第2話 哀川さんに手作りご飯を食べてもらおう
「お邪魔します」
「……ど、どうぞ」
本当に
学校一の美少女が靴を脱ぎ、俺の部屋の真ん中に立っている。
なんて不思議な光景だろう。
公園で話した後、俺は哀川さんと一緒に家に帰ってきた。ただカップ麺が食べたくなってコンビニに行っただけなのに、まさかこんなことになるとは……。
「ふーん……」
「あの、あちこち見回しながら意味ありげにつぶやくのはやめて下さい……」
「思ったよりきれいなんだね。男の人の部屋ってもっと雑然としてるのかと思ってた」
「素直に物がないって言ってくれていいから……」
カップ麺の入ったビニール袋をテーブルに置き、俺は肩を落とす。
っていうか、哀川さん、男の部屋に入ったことないのかな?
ハチャメチャにモテそうなのに。
ちなみに俺の部屋には必要最低限のものしかない。
玄関を入ってすぐの廊下にキッチンがあり、そこに冷蔵庫と電子レンジと食器棚。廊下の先のワンルームにはベッド、勉強机、あとはテーブルがあるぐらい。
一応、ベッドの横に腰ぐらいのサイズの本棚があって、雑誌や教科書や小説なんかを詰め込んでいるので、それが唯一の生活感だろうか。
いやあともう一つあったな。
本棚の上に――。
「これなに?」
ちょうど俺が視線を向けていたものを手に取り、哀川さんが訊いてきた。
その手にはサッカーボール大のまん丸なヒヨコが収まっている。
「貯金箱。バイト代を貯めてるんだ」
「へえ」
哀川さんが持っているのは、デフォルメされたヒヨコの形の貯金箱だ。物が少ない俺の部屋のなかでは貴重な生活感の一つだろう。
しかしあまり興味を惹かれなかったのか、俺のヒヨコは無造作に本棚の上に戻された。
それきり会話は途絶えてしまう。
「…………」
「…………」
うん、まあ、そうだよね。
普段、教室でも話したことないし、こうなるのは必然だった。
「と、とりあえず座って。お茶入れるから」
「別にいいよ」
「え? いやでも」
「あたし、これ貰ったし。おかげで喉乾いてないから」
「ああ……」
哀川さんが見せてきたのは、公園で俺があげた缶コーヒーだ。家に着く間、律儀に飲んでくれていたので、確かに喉は乾いてないだろう。
しかしそれじゃあ、こっちの間が保たない。
そうして困っていると、哀川さんはからかうように目を細めた。
「ひょっとして緊張してる?」
「えっ」
「なんだか落ち着きないみたいだから」
「や、そりゃ緊張もするし、落ち着かなくもなるでしょ」
「女の子、部屋に上げたことないの? せっかく一人暮らしなのに」
「ないってば。悪いけど、そんな楽しい青春送ってないし」
「へえ」
哀川さんは笑いながら艶やかな黒髪を耳に掛ける。
耳についたピアスとイヤーカフが目に眩しい。
気だるげなネクタイが胸元で左右に揺れていた。
「なのに、あたしのことは部屋に連れ込んでくれたんだ?」
「つ、連れ込むって! 言い方……っ」
「だって、形としてはそうでしょう?」
「形としても違います! ただ夜中は危ないから緊急で避難してもらっただけ!」
「避難かぁ。でも女子としては男の人の部屋の方が危険を感じるけどなぁ」
「いや下心はないって公園で言ったはずだよね、俺!?」
「そうだっけ?」
「そうです!」
チェシャ猫みたいにニヤニヤされ、俺は頭を抱えた。
哀川さんがまさかこんなふうに男子をからかってくるタイプだったなんて。
学校ではいつも窓際の席で空ばかり見ているイメージだった。誰とも群れず、近寄るなオーラが漂っていて、孤高な黒猫。そんな印象を持っていたが、俺の思い込みだったらしい。
とにかくこの流れはよくない。
「じゃあ、何か食べる? あり合わせのものしかないけど」
「別にいい。お腹空いてないから」
「くそう……」
どうにも上手くいかない。
……と諦めかけ、ふと思い直した。
公園で聞いた感じだと、哀川さんの家はあまり家庭環境がよくないらしい。哀川さん自身も自暴自棄な面があるように思えた。
そこから考えると――。
「お腹が空いてないのはわかった。ただし一つ教えて。哀川さん、直近でご飯食べたのはいつ?」
「なんでそんなこと訊くの?」
「いいから」
「昼休みに学食のサラダ食べたけど……」
「…………」
はい、12時間近く経ってますね。
思った通り、自分の健康に無頓着な人のようだ。
「ちょっと待ってて。今、用意するから」
「は? いやいらないって」
「大丈夫。その辺に座って待ってて。座布団なくて悪いけど、本当にすぐ作るから」
「え? 作るって……」
目を瞬く哀川さんに背を向け、キッチンへ。
カップ麺は買ってきたけど一人分しかないし、お客さんにレトルトというわけにもいかないだろう。
冷蔵庫からスーパーのカット済み野菜を出し、バターを溶かしたフライパンで炒めていく。火が均等に通るように菜箸でかき混ぜていると、背後に哀川さんの気配がした。
「ねえ、いいよ。なんか申し訳ないから」
「いやもう作り始めちゃってるし。俺も食べたいから申し訳ないことなんてないって」
「でも……」
まだ哀川さんは何か言い淀んでいるが、その間に野菜炒めが完成。続いて冷蔵庫から冷凍していたご飯を取り出し、レンジでチン。
本当にあり合わせで恐縮だが、二人分の夜食が出来上がった。
「はい、召し上がれ」
「…………」
ちゃぶ台代わりのテーブルに向かい合わせで座り、俺は哀川さんに食事を勧める。
ちなみに食器は予備があったけど、箸が俺の分しかなかった。ただ幸いにもカップ麺を買った時にコンビニで割り箸をもらっていたので、哀川さんにはそれを使ってもらうことにした。
レジで断りそこなった俺のダメさが良いところで役立ってくれた。こういうのを怪我の功名というのだろう。
「何か嫌いなものあった?」
哀川さんがご飯と野菜炒めを見つめたまま動かないので、俺は尋ねた。
「ない、けど……」
細い指先が戸惑うように黒髪の毛先をいじっていた。
「なんていうか、あたし……慣れてなくて」
「慣れないって、なにに?」
「えっと、誰かにご飯作ってもらったりとか……いつぐらいぶりかな、って」
「そっか」
本当はそうじゃないかと予想していた。
だから今回ばかりは俺も慌てず、多少強引に勧めてみる。
「じゃあ食べて。哀川さんのために作ったご飯だよ」
「……うん」
ようやく覚悟が決まったみたいな顔で、箸が手に取られた。割り箸を割って、哀川さんは律儀に手を合わせる。
「……いただきます」
野菜炒めのニンジンとキャベツともやしがぎゅっと摘ままれ、桜色の唇へ。
「――っ」
口のなかに入れた途端、きれいな瞳が揺れた。
一瞬、哀川さんが泣いてしまうんじゃないかと思った。
そんな表情のまま咀嚼し、飲み込んで、水面に落ちる雫のような声がこぼれた。
「美味しい……。それになにこれ、なんかすごく……温かい」
分かる。
誰かが自分のために作ってくれたご飯は温かい。
俺も昔、同じものを味わわせてもらったことがあったから、すごくよく分かる。
「ねえ……ハルキ君」
どこかぎこちなく名前を呼ばれた。
俺は出来るだけ柔らかく「なに?」と答える。
哀川さんはテーブルの上の食事を見つめて、淡く微笑んだ。
「あたし……キミに家に連れ込まれて良かったかも」
「それは良かったです」
ちょっと人聞きが悪いけどね、とは空気を読んで言わないでおいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます