第3話 お泊りなので、哀川さんに服を貸そう
「まあ、よくある話だと思うんだけど……」
ご飯を食べ終えると、
「……ウチの父親は昔から女にだらしないタイプだったみたい。そこにまんまと引っ掛かったのがウチの母親だったんでしょうね」
口調はどこか他人事のようだった。
そうやって自分から切り離さないと、まだ話せないことなのだろう。
「父親が女を作って出ていったのは、わたしが小学生の頃だったかな? 最初の頃の母親はまともよりだったんだけど、そこからはだんだん変わっていっちゃった」
哀川さんの目はどこも見ていない。
部屋の空中にぼんやりと視線を向けていて、たぶん過去を見ているんだろう。
「まるで出でいった父親に復讐するみたいに自分も男を取っ変え引っかえして……化粧は濃くなって香水臭くなって、年中、盛りの付いたメス猿みたい……どうかしてるでしょ?」
問いかけに対して、返事はしなかった。
哀川さんの母親のためというより、哀川さんのために。
「あたしの目には触れさせないようにしてるみたいだけどね……でも家に知らない男の気配があったら分かるっての。あたしもずっと見ないフリしてたけど、でもだんだん我慢できなくなって、それで今日は……」
「家出してきちゃったんだ?」
「そんな大層なものじゃないって。何も言わず普通に玄関から出てきただけ」
それを家出というと思うのだけども、哀川さんのなかでは違うらしい。
「あたしがいなくなっても、あの人は気づかないしね。男と仲良くするのに忙しいんでしょ」
哀川さんはテーブルに置いてあるスマホに目をやる。
確かにさっきから着信やメッセージが来ている様子はない。
娘が夜中まで帰らなかったら、普通は親から矢のように連絡が来そうなものだけど、ひょっとしたら哀川さんの言う通り、母親は娘の家出に気づいてないのかもしれない。
哀川さんがやたらと自暴自棄な理由が分かった気がする。
あとなぜ夜中の公園にいたのか、という事情もこれで理解できた。
「とりあえず、今日はウチでゆっくりしていって。明日のことはまた明日考えよう」
「ありがと」
人に話して多少はスッキリしたのか、哀川さんの肩から力が抜ける。
「……ハルキ君って、良い人ね。教室じゃ、目立たない人だと思ってたけど」
「いや目立たない人どころか、公園で会った時、俺のこと分かってなかったよね? 普通に記憶の片隅にも残ってなかったよね?」
「あは、それはほら、あんなところでクラスメートに会うと思ってなかったから」
「それは全力でこっちのセリフだよ……」
「あ、教室のハルキ君のことで一個思い出した」
「なに?」
「隣のクラスの……
「ああ、
桐崎夏恋。
哀川さんが学校一の美少女なら、夏恋は学校一の有名人といったところだろうか。
確かに夏恋は派手だし、圧が強い。
本人に言ったら目を三角にして怒るだろうけど。
「名前で呼んでるんだ?」
「え?」
「付き合ってるの?」
探るような視線を向けられ、俺は慌てて手を振る。
「ないない! 確かに仲は良いけど、夏恋は昔からの知り合いだからだよ。幼馴染ってやつ」
「ふーん。ほんとに?」
「本当だってば」
「そ。なら良かった」
「へ?」
「カノジョがいるなら、あたし、すぐにここを出ていかなきゃ申し訳ないし」
「ああ、そういう意味……」
びっくりした。
正直、一瞬、ヤキモチとかそういう話かと思った。
「ん? ハルキ君、何か勘違いしそうになってた?」
「な、なってない! なってない!」
「そ」
哀川さんは楽しそうに笑う。
か、からかわれてる……。
くそう、なんか悔しいな。
ちょっと肩を落としつつ、とりあえず俺は話を変えることにした。
「まあ、夏恋のことは置いといて」
とりあえず哀川さんの事情は分かった。
結構、プライベートなところまで聞かせてもらってしまったと思う。
なので、俺の話もした方がいいだろうか。
たとえばなんで高校生なのに一人暮らしをしているのか、とか。
込み入った事情を聞いてしまったので、こっちもお返しをしなければいけないような気がしないでもない。
まあ、聞かされて楽しい話でもないと思うので、迷うところではあるけれど。
しかし俺が言葉を続けるより早く、哀川さんの方が口を開いた。
「ああ、もう結構な時間ね」
視線につられて哀川さんのスマホを見ると、すでに深夜の2時近かった。
俺たちは明日も学校がある。
もう寝ないと、さすがにキツい時間だった。
……ん? 寝る?
ここは一人暮らしの男の部屋。
当然、ベッドは一つしかない。
頭の中で状況を整理した途端、動悸が激しくなってきた。
くっ、鎮まれ! 俺の心臓……!
また哀川さんにからかわれるぞ……!?
「んー?」
案の定、哀川さんがニヤニヤし始めた。
艶やかな黒髪を耳にかけ、ピアスやイヤーカフを反射できらきらと輝かせながら、テーブルに身を乗り出して俺の顔を覗き込んでくる。
「ハルキ君、なーんか意識しちゃってる?」
「し、してない! してないから!」
「ふふ、可愛い」
上目遣いで微笑まれた。
ドクンッ、と心臓が高鳴った。
マズい!
好きになってしまいそうだ……!
俺は熱くなった顔を背け、必死に視線から逃げる。
すると哀川さんは余裕の笑みを浮かべたまま立ち上がった。
「ハルキ君をからかうのはこれくらいにして……なにか着るもの貸してくれる?」
「え!? 着るものって……え!?」
「だからパジャマ代わりのもの。ジャージでもなんでもいいから。さすがにこの格好で寝たらシワになっちゃうし」
哀川さんは制服のシャツを軽く引っ張ってみせる。
おかげでさらに顔が熱くなりそうになった。
今まであえて意識しないようにしてきたけど、哀川さんは格好がギャルっぽい。つまり気だるげなネクタイの向こうは胸元が結構開いている。
おかげでシャツを引っ張った拍子に白い谷間が見えそうになっていた。
「き、着るものね! オッケー、ちょっと待ってて!」
邪念を振り切るために俺も勢いよく立ち上がった。
出来るだけ哀川さんの方を見ないようにし、部屋のクローゼットを開ける。
その背中越しにさらに声が響いた。
「あ、なんでもいいけど、ちょっと厚手のものだと助かるかも。寝る時、下着つけたくないから」
「――っ!?」
え?
なに?
今、ナンテ申されマシタか?
ちょっともう脳が情報を処理しきれない。
俺は全自動で学校指定のジャージを取り出し、哀川さんの方を見ないまま差し出す。
「ありがと」
ついでに予備のジャージも取り出し、さらに差し出す。
「え? もう一着?」
さらには私服のジャケットも取り出し、さらにさらに渡そうとしたところで盛大に笑われた。
「一着でいいってば。ジャージだったら透けないし」
な、なにが透けナイんでしょーか!?
もうこっちはいっぱいいっぱいだ。
からかうにしても程があると思う。
や、哀川さん的にはからかってるつもりはないのかもしれないけれど。
「じゃあ、悪いけどシャワー借りるね?」
「……ハイ、ドウゾ」
固い声でどうにか答えた。
うん、まあ、そうだよね、女子はシャワーも浴びずに寝たくはないだろうしね。
クローゼットの方を向いたまま、俺はもう動けない。
そんな俺の耳元に突然、囁き声。
「――
ビクッと肩が跳ねてしまった。
からかうにしてもさすがにやり過ぎだ。
俺は反射的に振り返る。
「いやいや哀川さ――」
そして言葉を飲み込んだ。
俺のジャージを抱き締めた立ち姿が。
揺れる黒髪の下の瞳が。
緊張に満ちた、真剣なものだったから。
「男の人の部屋に泊めてもらうんだもん。それくらいの覚悟はしてきたから……」
それだけ言って、哀川さんは駆け込むようにキッチン向かいの浴室へ入っていった。
え?
いや、え?
思考回路がショートし、俺は呆然と立ち尽くす。
程なくして浴室からシャワーの音が響き始めた――。
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週末にゆるゆると更新予定です。
よろしくお願いします。
次回は『第4話 哀川さん、電気を消してベッドに待機』です。
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