第7話 教室の哀川さんが美人すぎる

 哀川あいかわさんを見送った後、俺も登校し、学校に着いた。


 ホームルーム前の騒がしい教室で、廊下側一番後ろの自分の席に座り、一息つく。


「はあ……」


 すると前の席の近藤こんどうが振り向いてきた。

 茶髪でノリの軽い友人だ。


「おっす、春木はるき

「おはよ、近藤」


「なんか朝からやつれてね? 寝不足か?」

「あー……まあ、そんなとこ」


「無趣味&無欲で修行中の坊さんみてえな春木が珍しいじゃんよ。なんかあったん?」

「いやお坊さんって……人をなんだと思ってんのさ?」


「だってソシャゲや漫画で完徹ってガラでもないだろ、春木ってば」

「そりゃそうだけど、俺だって別に無欲ってわけじゃないよ」


 昨夜ゆうべ、哀川さんの、その……ジャージの下を見て狼狽してしまった手前、お坊さん扱いを甘んじて受けることは出来なかった。


 机に置いた通学鞄に突っ伏して嘆息すると、近藤が「ほー」とからかうように頬をつり上げる。


「なるほどなるほど、無欲じゃない、ねえ。じゃあ寝不足の原因はズバリ、女か?」

「…………」


「え?」

「あ、いや」


 寝不足のせいか、それとも思わず哀川さんを連想してしまったせいか、返事のタイミングが一瞬遅れた。


 適当に誤魔化しておけば済んだことなのに、近藤が勢いよく身を乗り出してくる。


「は? マジで? ほんとに? 春木、カノジョできたん!? 昨晩はお楽しみだったん!?」


 近藤の声が大きかったせいで、教室中の視線が集まってしまった。

 俺は慌てて声を張り上げる。


「違う違う! できてないし、お楽しみでもないから!」


 近藤が「なーんだ」と肩を撫で下ろし、クラスメートたちも『なんだ、近藤がまた騒いでるだけか』という顔で興味を失くしてくれた。


 まったく、人騒がせにも程がある。


「昨夜、ちょっとカップ麺を食べたくなって夜にコンビニに行って、それから寝つけなかっただけだよ」


 まあ、帰り道の公園で家出中の美少女に会って色々あって、寝つけなかったのはそのせいなのだけど、それは言わなくてもいいことだろう。


「ああ、そゆことか。夜中にコンビニ行っても親がなんも言わないのはいいなぁ」

「ウチは放任主義だから」


 俺が一人暮らしをしていることは、クラスメートたちには言っていない。生徒で知っているのは隣のクラスにいる、幼馴染の夏恋かれんぐらいだ。


「そういや一限なんだっけか?」

「英語だよ。あ、確か近藤、今日当たる順番じゃなかった?」


「うげ、そうだわ。やっべ、なんも予習してねえ……っ」

「ご愁傷様」


 ささやかな意趣返しでお坊さんのように手を合わせてやると、近藤は慌てて前を向いて教科書を開き始めた。


 さて……。


 正直なことを言えば、近藤が雑に絡んできてくれて助かった。大声でおかしなことを言われたのは冷や汗ものだったけど、気持ちにワンクッションを置けて良かったと思う。


 俺は小さく深呼吸をする。

 そしてさりげなく、本当にさりげなくチラリと視線を向けた。


 ここは教室の廊下側。

 見たいのは、逆の窓側の方。


 そこに――哀川さんの席がある。


「……あれ?」


 しかし俺はすぐに目を瞬いた。

 

 いない……?


 もうホームルームが始まる時間なのに、哀川さんは自分の席にいなかった。俺より早く部屋を出たから、すでに教室にいるものだと思ってた。


 しかし見渡してもどこにも彼女の姿はない。


 部屋を出る時、哀川さんは一旦家に戻ると言っていた。


 まさか帰った先で母親と何かあったとか……?


「はーい、ホームルームを始めますよ。皆さん、席について下さい」


 心配しているうちに先生が教室に入ってきてしまった。

 40代のおっとりした女性教師は、点呼をして名簿に印をつけていく。


 哀川さんは出席番号1番なので早々に名前を呼ばれたが、どうやら欠席の連絡は来ていないようだった。先生は少し首をかしげただけで、他の生徒の点呼を続けていく。


 やっぱり何かあったんじゃ……。


 と、その時だった。

 突然、教室の前の扉がガラリと開いた。


「すみません、遅れました」


 哀川さんだった。

 さっきの近藤の時のように、教室の視線が一斉に集まる。しかしさっきと違ったのは、俺を含めた全員が驚いて固まってしまったこと。


 ――いつもの五割増しで、きれいだった。


 まずお化粧をしている。

 あくまでナチュラルメイクだけど、アイラインで目の美しさが増し、リップで唇に自然なツヤ感が出ていた。


 次に昨夜は着てなかったブレザーを身に着けている。でも袖だけを通し、肩は出しているスタイルで、その気だるげな着こなしが哀川さんの雰囲気に合っていた。


 そして指先にはピンク色のネイルをしている。

 きらきらしたラメが入っていて、全体的に気だるげな印象のなかで、これがワンポイントのアクセントになっていた。


 率直に言って、美人すぎる。

 メイクをしている生徒はちらほらいるけど、哀川さんほど化粧映えする人はもちろんいない。


 男女問わず、誰もが見惚れてしまっていた。

 そのなかで先生がようやく我に返って口を開く。


「あ、哀川さん? ええと、遅刻なんて珍しいわね。体調が悪いなら無理しなくていいのよ?」

「大丈夫です」


 短く答え、哀川さんは自分の席へと歩きだす。


「メイクしてて遅れただけですから」


 無表情で言い、教室中の視線などまったく意に介さず、当たり前のように席に着く。メイクで遅刻した、なんて普通は先生に言えないものだけど、気にしている様子はない。


 ……ああ、そうだった。

 教室での哀川さんはこういう人だった。


 昨夜はよく笑い、よくからかってきて、とても距離感の近い人のように思えたけど、そもそもこれがいつもの哀川さんである。


 すごくきれいなのに、いつも無表情で。

 先生を含めた誰にも物怖じせず。

 ほとんど誰ともつるまない。


 孤高な黒猫のような人だった。


 なんだか昨夜のことが全部夢だったように思えてしまう。


「じゃ、じゃあホームルームを始めましょうか」


 まだ皆が戸惑っているなか、先生がそう言い、どうにか教室内は通常運転に戻っていく。


 やがてホームルームが終わって先生が出ていくと、俺は勇気を振り絞って席を立った。そのまま窓側の哀川さんの席へ。


「えーと……」


 メイクで遅刻した、ってことだったけど、やっぱりまだ心配はぬぐいきれてなかった。なので思いきって話しかける。


「お、おはよう。哀川さん」

「…………」


 フル無視だった!


「あの、哀川さん……?」

「…………」


 二度目の呼びかけにも応えてはもらえない。

 チラッとこっちを見たけれど、彼女は興味なさそうに窓の方を向いてしまう。


 う、うそん……。


 部屋を出る時、なんか告白っぽいものもされた気がしたんだけど……あ、あれ? ぜんぶ俺の夢だった……?


 呆然としながら席に戻ると、近藤にものすごく可哀想な目で見られた。


「いやいやいや何してんのよ、春木僧正そうじょう。いくら無欲な御坊様とて、あの哀川美雨みうに話しかけんのは無謀すぎるぜ。今まで何人のイケメンたちがフル無視されて撃沈してきたと思ってんのよ」


「いや、うん、でもなんていうか、ええと……」


「まあ、春木ってばお人好しだから、遅刻してきた哀川を心配したんだろうけど、ほっとけほっとけ。ああいう超ド級の美人は俺たちとは別の世界の住人だよ」


「ん……」


 曖昧ながらも、うなづくしかなかった。

 ひょっとしたら家に帰って落ち着いて、哀川さんも目が覚めたのかもしれない。


 そもそも俺みたいなモブ生徒と関わるような人ではなかったし、昨日からの一連のことは夢だと思って忘れるべきなのかも……。


 ――と思っていたら。


 放課後。

 一人で廊下を歩いている時に突然、横の通路から腕を引っ張られた。


「ハルキ君っ!」


 弾んだ声で俺を引き寄せたのは、哀川さん。

 教室の時とは比べものにならないような、楽しそうな笑顔だった。


 それだけで胸がドクンッと高鳴ってしまった。


「こっち! こっち来て!」

「え、ちょ、哀川さん!? どこ行くのさ……!?」


 グイグイと引っ張られるまま、俺は連れていかれてしまう。


 な、なんだ?

 どういうこと……!?

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