第8話 恋愛観がおかしいのにアプローチは強火な哀川さん

 哀川あいかわさんに腕を引っ張られて連れて来られたのは、南校舎の階段。

 

 その屋上に続く、踊り場だった。


 南校舎のこの辺りは音楽室や家庭科室があるところなので、放課後になるとほぼほぼ生徒はやってこない。来る時も人通りの少ないところを駆けてきたので、誰ともすれ違わなかった。


「どう? ここなら人目もないし、なかなかの穴場でしょ?」


 なぜかドヤ顔をして、哀川さんは階段に座り込む。

 ここまで半ば走ってきたので、顔が紅潮していて、微妙に色っぽい。


 一方、俺は混乱の極みである。


「いや穴場って……そもそもなんで俺、連れて来られたの?」

「? ただハルキ君としゃべりたかったから連れてきたんだけど?」


「え、俺と?」

「他に誰がいるの?」


 や、うん……確かにここには哀川さんと俺しかいないけれども。


「でも朝、話しかけた時……わたくし、スルーされたのですが」


 思わず敬語になってしまった。

 しかし哀川さんは手櫛で髪を整えながら事も無げに言う。


「それは当然じゃない。ハルキ君、教室でいきなり話しかけてくるんだもの。あんなの聞こえないフリするしかないし」

「はあ……」


 言われた意味が分からず、生返事になってしまった。


 えーと、どういうことだろう……あ、公衆の面前で俺みたいなモブ生徒と話してたら、学校一の美少女の哀川さんの株が下がるとか、そういうことかな?


「あたしみたいな女と仲が良いって思われて、クラスでハルキ君の株が下がったら申し訳ないじゃない」

「あー……」


 ……そうだった。この人、びっくりするぐらい美人なのに、びっくりすぐらい自己肯定感が低い人だった。


 朝にフル無視された謎が解けた。

 どうやら俺のためだったらしい。


 なんだか脱力してしまい、俺は哀川さんの横に座り込む。


「俺はてっきり哀川さんに切られたのかと思ったよ……」

「斬られた? あたし、たぶん浮気されても包丁とか出すタイプじゃないけど?」


「たとえが生々しい……。じゃなくて、関係を断ち切られたと思ったって話」

「え、なんでそんなこと思うの?」


「や、なんか状況的に……」

「そんなことするわけないじゃない。だって……」


 哀川さんは少し言い淀んだ。

 黒髪を耳にかき上げると、目を逸らして少し恥ずかしそうに言う。


「……だって朝、あんなこと言ったばかりなのに」


 反射的に「……っ」と息を飲んでしまった。

 朝に言われたこと。

 それは当然、脳裏に焼き付いている。


 あたし、キミのこと好きになっちゃうかも♪

 

 あんなことを言っておいて関係を切るわけない、というのも……なるほど、哀川さん視点で考えると分からない話ではなかった。


「もしかして、ハルキ君って意外に自己肯定感低い人?」

「万感の思いで言うけど、哀川さんに言われたくないです」


「……?」

「ちょ、なんで『よく分からない』って顔してるの!?」


 まさか自覚がない!?

 と戦慄しつつ、俺は続ける。


「ええと、哀川さんさえ良ければ、俺、別に教室で話してもらっていいんだけど」

「それはダメだってば」


 きっぱりと言い切られてしまった。


「これも朝に言ったでしょ? あたし、面倒くさい女になる気はないの」


 確かに言われた。『好きになっちゃうかも』という告白めいた言葉の後に、『でも安心して。あたし、面倒くさい女にはならないから』と。


 そういえば、あれもどういう意味だったんだろう?


「あたしが人目も気にせず関わってたら、いつかハルキ君にとって不都合なことになるかもしれない。そういうのはしたくないの」


「俺にとって不都合なことになるかも? それって一体……?」


「最初から隠しておけば、いつかハルキ君があたしを切りたくなった時、まわりから『そんな可哀想なことするな』とか言われずに済むでしょ?」

「…………」


 う、うーん……なんか独特な思考回路だなぁ。

 

 彼女は俺に対して『好きになるかも』と言ってくれている。でも同時に俺が関係を切りやすいように配慮してくれている。


 たぶん自己肯定感の低さが成せる技だろう。

 これはもう変に遠慮していても埒が明かない気がする。


「率直に申し上げます」


 腹を決めて、彼女に向き直った。


「哀川さんの恋愛観はちょっと変だと思う」

「あ、やっぱり?」


 困ったような顔で苦笑されてしまった。


「自分でも多少自覚はあるの。あたし、ズレてるかもなぁ、って」


 哀川さんは右足を伸ばしたままで身じろぎし、左ひざを持ち上げて抱え込む。


 片足を抱えた座り方。

 公園や俺の部屋でもやっていた、自分の心を守る時の癖。


 それでも話そうとしてくれている。


「経験はないけど……たぶんあたし、まっとうに愛情を示したり、まっとうに愛情を受け取る才能はないんだろうなぁ、って確信があるの。……たぶん、家族っていう一番身近な存在からそういうものをもらえなかったからかな」


 哀川さんの目はぼんやりと階段の空中を見ている。

 きっと過去を見ているのだろう。


「だから彼氏みたいな人が出来たとしても、関係が近くなればなるほど、きっとあたしは上手くいかなくなっていく。そんな予感があるの。だったら……」


「最初から離れられる距離感にしておきたい?」

「ハルキ君、こういう話の時、妙に理解が早くて助かるかも」


 いやまあ、俺も昔色々あったから。

 胸の内だけでそう答え、少し考え込む。


 これは難儀だなぁ……。


 なまじ中途半端に気持ちが分かるので、掛ける言葉が難しい。


 たとえば教室で近藤こんどうの言っていた、これまで哀川さんにアプローチしてきたイケメンたちがこの場にいたとする。


 彼らが今の話を聞いたなら、『俺と哀川さんなら大丈夫だよ!』と希望に溢れたセリフを言ったかもしれない。


 でもそれは彼女にとって救いにならない。


 愛されたことのない者にとって、絵空事の希望は猛毒だ。そんなもの、哀川さんは欲しはしないだろう。


 ……うん、仕方ない。ここは一つ、少しでも哀川さんを元気づけられるように頑張ってみよう。


 正直、キモい奴って思われないか、ドキドキだけど……。


「ええと、哀川さんはもっと自信を持っていいと思う」

「自信?」

「そう、自信。だってその、哀川さんは……」


 言い淀みそうになる自分を叱咤し、どうにか言葉を続ける。


「……すごく美人だし、きれいだから」


 言い切れた。

 やった、自分を褒めてあげたい!


 けれど、こっちの背一杯の賛辞に対し、哀川さんは目をパチクリと瞬いた。そして事も無げに言う。


「知ってるけど?」

「えっ」


「毎日、鏡を見てれば、自分の顔立ちがどれくらいのレベルかは分かるでしょ?」

「ええー」


「まあ、ルックス的にはかなりのものよね、あたし。ちょっとしたモデル程度なら大した努力もなくなれるんじゃないかしら」

「あー……」


 異論はない。

 まったくない。


 哀川さんならモデルでもアイドルでも女優でも、見た目が資本のものならなんにだってなれると思う。しかし……。


「そこに関しては自信満々なんだ……」

「自信満々というか、単なる事実よね」

「こンの人は……」


 頭を抱えたくなった。

 控えめに言って、心のバランスがメチャクチャである。

 

 いやまあ、哀川さんが抱えている問題は内面のことだから、外見は関係ないっていうのは分かるけど……。


「あ、もしかして元気づけようとしてくれてた?」

「……上手くはいかなかったけどね。また別の案を考えておくよ」


「別にあたしだって容姿を褒められたら嬉しいけど?」

「いや、ぜんぜん喜んでなかったよね?」


「普段のあたしを褒められても、まあそうよね、って感じだけど……でも今日はちょっと違うし」

「え?」


 今日はちょっと違う。


 その言葉通り、今日の哀川さんはメイクをしているし、ブレザーは肩出しだし、ラメ入りのネイルもしている。


 伸ばしていた右足を引っ込めて、哀川さんは階段で体育座りの格好になった。膝に頬を乗せ、ナナメ下から上目遣いで見つめてくる。


「一応、アピールのために気合い入れてきたんだけどなぁ」

「へっ!?」


 一瞬、耳を疑った。

 それはつまり今日の格好は俺に見せるためにしてきたってこと?


 哀川さんは可愛らしく小首をかしげる。


「どう?」

「え、あっ、その……っ」


 口が上手く回らない。

 困った。


 もちろんメチャクチャ似合ってる。

 でも、緊張してちゃんと言葉にならない。


 元気づけるようと思った時はちゃんと褒めることが出来たのに、こうなると動揺してしまうばかりだった。


 だけど、哀川さんは俺の態度だけですべて察したらしい。


「ふふ、悪くない評価みたいね?」


 イタズラ猫のように頬を緩ませ、ご満悦だった。

 そして上目遣いのまま、ゆっくりと手を伸ばしてくる。


「あのね、ハルキ君」


 俺の名前を呼ぶ時、彼女の声は弾んでいて、『春木』という苗字なのにどこか名前を呼ぶような響きになる。


 動揺し過ぎて、現実逃避のように今さらそんなことを思った。


「あたし、優しい人には幸せになってほしいの。優しい人には、あたしみたいな女とは付き合ってほしくない」


 細い指が近づいてくる。


「たぶん、あたしは一瞬だけ優しい人の役に立てれば満足なんだ。つまり……都合のいい女になりたいの」


 南校舎の階段の踊り場。

 いつの間にか夕方になっていたらしく、窓からは夕焼けの陽射しが差し込んでいた。


 部活をしている生徒たちの喧騒がどこか遠く聞こえる。

 2人だけの世界のような空気のなか、彼女は甘く囁く。


「だからね」


 夕焼けに照らされている、柔らかな微笑み。


「あたしはキミのこと好きになっちゃうかもしれないけど――」


 細い指先がさらに近づいて。

 ピンク色のネイルが眩しくて。

 きらきらしたラメが夕日に輝いて。




「――キミはあたしのこと、好きになっちゃダメだぞ♡」




 つんっと鼻先をつつかれた。

 俺は「――っ!?」と息を飲み、自分の顔が一気に熱くなるのを感じた。


 ……や、無理だから!

 こんなの好きになっちゃうから……っ!


 俺は声にならない悲鳴を上げ、哀川さんはそんな俺を見て、クスクスと楽しそうに笑っていた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

時間が取れたので明日また更新します。

次回は『第9話 新ヒロインが現れたら哀川さんは……』です。

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