ……っ」
「ま、そこが良いところでもあるんだけどね」
「え? どういうこと?」
「キミの良いところを知ってるのはあたしだけ、ってこと♡」
「……っ」
イタズラっぽい笑みで言われ、言葉に詰まってしまった。
哀川さんはこういうことを普通に言ってくるから困る。
「でも」
ふっと哀川さんの顔から笑みが消えた。
代わりに浮かんだのは、どこか物憂げな表情。
「たぶん、ゆにちゃんはあたしと同じものを見てるのよね。あの子はハルキ君の良いところを知ってる。だから実際はハルキ君の良さを知ってるのはあたしだけじゃない……」
小さなため息。
「それにゆにちゃん曰く、これまでにハルキ君のこと好きになった子が結構いたらしいじゃない? その辺はどうなの、女たらし予備軍さん?」
茶化すように言われ、俺は頭をかく。
「あれは……小桜さんの勘違いだよ。少なくとも俺は心当たりがぜんぜんない」
「へー……でも、ゆにちゃんの気持ちにも今日までぜんぜん気づいてなかったんでしょ?」
「う。そ、それは……」
……まあ、そうなんですが。
「ふーん……」
じぃーっと探るような眼差し。
「えーと、哀川さん?」
「あたしとしては……ゆにちゃんの言葉の方が説得力があるわね」
「えっ」
「たぶんハルキ君が気づいてないだけで、今まで色んな女たちがキミに気づかれずに無残に散っていったのよ」
「いやいやいや」
ありえない、ありえない。
哀川さんの考えすぎだよ。
しかし俺がそう言うより早く、
「なんか、ちょっと淋しくなってきた……」
ちょ、哀川さんの目のハイライトが消えていく!
「キミの良いところ知ってるの、あたしだけじゃないんだ……」
「え、待って。なんでそんなに気分が急転直下してるの!?」
「なんか欲しい……かも。あたしだけの何か……」
前髪の下、哀川さんは落ち込んだように視線を落とす。
するとテーブルの上の料理を見て、何かに気づいたようにまた顔を上げた。
「あの、さ……ハルキ君」
あ、ハイライトがちょっと戻ってる。
一瞬、ホッとした俺だが、哀川さんの続く言葉に戦慄した。
箸を置いてモジモジと指を合わせると、
「ちょっとハルキ君のこと……」
彼女は言う。
頬を赤らめて恥ずかしそうに。
「……噛んでみていい?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
数秒考えても、何が何だか分からなかった。
え? はい?
ど、どういうことなのさ……!?
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次は土曜日に更新します。
次回は『第19話 哀川さんは甘噛みしたい。え、あまがみ!?』です。
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